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Column

ころんだ時

 年をとって体験することの一つによく転ぶようになる。これは実際怖い話で。隣の御主人は転んだ時に頭を打ったことによる硬膜下血腫という病気で亡くなった。
 それは注意すべき事で、歳はとっても意識は若いつもりなので今までの調子で動くと足がもつれるのだろう、初めて歩く子供の様に転んでしまうのだ。今回も彼岸でお墓参りの際にお墓の中で転んだのだ。頭を打ったわけではないので良かったが、家内の目の前で転んだのは二度目のようである。以前は京セラ美術館の階段であった。家内にとっては珍しい出来事のようであったのだ。

 寝床でそんなことを考えた時。中学一年生か二年生の時。国語の授業で、できの良い詩を先生が選んで朗読してくれたことを思い出した。その詩は小原君が書いた「ころんだ時」という詩であった。「ころんだ時」という始まりでその時の情景、感じたこと、その後のことなどを書いた秀作で、国語の先生はベタ褒めだったので、これは凄い詩だと子供心に思ったものであった。
 その授業が終わった後の休み時間に誰かが
“小原君のあの詩をどこかでみたことがあるよ!”と言った。
その後、私もそれを目にした。内容は違っていたが「ころんだ時」という出だしで始まる詩のカタチはまるっきり同じであった。小原君は出来る生徒であったがこれはまずいなと思った。彼が知っていたとしたならば許されることではないかもしれないが、中学生の宿題なら・・・?と思ったがやはり良くないことだと思った。
“ころんだ時、僕の体は宙を舞った・・・・”こんな言葉で始まった。先生の朗読が良かったのか、上出来を超えた秀作でその後に読まれた他の生徒の詩とは格段の差があることはだれもがわかった?あれで国語の成績は❺を獲得したろうな?と思ったが私の国語の成績はいつも❸であった。
しかし、盗作ではないし、まあ発想の盗作であるか?偶然か?である。中学生のできる子、の共通しているところはよく考えると、兄や姉がいるということと、親が教育熱心な家庭という共通項があった気がしている。
 そうするとたとえば、分からないことがあると兄や姉、もしくは両親のいずれかに聴くことができるのだ。私の時代は同じ公立の中学校に行ったら同じ教科書を使うので、兄や姉は❺を取るための秘策を伝授する。そうすると彼らの妹や弟は次の授業に積極的に手をあげることができるし、テストでは兄や姉たちがテストに出そうなところをかなりの確率で当てることができた。そうすると点数は良くなる。結果としてそう言う子が成績の上位に必ずいたものだった。彼らは成績優秀校に入り、有名大学に入る。それでも僕の世代で東大に入った人は伊藤芳郎君だけだった。
 世の中のどこかには頭のいい奴?というよりテストでいい成績をとれる奴がいるものである。それにしても昔は本当に頭のいい人だけがいい成績をとり、東大?に入るが最近は一種のターミネーター教育?で東大に入る人が多いようだ。しかし、今では東大よりも優れた?というよりランキングが上のアメリカの大学が注目されている。
間違いなくハーバードやエールの方が上であるからだ。確かにTHEのランキングではその差は格段に違うし、そこを卒業しているという事は単に成績だけではなく、言葉や発想なども明らかに東大よりも優れているだろう?と思わせるものがある。
 しかし、テレビに出てくる新手のコメンテーターは綺羅星のような海外の大学を出ている。ただ、意外と偏っていてどういうわけかアメリカの大学がほとんどで、その他に優れた大学は五万とあるのにね・・・?と思ってしまうがこのあたりの発想が旧態依然としている気がしないではない。
多分これからはケンブリッジ大学やオックスフォード大学くらい卒業していないとテレビでコメンテーターに採用されなくなるのではないか。しかし、そこを卒業していたらテレビのコメンテーターなどにはならないかもしれない?本業で忙しいだろうからだ!

そんな事を書いていて数日して突然、本日(4月4日)の朝刊に凄い大学名が飛び込んできた「国際卓越研究大学」いわゆる、卓越した研究大学を実現するために国のお金を自由に使うことができる特権を与えられる大学を選び、国家が巨額な資金を用意し、いわゆる、人類を幸せにする、日本という国家に貢献する価値をもたらす大学を創るという。候補の10校の大学の中身は国立大学が8校、私立大学が2校である。
その背景をハーバード大学と東大の資産を比較して、紹介していた。東京大学190億円VSハーバード大学4兆4千億円。比較をするのがおこがましいような例であった。
この背景にあるのは大学のタイプを特定していることが重要なのである。いわゆる研究大学と特定していることである。たとえばアメリカの大学には5つのタイプの大学があり、結果としてノーベル賞をもらった人が在籍していた大学の多くが研究大学であるのだ。
 ただ、研究大学にするには巨額な資金が必要で頭のいい人がさらにその能力を活かして価値ある実績を残すには巨額なお金がかかるという事なのである。
 その実例として一昨年ノーベル賞をもらった日本人の眞鍋淑郎氏がいる。かれは東大で勉強をして博士号を取得しているが、その研究を発展させるには日本の大学も企業もその他の公的機関も受け皿にはれなかったようで、彼はアメリカ国籍を取り、自分の研究を支援してくれるアメリカの組織や大学に移り、国籍を変えて研究をしたのであった。そして、現在はプリンストン大学で教えている。
 Wikを読んで仕方がないと思ったのは当時、眞鍋氏の研究に不可欠な世界最高のコンピュターは使い放題、給料は25倍!・・・そんな環境を提供できるところはアメリカだったからで、自分の研究が人類に貢献できるとしたならば、国籍などはどうでも良いことなのだからだ。
2023年4月24日T.I

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