ブランドワークス

Column

ヘンリーライクロフトの私記

 本考の発想はジョージ・ギシングの書いた「ヘンリーライクロフトの私記」にある。この本は私の人生のモラトリアムともいえる時期に読んで深い感銘を与えてくれた。そう考えると、現在の私の生活はこの本の中で語られているライクロフト氏をトレースしたものに外ならない気がしないではない。
 この本を知ったきっかけは高校時代の英語の課題に出たことで知ったのだが、英語のテキストの例文としてこの本の中の一節が使われるくらいであるので正統派の英国文学であったのだろう。
 私がこの本で今でも覚えているのは貧しいがゆえに憧れのイタリアに行くこともままならず、その焦燥から身辺にあるイタリアに関する本やラテン語の本を処分したという記述で、その背景と焦燥がその頃の私と同じであったことで深い感銘を覚えたのであった。
 
当時の私はイギリスからイタリアに行くことなどイギリス人にとっては造作もないことなのではないか?こっちは極東の日本からイタリアにいくのだぜ!と、その絶望のほどが分かるというものであった。ただ、当時のイギリスの貧しい文筆家であるライクロフト氏にとってのイタリアへの距離は日本とイギリスとの物理的な距離ではないのだろう。
 もう一つ彼の生活をものがたる話があった。それはビジネスマンへの早朝のラテン語の家庭教師の話であった。その仕事が良かったのはその仕事が終わった後、その屋敷で朝食に与れるということで、バタ―付きのパンと紅茶の朝食を食べることができる喜びの話であった。彼はその貧しさゆえに朝食を抜くこともしばしばであったからだ。
 その彼が念願のイタリアに行くことができたのは予期しない人の遺産を相続することになった偶然である。それはどうも近親者ではなく友人のようであったが、日本人の若い私でさえ、そのような遺産を他人から譲り受けるということは聞いたことがなかったので信じられなかった。というよりいわゆる小説の物語として受け取っていたのだが、その後、英国の文化というか慣習としてそのようなことは慣習としてあるようであった。いわゆる、私淑する人に遺産を贈るという文化である。
 ヘンリーライクロフト氏は早速その善意の遺贈によって田舎に引っ込むことになるのだが、記憶する限りその場所はデボンシャーと思っているが?この本の舞台の多くはそこでの生活の中で生み出された物語という設定である。

 私は本考を書くにあたり確認のためその本を本棚から探そうとしたが見つからない。私の持っていたのは岩波文庫の小さな薄い本であったと記憶している。ただ、その表紙は古く書名なども薄れてきて私の視力では簡単に見分けられないようであった。
 ギシングの他の本を探したが手にできたのは「三文文士」というハードカバーの当時の新刊本であった。その索引の中にギシングについての記述があった。読んでみるとまさに、遺贈を受ける前のヘンリーライクロフトそのものでその中の記述にあの有名なH.Gウェルズが死に体のギシングを発見して、可能な限りの手当てをして、滋養のある食事などを与えて介抱したということなどが書いてあった。

 そう言えば「三文文士」という小説、もう半世紀前に読んだ本の内容はうろ覚えの程度ではあるが、売れない作家を書いた小説家の話のような気がしている。しかしオリジナルは「NEW GRUB STREET」というのだが、ロンドン市内にあるこの通りは現在、Milton
Street 改名したらしく、以前は貧乏文士が住んでいた通りらしい。
この通りを調べようとスマホで見ても分からず、グーグル翻訳で調べても出ない。仕方なく私が高校生時代に使っていた研究社の新簡約英和辞典で調べると「Grub Street(現今のMilton Street;貧乏文士が住んでいた)」と記載してあった。“ああ、やはり、頼りになるのはこの辞書だ!”あらためて、1963年発刊の辞書に感謝。
 私はロンドンをいくらか知っているので地図を調べるとバービカンセンターの近くなので何となく文化・教育とビジネス街が混在したような地区で英国人の友人が騒がしい処だよ!と言っていたようだった。元Grub Street をストリートビューで見ると三文文士の面影などはないビジネス街の裏通りのような感じであった。

 ちなみにこのギシング氏の人生を見ると一言でいうと女で失敗した典型で、学生時代に入れ込んだ女に貢いだ結果その女を助けようとしてお金に行き詰り、学友の金銭を盗んだかどで退学になり、文士を目指さざるをえなかったようだ。そして、そんな中でまた、その女と出会って今度は結婚したのだが、ともかくアルコール中毒のその女との生活についていけなくなって別れ、フランス人の女性と結婚してフランスに住んだのはいいが、今度はそこで体をこわし・・・というような人生だったようだ。しかし、何となく日本にもいるような貧乏文士の典型のような人である。
 そんな悲惨な人生だったから、あの静謐な、そして美しい小説「ヘンリーライクロフトの私記」を書けたのかもしれない。「The private papers of Henry Ryecroft」がオリジナル
の書名である。ここに英国人の理想の生き方が描かれている気がしないではない。
                                     T.I
2022年6月6日

Share on Facebook