このブログは全世界に公開していることになるが、至って個人的なものであり、本来そその必然性はまったくない。とくに今回のテーマなどはその際たるものだ。
いわば日記と言えるものでも優れたものがある、アンネの日記やアミエル日記、藤原定家の明月記など・・・?当の本人は何らかの理由から日記をつけていたのだろう・・・・そう考えながら私の理由を思い出だそうとした。私の場合の理由は文章が上手くなりたいという理由であった。頭に浮かんだ想念を文章にする力を養うためである。
ということで今回のテーマは昨日、はじめて77歳になった一日を書いてみようと思った。理由は現状の一日を書く事により、いわば老化の進行ともいうべきものを将来に確認できることである。
6月10日、午前3時30分くらいに目覚める、最近、だいたいこのくらいの時間に目覚めてスマホでニュースを見たりした後に何か文章を書くか、本を読む。昨日は本「「慎慮と洞察」を推敲した。次に何日か前に見た映画「SUNSET」の文章を推敲した。この考は珍しく一気に書き上げた、が読み返してみると同じ事を繰り返したり、誤字脱字が多いので内容の確認をしたのだ。朝は頭も冴えているし、集中力も高いので推敲に効果があるのである。そして、内容を印刷して読み直しアップした。
そうして、5時30分頃、就寝したが眠れずそのまま、寝たり起きたりして7時過ぎに起きたが、妻は珍しく7時過ぎても起きてこない。一階の窓のシャッターを開けると少しして起きてきた。実際、あまり起きてこないと心配になる、体調が悪いのでないか?起きることができないのではないかなどが不安になるようになったのだ。心臓の手術をしてから特に心配になる。
いつもの朝食を始めようとした時、家内が「お誕生日おめでとうございます」と突然、言う。そこからひとしきりその話題。ケーキをどうするかなどを話す。というのは、昨日の6月9日に運転免許証を警察署に取りに行った後に分かったことで。かつて隣人であったY氏の経営するケーキショップに昨日、買いに出かけたら店頭に閉店の張り紙がしてあったからである。理由は店の生命線でもあるシェフの病気で復帰がかなわなくなったということが記載した張り紙があったのだ。この件は以前ならそれでもケーキショップは近くにいくつかあっが、最今は少なくなった。コンビニでケーキを扱うようになったからか?
次の日、私は寝床でそれならと思いステーキを買うという代案を考えた。この案は多分、家内は乗ってくるだろうと思ったが、直ちに決定。私が大船商店街のいつもの肉屋に買いに行くことに決まる。結局、午前中に買いに行く。ついでにほうじ茶、イチゴ、生野菜などを買う。肉はもも肉の180グラムを2枚。これは絶品であった。程よい脂身があり、柔らかく、大根おろしとニンニクに醤油で味付けたシンプルな定番のタレ。シチリア産の赤ワインを飲みながら食べるとローソンで買ったケーキでもいいかという気分になる。
午前中に買い物に行ったのは午後久しぶり葉巻でも、と思ったからで、午後、庭に安楽チェアを出して葉巻を楽しむ、久しぶりこれは美味しかった。3年くらい前にスイスの葉巻商にネットで注文したものだ。
その葉巻をふかしながら読んだ本が懸案の光悦に関する本。日本有数の書家と言われる光悦が50代半ばで中風にかかり、書に大きな制約が生じることが研究者によって指摘されている。しかし、残念ながら当の光悦の書の良さを理解できない。そのあたりじっくりと腰を据えて取り組まないと「光悦はばたく」は書けない気がする。
因みに私が好きな書家は橘逸勢。この人物は初めの頃、空海と共に遣唐使として中国に行った人物であり、歴史上の重要人物である。しかし、空海と違い日本に帰ってきてから苦労したようだ。ただ、世にもまれなくらい父親思いの娘に恵まれた。私はその一点で空海より幸せな人だと思った。
橘逸勢の書はそんな悲劇的な人生を感じさせない雄渾で、ダイナミックだ。この人の書は音楽的である「伊都内親王願文」を見ると一連の文章が雄渾な交響曲を聞いているような気になる。
この歳になると葬式に出た時の芳名帳に恥ずかしくないくらいの字を書きたいと思うが?それすら叶えられそうもない。年の割には下手な字を筆ペンで書かざるを得ない。
2023年7月3日T.I