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Column

夏目漱石

 この人物の名前は知ってはいたが、近づきたくない人物の最たるものであった。理由は日本画家の木島桜谷の作品をけちょんけちょんに貶したからである。どこが気に障ったか分からないが、今で言えば当時、日本における最高の文豪(で批評家という?)肩書を引っ提げてよくここまで言うものだ?と思った。一方、言われた木島桜谷は新進気鋭の画家ではあったがこれを機に、いわゆる、画壇に出品を控えるようになったらしいが、天下一の才人?に批判されてはこれから世に出ようとしている画人にとっては致命傷になってしまったことは否めない。彼はそうは言っても淡々と己の道を歩んでいたが精神を病んで最後は枚方近くで京阪電車に轢かれ非業の死を遂げたという。その、死に際も不可解な気がしないではなかった。考えて見れば、ネット社会における微妙な批評の怖さと責任を100年以上も前に具現化したような話である。
 この話について私はこのコラム(2014年3月24日)で取り上げている。その後、今回のコラムを書くために木島桜谷に対する漱石の批評についてnetで調べるとこの話について以前では考えられないくらいの量の意見を読むことができた。大方の意見は「漱石さん、それは言い過ぎですよ!」ということからそれを書いた漱石の生活環境や体調などを調べてその理由を考えたような様々な記述を読むことができた。その中でどなたかが本コラムの記述を上げて紐づけて読めるようにしてくれていた(しかし残念ながら、本コラムは140日以前のものは読めないようになっているので読むことができない)
 そんな事からこの文人にはあまり近づきたくないというのが私のスタンスであった。ただ、最近、小説もどきを書き始めて、さて私の書いているものは何なのかを客観的に判断したくなったのである。それを考えたとき、そんな事よりまず、文学とは何か?ということすら私はわかっていないことに気づき、手っ取り早く文学と言われる典型的なものを読んでみようと思い、日本初の文学者でもある夏目漱石の何らかの作品を読んでみたら文学とは何ぞや?と言ことが分かるのではないかと思った次第であった。
 その前に芥川賞は文学的な作品ジャンル、直木賞は通俗小説であることくらいは知っていたので、中山義秀と平野啓一郎の本を借りてきて読んだのだが、何となく中山義秀は分かったが、平野啓一郎はさっぱりわからなかった。一つ分かったことは難解な物語が文学であるという事だけだった。ただ、50年近く前に松本清張が書いた「ある小倉日記伝」はこれを文学というならよくわかるというような物語であった。
 ただ、何冊読んでみても文学とは何ぞやというのが分からないのでそれなら名実とも文豪No,1の夏目漱石なら文句あるまいということで読み始めたのである。最初に読んだのがかれの処女作の「吾輩は猫である」この小説一見通俗小説の様な気がしないではないが猫の視点で人間を描がいた点において確かに文学になるのではないかと思った。
 そう考えると人間が人間を描いているなら文句はあるまいと思い、早々に猫をやめて人間が人間を描いている本を読もうと思い直し、ネットで夏目漱石BEST5というような中から4冊ピックアップした。「三四郎」「こころ」「草枕」「道草」である。当初、漱石の芸術論を垣間見られるということで「草枕」を読もうと思ったが、図書館になくて仕方なく「こころ」という作品を借りて読み始めた。

 これを選んだきっかけは評者が・文章力の凄さ、物語の映像が目に浮かぶということから選んだのである。確かに文の豪傑?でもある文豪と言われるだけあり、明治の終わり頃の時代背景の中での異様な人間関係をヒツコイまでに書いたこの作品を最後まで読ませたことに文の豪傑だ!と思わせた。時代は明治,対象はいわゆる生活臭のないエリート、学生2名と先生(と言っても教師ではない)、下宿の母娘の中で繰り広げられる物語なのだが、それをページに満杯の文字で埋め尽くしたように書かれた本なのである。
 そんなまったく興味を抱かないような本で、時代も違い、たまたま仕方なく読んでみるか、と思った小説ではあるが最後まで前向きに読んだのである。確かに文豪だ!と思った。
 この作品は朝日新聞に連載されたというから新聞小説なのであろうが好評だったらしい。多分、読者は明日の連載を読みたくてうずうずしていたのではないか?私が本を選ぶのは興味あるテーマ、事前に読みたいと思った本だからというのが基本であった。したがって、今回のような文豪夏目漱石の本なら何でも良いというような選択は初めてであった。しかし、読み始めて最後まで一気に読んでしまった、BEST5と言われた選者が推薦した理由の本であり、これが文学であるのか?を思わせた典型であった。

 それ以上に興味深かったのはこの本の末尾の解説にあった漱石の人生である。高齢になってできた子であったがゆえに世間体から両親に露店商人へ里子に出された。後にその子が縁日の際に露天商の店の脇の竹かごに入れられて置かれている漱石を発見し、姉が連れ帰ったという逸話である。
 明治時代の最高学府帝国大学に行き、文部省から英国留学を命じられた華麗な遍歴を考えていた私は漱石の前半生に驚きをもったが、その体験が確かに木島桜谷に対する批評を書いた漱石の(お里が知れた人間の)一面(暗黒面)が分かった次第であった。
壮絶な幼年時代で驚きの度合いで言うならアダム・スミスが幼年時代に誘拐されたことに匹敵した。しかし、アダム・スミスはそれでも漱石ほど卑屈な風は見られないが?
                               2023年9月4日

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