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Column

THE ASSASSINS

 安倍晋三元内閣総理大臣が暗殺された。暗殺ときいてassassinという単語が思い浮かんだ。こんな奇妙な単語が思い浮かんだのは英語力のせいではなく。昔、プロレスの外人組のタッグチームでこのような名前の二人組がいたからである。そんなに強くはなかった。
 もう一つ今回の事件に関して感じたことは模造拳銃での暗殺という特殊性であるが、このことも“ああそうか!と”思い出したことがあった。
・私の中学校時代、模造拳銃造りが流行ったのである。私の時代の模造玩具拳銃は山上容疑者のそれに比べると、もっと格好いいもので、実際の模造玩具拳銃を改造して造るので、感覚としてまさに拳銃であった。
 しかし、それで実際、人を撃ったという話は聞いたことはない。私の場合はデリンジャーという護身用の超小型拳銃の弾丸の薬莢に火薬を詰めたものだったが、その超小型拳銃を持って歩くと信じられないくらい気が大きくなるという体験をした。そしてともかく、撃ちたくて仕方がない心理助状態に追い込まれるのである。
 ある朝、それを自宅の2階から隣の家の板壁に向けて打ったのだが、一つ良かったことはその当時、模造拳銃をつくった人たちはその火薬量加減を間違えて、玩具拳銃本体もろとも吹っ飛ばしてしまい自分の指を何本かを吹っ飛ばす事故が頻繁に起きていた。私は手に布を何重に撒いて撃ったので指を飛ばさずに済んだのであった。白い布は一部黒く焦げていた。それ以来、模造拳銃づくりはやめたが、それをつくった山上容疑者の心理状態は何とはなくわかる気がしないではない。自分を狙撃者の様に錯覚して、冷静沈着に目的を果たしたのである。一介の気の弱い男でも銃と言うモノは人を変えてしまう力を持っている。
 その後、成人して50歳を過ぎてからハワイに行った際にワイキキにあるビルの4階で
本物の銃を撃つ体験をした。そこでは様々なタイプの銃を撃つことができて、パッケージになっているので、確か5種類の銃器を試し打ちしたのを覚えている。
 お陰で銃を撃ったあの反動を忘れられないと同時にその恐ろしさにおののいてしまった。
確かにそこには命を奪う恐ろしさも内臓されていたのである。それ以後、映画などで拳銃が打たれるシーンを見るとその反動に対する体の恐怖シーンが甦って、以前の様なシーンとして見ることができなくなった。お陰で私も分別のある人間になったのである(笑)

 そんな体験をした私からすると今回の暗殺は銃と言うモノから隔離された人たちが考えた警備態勢である気がしないではなかった。それで通用したのが日本はアメリカとは真逆の銃社会であったからだ。そんな社会の要人警護のマニュアルとはこんなものであろう。
 アメリカの大統領専用車を観ればわかるように人の命を守るという事はこのようなことだということを教えてくれている。しかし、アメリカがそうなったのは現役の大統領を銃で失ってからと思われる。ジョン・F・ケネディ暗殺である。しかし、あの時は腕のいいスナイパー(狙撃者)が犯人であった。それに比べると今回のそれは中学生のような大人がネットの情報を基に作り上げた幼稚な銃である。その精度はせいぜい5メートルであろう。しかしアメリカのそれは1000メートルを優に超える。2000メートル離れていても打ち倒すことができるという。
 私は安倍首相の現場をテレビ越しで観たが普通の狙撃者なら簡単に撃てるであろう気がした。360°周りのビルの窓から撃つことができるのだからだ。しかし、日本国内で狙撃用の銃を持つなどは不可能?だが、これからはそのような状況も考えなければならないのではないかと思う。こんなことを言っては失礼だが、日本のその道のレベルは授業参観に来た親のようなレベルの様な気がしないではない。
 私はこのあたりの要人警護については先進国のアメリカの警護法をすぐにでも取り入れるべき思う。形だけではなく、そのコンセプトや哲学もである。

 多くに日本人が今回、一番驚いたのは亡くなられた安倍晋三という一政治家の偉大さかもしれない。これほど世界的に多くに人から哀悼の意を受けた日本人を知らない。
 かれは業績もそうだがその人間性が多分、グローバルな価値をもっていたのであろう。この人物がこれだけ世界のあらゆる国から惜しまれたのは彼の人間性でた実績に外ならない。
・彼を目の敵にするコメンテーターが総括として言った。“なんら政治的信条がない、たまたま政治家の家に生まれたお坊ちゃん”と言い放ったがそこにある嘘のない無垢な人間性が行った様々な活動が彼をしてこれだけ国境を越えた共感を創り出したのだろうと思う。
 日本ではこれまで正論の様にⅡ世、3世の政治家を生まないようにしようなどということが言われてきたが、それ自体無理がある議論であると思われる。これからの時代の政治家とは政治的である環境の中で豊かに育てられることが重要な気がしないではない。ちっぽけな政治的信条などは通用しない時代になってきているのだ。
昨日、国は安倍氏の功績に対して最高位の勲章を与え、讃えたが、彼がこの新しい時代にこれだけの評価をされた理由を含めて、どなたか新しい政治家像をまとめてほしいものである。

私が思うには安倍氏は何となく「人なつっこさ」や「人ったらし」のようなところがあったのではないか?でなければ、全世界から毛嫌いされているトランプ氏やプーチン氏からもこれだけの言葉はもらえないからである。あの世でも日本のために頑張ってほしい人である。冥福を祈りたい。今日、本葬である(2022年7月12日)          T.I

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