齢を重ねるという言い方は70歳を過ぎた人の年齢の数え方の様な気がしないではない。
特徴的な意味合いが年かさは増えるが、いわゆる知人は減ることを意味している。
元来、人付き合いが良くないので友達といえる人はそんなに多くはないが、知人はいるものである。テレビや新聞などを通して知っている人の訃報をそれらを通して知るにつけて、間違いなく知人が激減していることを感じる。このような人を間接的知人と呼ぶとして、そのような人の死を知る機会がとみに増えだした気がしないではなない。
こんなことを考えたきっかけは夏目漱石を読みだしてからである。ともかく、あの時代と言うから明治、大正という時代、今から言うと平成、昭和、大正なので元号で3つ先の時代はともかく、読む限りではその人間関係は狭く、濃密なのである。濃密というのは別に好意的な人だけではなく、付き合いたくないような面倒な人でも濃密になるのである。
というのは血のつながりはない、ちょっとした知人でもその人物と会うにあたっては想像を絶するくらい面倒なのである。漱石の道草を読んでいて思った。たとえばこうである。
①手紙で健三(漱石モデル)の近況を確認する―健三に会いたい人
②そして、手紙で健三に話があるので、自分の家に来てほしい旨を報せる。
③健三は葉書で了解した旨を報せる。
④約束した日時に健三は出かける。
⑤内容を聞いて当方の考えを伝える。
⑥Noならばそこで終わるが、Yesなら続行する?
このようなやり取りの結果が出るまで早くて半月、もしくはそれ以上の時間を要するのだ。今ならメールもしくは電話で数分で済ませることができるだろう。
前者の時代は本人が望むか否かは別にして濃密な人間関係の時代の様な気がしないではない。それに比べると現在は何とも早く決着する。それだけ人間関係が希薄になっているのだ。
したがって、そんな私でも先が短いながらあの人はどうしているか?と気になる人がいるものである。そんな時に便利なのがメールである。電話は突然なので相手は面食らうし何を話してよいのか困るだろう、借金の催促か?と勘繰られては困るからである?そのあたりの顛末を本考「パテックフィリップ」で書いた。
そうは言っても、前提として、相手とは良好な、とは言わないまでもニュートラルな関係であることが条件だろう。基本は会った際に共通の話題があり、話が続くことが前提にある気がする。それは昔話でもよいが?というのは少なくとも、お互いに面白い話題があり、その話に何らかの新発見があるような話題であると最高の場になるはずである。
先日のS氏の場合、私は以上のような懸念を超えて、感動をしたような話を彼から聞いくことができた。それは彼のお子さんの話であった。子どもに関する物語は世の親にとってそれこそ、たとえばサマセット・モームのような文人がいたとしたならばどんな子どもの話でも短編小説、内容によっては長編小説を書けるくらいのネタがあるに違いない。思いがけないS氏の話は長編小説にでもなりそうなドラマチックで感動的な話であった。
私はこのS氏の話ほど感動と教訓、そして希望を感じさせた話はなかった気がしている。多分この話は世の中の多くの人に感動と賞賛、希望を与えるに違いないと思った。内容は差し控えるが私は後でこのような素晴らしい人物と交友関係をもてて、神に感謝したくらいなのであった。
そこで妙に納得したのはさすがに京都大学を卒業するような人物であり、人格者なのだな!と思ったことであった(別に京都大学を卒業したろくでもない奴ばかりに遭遇していたわけではないが?)かれの体験の物語は世の中にどれだけ希望をもたらすかしれないと思った。したがって、年末の会った時にはその体験録の出版を勧めるつもりである。
その後に思ったことは尊敬できる人間が自分より年下の人にも及んできたことであった。
そして、今まで気づかないような人でも改めて見直すような人がいるに違いないと思うようになったことである。
逝く人を自分に当てはめて考えるとそのような素晴らし人生を歩んでいる人が知人いるかもしれないという気付きである。そう考えると勇気を出して消息を尋ねるのもいいかもしれない。秘められた宝をもっているかもしれない。確かに人にとってもっとも感動をそそるものはやはり人なのである。
2023年9月25日