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Column

76歳のGW

 毎日がGWだろうだって?そうなのだ。2023年の今年は9連休だ。そして。3年ぶりのGWだって?コロナ明けなのだ!テレビを見ると長い車列のヘッドライトが美しく一条の光の川を描いている。みんな元気で、この国も元気なのだなと思うと何となく嬉しくなる。私は一度もGWでそのような車列に加わったことがない。渋滞が基本的に嫌いなのでGWに高速道路を走った記憶はない。ただ最近は以前ほど排気ガスは出ないようになっているのでかつてのような罪悪感を感じなくともよいのかもしれない?

 “中央公園がテレビのニュースで紹介されていたよ“と家人が教えてくれた。この時期には鎌倉中央公園でも色々なイベントや催しをやる。そう言えば恒例のこいのぼりが一週間前にセットされた。初日、29日の「緑のフェスティバル」も大変な人だかりで、屋台は出るし、挙句の果てはポニーやヤギが疎林広場という比較的高い場所にあるヒノキの巨木が群れている広場で子供たちが乗ったり、遊んだりして楽しんだようだ。1回300円でポニーに乗れる!列車は1回100円。そんなにお父さんの懐も痛まない。焼きそばは300円だし、自前のテントを張って家族連れが楽しんでいる。中央公園は本当に飽きないところである。それが、全体これ緑の中で繰り広げられるのだ。
 ここが鎌倉最大の自然公園となって解放されてから何年たつであろうか?1997年に一部がオープンし、その7年後の2004年に全面開放されたのでもう20年になる。私がここに住み始めたのは1987年なので、その頃は単なる原野であった。その原野が美しい自然公園になって本当に良かったと思う。それは鎌倉が日本でナショナルトラストの第一号の場所であったからで、それがなかったらこの公園は生まれなかったろうと思われる。
 我が家は宅地開発と風致保存のせめぎ合いの線上にあるような場所にある。運よく我が家の周りの景観はそのお蔭で変わらない、先日、我が家の前の緑地が山火事の危険にさらされて、私は我が家のホースから水をかけて初期消火をした、などという、ここならではの体験をした。原因はその緑地が管理の主領域から外れているということで放置された感があったのだ。私は消防署と警察にそのあたりの実状を話したので、そちらからの手配で我が家が燃えるような接近した樹木を取り除いてもらい我が家が山火事の被害に遭う危険性は一応なくなったようである?

 今年のGWは今のところ天気に恵まれていたお陰で玄関脇の植栽棚の枯れた皐月の補充をした。4つの株を全て入れ替えたが35年で枯れたさつきの根っこを取り除くのは人力では難しく、昨年これで左肩を痛めたので今年は鉄製のシャベルの使い梃子の原理で引き抜いた。ともかく、それらを不自然な姿勢で作業するのでほとほと疲れて、風呂に何分浸かっていたかな?という感じであった。しかし、風呂というものは確かに疲れを取る最も簡単な方法であることが分かる。こんなことはこの歳になるまで分からなかった。その夜は珍しく夜中に起きる事はなく朝まで寝ることができた。ただ、翌日は肉体労働をする気にはならなかったのは歳のせいである。
 本人がこんな調子なのだが、我が愛車もそれに近い。15年目に入っておりまさに高齢車なのだ。といって動かさないとエンジンの具合は悪くなり、バッテリーは上がり一昨年はその結果、車載のコンピューターが壊れ交換して18万円かかってしまったのだ。
 だから一日おきくらいに乗ってやるとご機嫌がイイ、今朝は久しぶり15キロくらい走ったかな?あまり時間が遅いとGW中の鎌倉は渋滞に巻き込まれるので、そのリスクを回避するコースを走る。本当は朝食前に起きて海岸通りを走りたかったが9時30分は少々遅い。

GWになると思い出すのは最初に勤めた会社のことだ。GWに新しい乗り物を導入して客を呼ぶのである。したがってGWに雨が降ると業績に影響した。仕事はGWをめざして新規車両開発の年間開発スケジュールがたてられた。なぜならば、新型モデルの導入は重要なマーケティングの目玉になっていた。このあたりの発想は母体が自動車会社だったからなのだろう。
 GWでの成績でその乗り物をデザインした人の評価が決まる。最初に手掛けた仕事がクラシックカーであった。私は11月に中途入社でホンダランドテックプロダクションという設計開発部門にデザイナーとして就職した。そんな人物に来年のGWに導入する車両の設計を任せるのだから豪気な会社である。一年ぐらい先輩のアシスタントでもやって仕事を覚えてから、なんてな事はなく。その時のテーマであるクラシックカーを開発するというミッションの下ですぐに開発チームのデザイナーとして加わった。
 半軌道の車両なのでボディサイズが決まっており、乗車人数も決まっていた。顧客である多摩テックからはクラシックカー欲しいという要望があったようであった。
そして、クラシックカーは成功したためしがない車両であったのだ。アレンジがむずかしいからだと思った。ボディ素材にFRPを使うのが主流であったからで、どうしてもまがい物に見られてしまうからである。私は新人デザイナーの常でそのような社内の事情には疎かったので、クラシックカーは鉄板で出来ているのだからボディは鉄板で作ると言った上に本物に近いものをデザインポリシーとしてデザインした。モデルは本物であった。正直、誰も経験したことがない鉄板ボディの本物に近いクラシックカーの開発は正直、大変だった一応、どうやって耐久性のあるボディを1ミリ以下の鉄板で作るか?結局、パイプフレームを組んでその上に鉄板をスポット溶接で止めるというやり方で作った。一応、図面の書き方くらいは学んできたが自動車設計で鍛えられた他のメンバー比べるとその差は歴然だった。私はいろんなところで先輩方に助けられて出荷にこぎつけた。出荷当日、昼休みボディの傷を隠すタッチペイントの作業一人でしていたら、総責任者である塩崎専務が来て車両を確認し“よくやった、ご苦労さん”と言ってくれたのですべての苦労が報われた感があったのを今でも思い出す。GWで人気も高かったようで、幸先の良い社会生活の第一歩になった気がしている。そんな回想を76歳のGWにする。                 
2023年5月15日 T.I

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