その後に続く言葉は知っている人の死である。今朝の朝刊には昨日までになくなった著名な人の死が記載されている。 三名の方・・那智わたるさん、峰岸壮一さん、ランディー・マイズナーさん。それぞれ享年87歳、90歳、77歳。
那智わたるさんは宝塚の大スターである。別に宝塚ファンでない私でさえ知っている人なのでこの三人の中では最も有名な人である。峰岸壮一さんはほとんど知っている人はいないかもしれない。この方はフルート奏者で私がフルートをやっていた頃なので今から50年前くらいに日本の若手フルート奏者として知られ始めた人であった。最後のランディー・マイズナーさんはイーグルスのメンバーでギター奏者であった。
この方たちは人々の心を豊かに、感動を通して実現してくれたという点で共通している方たちである。ただ、私は 那智わたるさんの舞台も、峰岸壮一さんのフルートも聴いたことはない。ただ、宝塚の舞台は数回見たことがあるので、その舞台を想像できるが、多くの人を魅了したのであろうことはわかるというものである。
宝塚のスターになるには否が応でも宝塚音楽学校に入学しなければならないらしい。そこでは宝塚の芸を具現化できる人になるための教育が施されるという。この学校はかなり競争が激しいらしく、努力だけでは入学することができないようだ。たとえば肉体的な条件もあるからだ。それに比べたら東大やハーバート大学に入学する方が確率的には高そうである。しかし、そこで学んで優等生として卒業してもだれもが那智わたるさんのようになれるわけではない。宝塚のスターになるにはファンを引き付ける何かが無いと駄目でその何かを宝塚音楽学校では教えることができない、天性の何かが・・・?
峰岸壮一さんのフルートを聴いた記憶はないが日本フィルハーモニーの主席フルート奏者を務め、世界のコンクールの審査員を歴任し桐朋学園大学の教授を務めるなどの公職に就いた人であることを今回の死亡記事で知った次第である。その中で興味深かったのが峰岸さんは音楽大学ではなく慶應義塾大学を卒業している点である。ただ、驚いたことに慶應義塾大学を卒業しているフルート奏者が昔は多い?たとえば日本のフルート奏者の草分けの吉田雅夫さんや植村泰一さんは慶應義塾大学を卒業しており、その後に音楽学校に入学している。吉田雅夫さんの場合は生まれが1915年なのでいわゆるその道のスタンダードが確立されていないからであろうが、そのプロセスは興味深い。一言で言うと波乱万丈のフルート奏者といえるであろう。さすがに私も神様のような吉田先生のフルートを聴いたことがあった。
ランディー・マイズナーさんはイーグルスのメンバーであるということであとでYouTubeで確認したくらいの人である。私はこの道は明るくないが、「ホテルカリフォルニア」だけは何回も聴いた曲である。ランディーさんの写真を見て歌っている姿を確認したのだが興味深かったのは私と同年齢の77歳だからである。そう考えるとイーグルスのメンバーは私と同世代ということになる。だから、何となく惹かれるのかもしれない。
そんな事から洋楽で私が心惹かれる「青い影」を歌っているメンバーも何となく気になってwikで調べてみるとロックバンドの「プロコルハルム」のゲイリー・ブルッガーも私より丁度1歳年上のミュージシャンである。かれは昨年77歳で亡くなっている。そう言えば微かにそんな記憶があった。両方とも心に残るような曲で忘れられない曲である。本来、ロックに無縁な人間のわたしだが?
それにしても記憶にある、知っている方々が落ち葉が散るように亡くなっていく。ただ、その人たちは私が死ぬまで記憶されていくであろう。かれらの死は私の記憶としての死に直結するわけではないからである。私が長生きしたとしたならば、私の記憶にある人はすべてなくなった方ばかりになるであろう。生きている人より亡くなった人の方が増大していっているのだ。なぜならば今、記憶にとどめておくような人が少ないからだ。
本当に新聞の死亡欄で知らされる人が何でこんなに亡くなるのだろうという気がしている。こうやって人は自分の死に対して言うに言えない感慨を形づくっていくのであろう。
これ以上書くと話が死に向かっていかざるを得ないので、このあたりでこの回は終わりとするか?!
2023年8月14日 T.I