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Column

創元推理文庫

 そう言えば、小学校時代の父兄面談に母が行った後にその時の担任教師の要望として出た話の一つが“本を読む習慣を着けさせればいいですね”という事であった。教師としての学習指導の定石のアドバイスだったのだろう。だが、当時、それを達成するのは難しかった。しかし、そのことが後々まで引っ掛かっていた。勉強が出来るようになる一つの方法なのだろうが?一クラスに50人くらいいる児童を見ている担任教師には出来の良くない私の読書指導をする余裕もモチベーションも起きなかったのだろう。
 私が本を読み始めたのはそれから15年後からであろう。創元推理文庫のシャーロックホームズシリーズを読み始めたことがキッカケであった。阿部知二訳のその本は私を異次元の世界に導いてくれたことは確かであった。私が魅了されたのはシャーロックホームズ氏のライフスタイルであり、かれの知性であった。つまり、ホームズ氏のよく勉強する生活習慣にあったのだった。勉強は教科書を学ぶことではなく、自分が必要だと思う分野について勉強することなのだ。そして、その方法論はその分野の本を読むことであった。
確かに出来の良くない子には本を読む楽しさと必要性を教えれば自然と勉強するものなのである。苦しんで勉強するより楽しんで勉強できるようになった方がいいに決まっているからだ。
 ホームズ譚は現役の医師であるコナン・ドイル卿が、開業したはいいが患者があまり来ないので暇を持て余した時間を使って書いたものである。その点で売れない医者の本人にとってホームズ譚は格好の短編小説シリーズであった。創元推理文庫の「回想のホームズ」の巻末に収録作品の原題と発表年月が記載されている。1892年12月から1893年12月の間に11作品が書かれている。一月に一編のペースである。
 ただ、最初の作品はどちらかというと中編の「緋色の研究」なので最初は試行錯誤しながら書いたようであったがそこそこ売れたようで続編を出版社から依頼された。その後、同じような中編の「四つの署名」を書いた。このあたりでヒットの予感を感じたのだろう。その後、短編形式の作品を発表する。これ以後は超売れ子作家になったようである。たまたま手元にある、「回想のホームズ」は「最後に事件」で終わっているが当時は超売れ子になったコナン・ドイル卿がもうホームズ譚を終わらせて本来書きたかった歴史小説に本腰を入れたくてホームズを宿敵モリアーティ教授と共にスイスのライヘンバッハの滝に葬った物語で終わっている。
 しかし、それは当時の英国民が許さなかったようである。シャーロックホームズは国民と出版社の熱烈な懇願に負けて甦るのである。多分、私も当時の読者ならばコナン・ドイル卿に懇願したろうと思う。この超面白い本は英国民を随分と知的な国民にしたのではないかと思う。

 
私はもう50年近く経ってこれまで読んだ、溢れるような本の中で暮らしているせいかあまり読みたい新たな本も無くなり、むかし読んだ本の再読がいいところの現在、それでも気になる本があるものでネットで「ゼンダ城の虜」という回想のホームズシリースと同時期の1894に書かれた本を買った。奇しくも創元推理文庫である。
アンソニー・ホープが書いたこの本は日本ではシャーロックホームズほど知られてはいないが当時、この本の続編を読者から懇願されてホープは第二部「ヘンッオ伯爵」を書いておりその二編が入った本書は600ページもの長編本でウィルキー・コリンズの「月長石」並みの分厚い文庫本である。
 「ゼンダ城の虜」はルリタニアという(架空の)国に旅行に出かけた英国紳士ルドルフ・ラッセンデイルが巻き込まれる三カ月の物語なのだが、何となくありそうな話が当時の英国民の夢を刺激したのではないかと思う。当時の英国人は東欧やアジア。南米にそれこそ冒険旅行に出かけたようある。以前,日光の金谷ホテルに泊まった時、イザベラ・バード女史が泊ったという写真がホテルのロビーにかかっていたが、彼女はどうやってあの当時の勝手がわからない日光や東北、北海道に出かけたのだろうと思った。わたしはそのモチベーションに驚いた記憶がある。
 それに比べるとルリタニアはそれでもヨーロッパの架空の一国なのだからである。そう言えばコリンスの「月長石」もインドで発見された宝石にまつわる話である。いずれにしても当時の英国人にとって地球上にある国はどこの国も好奇の対象なのであろう。

 世界に飛び出した英国人にとって世界は魅力に満ち溢れていたようだ。そして彼らはその旅行記をキチンと書いて社会に伝えた。その手の本を世界で一番書いたのは多分、英国人なのではないか?ただ、それは旅行記だけにはとどまらなかった。素晴らしい小説にも形を変えて発表したようだ。見事な冒険譚として、生還したシャーロックホームズもライヘンバッハで宿敵モリアーティを倒した後、チベット旅行に出かけ、ラサでダライ・ラマと数日を過ごし、それからペルシャ、メッカに立ち寄りカルツゥームからフランスに戻りコールタールの誘導体の研究で2,3か月を南仏のモンペリエで過ごし・・・3年もの間、見聞と研究に明け暮れた期間を過ごしている。そう言えばかれのリタイアした後の大著はサウス・ダウンズでまとめた「実用養蜂便覧付き女王蜂の分封に関する諸観察」だった!
                              2023年5月8日T.I
  

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