7月に入って2週間くらいして、そういえばAsahiWeeklyを止めたんだ、と気づいた、そうして購読年数を数えてみた。
そうだ、インターブランドに入社してしばらくしてから購読を始めたので、30年近く購読していたようだ。購読した理由は英語力をいくらか高めたいという気持ちからである。
しかし、その希望は叶えられたと思えないが、別の意味で楽しい新聞であった。
私の場合の英語力は簡単な会話と英文をそれなりに分かることではあったが、まあ、良かったことは英文をみても即座にスルーしなくなったことくらいで、それ以上でもそれ以下でもなく、ともかく、今でも辞書を引いて知らない単語を確認する習慣だけは身についている。年齢が年齢だから記憶することはできない。正直に言うと若い時からできなかった?だから今がある!という事である。
私の世代で英語が堪能な人はその関係の仕事に就いた人か、英語圏の国に住んだ人くらいしかいないだろう。中学校の同窓会名簿を見ると2,3人が英語圏の現住所が記載されているので、そのような人と、たとえば宝石の鑑定士の資格を取るためにアメリカの専門機関に留学した金子君、フランスの宝飾美術大学に留学した角山君など10人かそこらなのではないか?そう言えばJALのスチュワーデス?今でいうキャビンアテンダントになった鈴木さんもいたな?それでも10人もいるかいないかであろう?全生徒350人の中で、である。
ただ、その中で外資系の会社に13年も務めたのに英語も話せなかった私は異例中の異例であるかもしれない。運がいいのか悪いのか英語を必要としていない外資系の会社というのもママあるもので理由は簡単、日本企業を開拓する要員であったからである。
当時のインターブランド・ジャパンの社長テレンス・オリバー氏は日本語が堪能であった。だが、その日本語でビジネスを拡大するには日本人以上に日本語が巧で、日本のビジネスに精通していなければならなかった。しかし、そこまではむずかしかったようであった。彼は本業のブランディングビジネスを日本企業に売り込むに際してブランディングに精通している人物として私を迎えたのであった。
私が入社してはじめの仕事はその逆で外資系企業の日本市場攻略の仕事がインターブランドに舞い込んだのであった。これは当初予定をしていない展開であった。そのキッカケは日本支社のトップに就任したアメリカ人社長はこれまでの日本支社のスタッフの仕事に満足をしておらず、日本市場に精通している欧米人のコンサルティングパートナーを必要としたのであった。インターブランドは新しいクライアントの新商品やリニューアル商品を提案する機会に恵まれた。当時、われわれはこのような外資系企業も開拓できるということは全く予想していなかったので嬉しい誤算であった。
その企業のプロジェクトで、ある年のクリスマス寸前にアトランタの本社で世界的な果汁ブランドの開発戦略とパッケージデザイン開発提案を副社長はじめとするスタッフの前でプレゼンテーションすることになった。
わたしは市場調査を基に、ライバル商品を分析し、そこから全体戦略をつくり上げ、個別の商品マーケティング戦略、商品のアイデンティそして、パッケージデザインなどの提案資料をまとめた。そして、その日本語の資料をスタッフが翻訳し、英国人の社長がプレゼンテーションをした。日本語の戦略提案資料はすべて英文に翻訳された。その内容は絶賛されたことは勿論であった。
本来、想定したプロジェクトが生まれた。横浜ベイスターズのブランド戦略の仕事である。インターブランドは大洋ホェールズの新球団名をはじめとするブランド戦略を立案し、シンボルマークやユニフォーム、キャラクターなどをデザイン開発し、ビジネス戦略を開発したのである。
当時、大洋漁業の社長であり、大洋球団のオーナーである中部慶次郎社長は常日頃、自分たちの会社は人々の命を支える食料としてクジラの命を殺めて商いをしている。しかし、愛称として球団名にホェールズという名前を掲げることに一種の疑問を感じていたようであった。ブランドの専門家ならその矛盾を何らかの手法で解決してもらえるのではないか?そんな期待を込めて何らかの提案を求めたのであった。
このプロジェクトは野球の本場のアメリカのインターブランドの力やロンドン本社のデザイナーの力も借りで開発を進めた世界レベルのプロジェクトであった。このようなプロジェクトこそがテレンス・オリバー氏が当初、思い描いたプロジェクトであったのだ。これまでの日本のあらゆる機関が夢に見たようなグローバルな国境を超えた画期的なプロジェクトであった。欧米人と日本人のそれぞれの特性を生かせずには成り立たないプロジェクトであった。
当時はアメリカやイギリスとのデザイン画のやり取りをFAXでやれて、便利になったねというような時代であった。それに比べると現在は翻訳ソフトの質も高くなり、プレゼンテーションもAI通訳で可能になったかもしれない?開発上のグローバルなコミュニケーションも数段どころか数百段も便利になったが、そんな中でもベイスターズ並みの成果を上げられるだろうか?疑問である。理由は言葉や情報の効率化だけの問題ではないからである。つまり、今から考えるとインターブランドでのそれらの仕事はそれぞれの世界で生きてきた人たちの火花を散らす対決と理解のプロセスを経て互いに納得できた最善の着地点を探し当てた結果のような気がしているからなのである。
今思うと 私が帰国子女で英語が堪能な日本人であったとしたら、このプロジェクは成功しなかったろう、なぜならばAsahiWeeklyを30年も読み続けているような日本人だったからなのではないかと、つまり言葉の暗黒をイマジネーションで補う力のようなものなのではないかと・・・?
2023年7月31日T.I