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Column

シャーロック ホームズのインテリア

グラナダテレビ制作の シャーロック ホームズドラマが日本で放映されたのは1984年と言われるので今から38年前である。その内容は創作ではなく、オリジナルをキチンとドラマにしたことが、シャーロッキアンにとって歓迎すべき出来事であったと思われる。
 37歳の私はそのドラマの舞台であるヴィクトリア朝のイギリスの設えの中で展開されるドラマに正直ワクワクして毎週楽しみにしていた。その時、私はその十年近く前にイギリスに行っただけではあったがその旅行自体が驚くほどシャーロックホームズ詣的であった。  
ロンドンではベーカー街221Bに立ち寄り、ホームズ博物館を見に行き、近くのパブ、シャーロック ホームズ亭でエールを飲み、スイスに行った際にははるばるチューリッヒから一日かけてライヘンバッハの滝に出かけた。47年前の話である。
 それでも1984年に放映されたテレビドラマにおける演出のリアリティの価値は分からなかった。その後、50歳代の10年間に家族で毎年イギリスに出かけ、どちらかというとホームズドラマの典型のような設えを施したヴィクトリア朝のホテルを定宿としてロンドンを中心に動いた。お陰でイギリス風のインテリアについての触りくらいは分かるようになった。要するにさまざまなモノが部屋中にあふれていながら整然と美しいということ。
 
シャーロックホームズのドラマでは比較的裕福な住まいが舞台になるのだが、いつの間にかそのような住まいがいかにもイギリスに旅行に来たという満足感を与えてくれることに気づいた。したがって、概観、部屋の設え、サービスなどの理想を求めて、パークレーン、クラリッジス、ブラウンズ、サボイ、デュークスなどのハイクラスのホテルに泊まったが結局、クラリッジスに落ち着いたという経緯があった。
しかし、この中で一番ヴィクトリア風だったのがブラウンズだった。このアガサ・クリスティーご愛用のホテル、なるほど彼女が気に入るようなこじんまりした英国風の上品さを持ったホテルであったが、夏に行った時、エアコンがない上に厨房の上の部屋ということで閉口したのを契機にクラリッジスに変更したのだった(当時ロンドンの5つ星ホテルsavoyも同様でイギリス人の友人も私の話を聞いてクラリッジスに変えたのだが、イギリスでは冷房装置がないのが当たり前の時代であった)
ただ、クラリッジスは英国風ではあったヴィクトリア朝というよりモダンヴィクトリア朝という感じで、それだけは不満であったことを思い出す。ただ、メインのレストランや部屋によってはヴィクトリア朝の部屋もあった気がしないではなかった。一度などだけだが泊った前室付きのスイートルームなどはまさにシャーロックホームズドラマの貴族の居間のような感じだった。
 ただ、完璧にそれを形にしていたのは地方都市にあるマナーハウスホテル(ダウントンアビーのような本物の貴族の館をホテル仕様に改築)であった。ロンドンの郊外でインターブランドのコンファレンスが開催されたが、そこは全てがまさに映画そのもので、一番の驚きは食後に執事が葉巻の箱をもって席に来た時であった。私は20代の頃より葉巻を愛用していたのでそんなサービスは願ってもないことであった。一本選ぶと、彼は吸い口をカットしてくれたあと、丁寧に火を点じてくれたのである。忘れられない体験だった。
それから郊外のマナーハウスを必ず定宿にすることによって満足度が高いことが分かり、そのようなホテルチェーンSLHを知り、家族でヨークのマナーハウスに泊まった時は何とも優雅な数日を過ごしたものである。ホテルの近くに競馬場があり、そこが散歩道の脇にあったので、ホームズ譚の「銀星号事件」の舞台のようなところであった。したがって、そのようなホテルは庭も英国風のものであり、小さな娘は秘密の花園に入る入口がレンガ塀の中にあるに違いないと思って蔦の合間に分け入って一生懸命に探していたことが今でも目に浮かぶ。

 これらの経験は自宅のインテリアを改装する時に役だった気がしている。運よくその頃アンティーク家具が流行り出し、その走りが目黒通りというかつて住んでいたところの近くに多くがオープンしたというのも手伝って、まず、キャビネットを手に入れた、引き出しと鏡がついたもので、100年以上も前のイギリスで使われていたものであった。それはヴォリューム的にもインパクトがあったが、これを置いてしまうとリビングルームはちぐはぐになってしまった。つまり、映画のセットの大道具置き場?ようになってしまい、その解決法として二つの選択を迫られた。
すなわち、このキャビネットを廃棄するか、それ以外の全てをキャビネットに合わせるか?であった。というのは全てを変えるということはいわゆる英国風のインテリアに変えるのである。しかし、これほど無茶なことはなかった。というのは一応、今まで本場でそれを体験したが、それをこの日本で具体化するというのはかなり困難が伴う。
というのはそんなものをデザインできる?コーディネートできる人はいなかったからだ。日本にいるインテリアデザイナーは基本的にトレンディ―なモダンデザインしかできないからである。
 なぜ、そう言いきれるのかというとインテリアデザインとはそのデザイナーの生活体験の中でしか生まれないからだ。まあ所詮、私がデザインしたのも疑似ヴィクトリア朝でしかないであろうが?
また、それが出来ない理由のもう一つは小道具が手に入らないことである。たとえば、その時代の絵画、これが多分、最大の難関だろう。ヴィクトリア時代の巨大な絵画などどうするのか?これをルノアールでごまかそうものなら、化けの皮が剥がれることになる。ところがひょんなことから私はヴィクトリア朝の絵画を仕入れる方法を会得できた。
ある日、ボンドストリートのサザビーズ本店のPreviewで素晴らしい絵と出会う。そしてそれをどうにかして手に入れたいと思った。スコットランドの画家ALEX JOHNSTON描いた「Family Devotion」を£1000で手に入れたのだが、この絵は国立スコットランド国立美術館(グラスゴー美術館という説もある)に同じ絵があると聞いたが?定かではない。画家本人が同じ絵を描いたらしい?が、私の絵はインターネットで見ることもできる。
 その後、その手の絵は全部で6点になり、その他に小さいリトグラフなどを10点も飾ればそれこそ本物(に近い)のシャーロックホームズ時代のインテリアが出来てしまうのである。その他、照明器具や置物などは気長に探せば理想のもが手に入るだろう。
 このインテリアのインパクトは相当強いようである。初めて来た人は言葉を失うらしく、理由はなんと云ってよいか分からないからだと思う。見慣れないだけだ。

                                    T.I
2022年5月9日

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