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Column

新田義貞

 歴史小説における基本的な作業の一つが対象とする時代にもよるが数百年も昔に生きた人を現在の自分の身の回りにいる人の様に理解することから始まると言っていい。
 ただ、人によってはまったく手がかりがない人もいる。そうした場合はその人を書こうとしている作家の自由度が高くなるかもしれない。
 「宗達はじまる」という小説で俵屋宗達を主人公にした小説を書いた時は彼に関した手がかりがまったくなかったので最初、どうしたモノかと思った。俵屋宗達は東洲斎写楽のような存在で生まれた年も、亡くなった年も場所も分からず。生きた証は彼の書いた絵画しかないからだ。手紙も一通はあったが「美味しいタケノコをありがとう」という程度のものでは、想像をめぐらすにも限界があった。
 私の書いた宗達は一般的に言われているような金沢や大津の出身ではなく、伊賀、島ケ原の出身で奈良の絵所で修行したという設定をした。その根拠は宗達の生きた痕跡が京都の大和大路近辺に多く見出されたからだ。宗達が最初に見た京都が今熊野であり三十三間堂近辺だったからで、何かの折に生まれ故郷の島ケ原や奈良に帰省する際に近い大和大路があるという理由からそこで絵師として立つ決心をしたという設定で物語を書き始めたのである。

 宗達に比べれば新田義貞に関したデータはけたたましいくらい多いと言っていいだろう。
だが、といってもそれは新田義貞に関する行動記録というだけで本人の生のデータである手紙、和歌などではない。この時代の武将は自分に関することは、いわゆる客観的なデータに比べると、せいぜい和歌、手紙くらいである。
 新田義貞のライバルである足利尊氏は手紙、願文、和歌を残しており、その人となりが分かる肉声が残っているが、新田義貞にそのようなものは見当たらない。したがって、彼の人となりを知るには彼が関わった、出来事について調べて、それらについて彼がどのようにリアクションしたかで彼の人となりを想像するしかない。
 たとえば新田義貞と言えばだれでも知っていると思われる、鎌倉攻めの際に稲村ケ崎で宝刀を投げ入れて龍神に祈願したことで潮が引き、それにより北条軍の船が遠くに流され、攻撃が出来なくなり、また潮が引いたことで進入路が確保されることにより鎌倉軍の本陣を攻撃できた伝説は象徴的な話であり、だれもが新田義貞はその象徴的な話で神懸った名武将として覚えている。私などは何となくそこに源義経のような古風なスーパースターのイメージで新田義貞をとらえていた。
 しかし、その話も創作的なところがある。潮の満ち引きがあるにしても時間がかかるはずだし・・・?ただ、結果は新田義貞が難攻不落な鎌倉を落としたことは間違いないのだ。 私はその話を小学生の頃聞いてその上に新田義貞のイメージをつくり上げていたのであるし、多くの人も同様なのではないかと思う。

 しかし、今回この人物の人となりを知るためにその行動記録から読み解くと、至って要領の悪い、世渡りの下手な人物像がクローズアップされる。それは多分、同時代に生きた足利尊氏と比較されるからであろうが、ともかく、新田義貞はいわば高倉健のような男で何も言わず、頭を下げて、去っていく男なのだ。なにせ、あの150年の歴史を持つ最初の武家政権である鎌倉幕府を倒した名将でありながら、些細な事からその功績をいとも簡単に捨ててしまうのである。それに引き換え足利尊氏は鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題を攻略しただけなのである。幕府を倒したという意味においてその差はあまりにも大きい。また、行動の一貫性においても新田義貞は正統派の天皇を一貫して支持している。一方、足利尊氏は途中で心変わりをして鎌倉幕府を裏切り、後醍醐天皇側に立つが最終的には自分で武家政権の幕府を立ち上げてしまうという一貫性がない男なのだ。
 それゆえだろが500年後に新田義貞は明治政府から正一位の称号を贈位されるのだが、死して彼は華になった。一方、足利尊氏は天皇に弓を引いた逆賊として今でもすこぶる評判が悪い。ただこれも?足利尊氏の肉声や行動記録を読み合わせてみると妙に人間臭くて、優柔不断で心優しい人物像が浮かんでくるのである。
 結論として言えるのは確かに鎌倉武士とは竹を割ったような、良い意味で単純至極な人間であるのだ。その典型が新田義貞の様な気がしている。

 現代は自分の成果をキチンとアピールできてそれ相応の評価と見返りを得た人間が評価される時代なのである。そう言う価値観は昔からあったようだし、その少し前の元寇で自分の功績を認めさせるために資産を売り払い、2カ月近い時間をかけて九州から鎌倉にたどり着いた竹崎季長の例もあるが、これなどは彼のいたって個人的な功績が現代になって歴史的な価値をもつようになり、その名を轟かせたからであろう。

いずれにしても男の華の一つをわれわれに教えてくれた古武士の典型である新田義貞にはエールを送りたいと思う。
                           2022年8月29日 T.I

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