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Column

藤原定家の研究

 今年の京都行初めは桜満開を予想して予定を組んだ。半年前なのだがまあ的中したと言ってよい。その分、宿泊の料金が最高のレートになっていたのでかなり豪華ではなく高価な旅行になったようだ。ただ、ホテルは閑散としていたのはやはりコロナのせいである。毎年京都に出かけるが、かねてから京の桜の時に京で過ごしたいと思ったのである。その決断を後押ししたのはこの歳ならではの切迫感ゆえである。この年齢の夫婦が揃って旅に行けるということからである。
 そんなことからだが今回のスケジュールはかなりの強行軍で歳相応という領域をはるかに超えたもので、4日間で歩いた歩数は68740歩、距離にして51.03㎞。これまでの新記録だった。旅先に滞在してゆっくりとした時を過ごすというのがわれわれの旅行スタイルだがどうもここに来ると若返ってしまうのには困ったものである。お陰で左足の二か所にパテックス!

 そんな京都は私にとっては研究の対象なのでこれまでも小説の舞台の確認とその資料探しが必ず組み込まれている。そんなことから、必ず出かける古本屋に行った。そこで手に入れた本がタイトルの「藤原定家の研究」という大著なのである。
 しかし、今、書いている著作に直接関係がある本ではないし、また、この本かなりの大著738ページもあり、図録などは一切なく、ページの版面が広く、その分、四方の余白がこれまで見たどの本より少なく、文字も小さのでぎっしり文字が詰まった本である。しかし、その内容を物語るように上製本で出版日は昭和32年3月31日、定価は1300円。今の価格に置き換えると5000円に近いのではないか?
私が11才の時に出版された本であり、著者石田吉貞はこの本で博士号を取得した。

 この著者は今では信じられないキャリアだ。明治23年(1890年)に生まれた著者は、高等小学校卒業後15年をかけて、高等教員の資格をとり小学校、中学校などの教師をしながら、本書で1955年に博士号を取り(本書はその二年後の1957年に発刊される。)これを機に大正大学、昭和女子大学などの教授を歴任した。因みに本書は著者69歳の時の出版である。その後、多くの中世和歌に関する著作を出版し、96歳の天寿を全うする。
 今でいうところの中学校しか出ていない人が15年かけて教師という職業を得て、40年かけて、本書を書いたのである。神はその努力に対してその後の30年の時間を与えたのだろう、その時間は学者としての十分と言えるかどうかわからないが、多くの研究の著書がある。
 「藤原定家の研究」を書店で見た時、手に取って数ページ捲り、目次を見てこれは読み切れるわけはないし、また、今書いている本ともあまり関係がなさそうだから?と考えて書棚に戻して帰ってきたが、どうも気がかりであった。というのは最近、私の年齢と家の中の本の量から置く場所がなくなり処分を考えたのだが、突然、気が変わりこれまで本を処分した後の後悔の念などを思い出し、家も広いのだから処分を先延ばしすることを決めたからだ。
 と言ってもやはりこの本は今書いている本とは直接、関係がない、と再度思って一晩寝ると、朝にこんなことを考えた・・今書いているのは鎌倉時代であるがこの時代の組織構造が分かるにはどうしてもこれまでの組織である朝廷やそこで働いていた人たち、いわゆる公家の世界を知らないとどうも本質的なことが分からないのではないか?という気がしてきた。
 と言っても公家の世界についてはその都度ネットから得れば良いではないかとも思ったがどうも単線の知識になる。そこで全体を把握するにはどうしたらよいかを考えた。つまり、漠然とした世界について、なんとも調べようもない基礎知識のようなものがいる気がしたのである。そこにフィットしたのがこの本であった。いわゆる言葉で明確にすることはできないが、何となく分かるというような中世の組織についての概念の事である。

最近、日本という国のあらゆる在りようは中国から古来仕入れた組織構造にあるのではないかと思っており、その組織構造とはいわゆる朝廷の運営や公家の生活を知ることなのであるからだ、そんなことを2500円で仕入れられれば安いものである。私は家内を本屋の外に待たせて、昨日見た本棚に向かいその本をもって店主のもとに向かう。
 帰りの新幹線の中で本書を見てその中身に愕然とする。第1章が「生活」というタイトルで藤原定家の「家庭生活の基礎としての家族・家」という切り口で家系を何代にもわたり遡り調べ上げ、たとえば父である藤原俊成は近親結婚の末に生まれた子ではあったがかれは秀でた方になった・・・などのような、藤原定家自身を形づくったものを何代にもわたり仔細に調べ上げているのだ。今の時代の要領のよい方法で博士号を取得しようなどという魂胆が根底にあったとしたらこのような労作は生まれなかったろう。

 公家という存在は悠久の時代の中で生きていた集団であったが本書の作者である石田吉貞博士もそのような人なのではないかと思われた。そうでもなければあの時代に生きた人が96年間の生を享受できるとは思えない。日清、日露そして太平洋戦争を自分の人生で体験していた人なのである。そういえば藤原定家もあの時代に80年間生きた人であることを思いだした、二人の共通点は歌であった。そして共通していないのは出自かもしれないが共に何ものにも流されないで自分の人生を生きてきたようである。あやかりたいものである。
                                    泉 利治
2022年4月11日

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