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Column

絶壁の彼方に

 今回のウクライナ侵攻を目の当たりにして、ウクライナという国の成り立ちを知ると日本という有史以来、一つの民族=一つの国家に所属している日本人には想像できない、事実を知って愕然とする。それらの記事をざっと読んでも、深く読んでもとてもじゃないが理解できない事実が記載されている。
 私は数えきれないくらいヨーロッパに出かけたがいわゆる西欧の観光地を中心にした旅行だったのでそんなヨーロッパを知らずに旅してきたのだなと今回は改めて思った次第だ。
そんな時に何かそれらについて知っていること、見たことなどを考えても思いつかないくらいの人生だったようだ。その中で今回のウクライナ侵攻に関して、思い浮かんだことは「絶壁の彼方に」という映画と須賀敦子さんの「トリエステの坂道」という本だけである。
 
「絶壁の彼方に」という映画は私が男優の中でもっとも好きなダクラス・フェアバンクスJrが主演している傑作である。イギリスにいたアメリカ人の医師のもと医学上の功績である国から表彰したいのでぜひ来ていただきたいと手紙がフェアバンクス演じる医師の下に来る。その国はボスニアで政治的に東欧の国家、独特な一権力者の下で国家が運営されており、そこに出向くのは危険が伴うので賛否両輪であったが医師はその表彰式に出ることに決めて出かける。しかし、その話の裏にはこの国の統治者である将軍が病気になりどうしても彼の治療を受けたいとの事であった。医師である彼は一国の為政者の治癒ということで懸命に処置を施すが、その治療の甲斐もなく亡くなってしまう。慌てた重臣どもはそれを知られてはまずいということでそれを知っている医師を殺そうとする。医師は殺されまいとして、初めての国の街中から、国境に近い村まで逃亡することになる。
 その国はその将軍のカリスマ性で国を先導してきたのでラジオ放送などで昔の放送を流して国民をごまかすなど1950年代の情報操作を駆使してごまかし続ける。そんな中を医師は最終的に山越えで逃げることになり、アルピニストの先導で絶壁を越えていくクライマックスが見せ場である。1949年作の映画だが運よくアマゾンプライムで見ることができる。私は60年以上も前に自宅の白黒テレビの深夜放送で見たのだが、その時は山越えなど何となくセットのような気がしたものだがアマゾンプライムの放映は結構きれいで山岳シーンもリアリティのあるものであった。しかし今回のプーチンを取り巻く状況はそのモデル国と全く同じなのには驚いてしまう。
この時代の映画をアマゾンプライムでよく見るがこの映画は他のどの作品よりも優れている気がしている。それはテーマの現代性であろう。ロシアとそれを取り巻く友好国が正にそのものなのであるからだ。しかし、何といってもダクラス・フェアバンクスJrの役柄と演技が素晴らしい。もし、アマゾンプライムを契約しておられたら是非見てほしい。
 
 漠然とトリエステという国も何となくそんな国なのではないかと思って考えたが、はじめトリエステとは東欧の国の名前かと思ったが須賀敦子がイタリアとフランス以外の国で暮らして本として取り上げた国などないはずだと漠然と思っていたのでwikでトリエステを調べてみると何とイタリアの都市であることを知って、驚き、地球儀でそのあたりを調べると小さくてわからず。グーグルマップを拡大して調べて、何とも不思議な境界の中だが確かにイタリアの都市であった。その地形を見ただけで政治史的にいろいろあったことが分かった。しかし、調べる気が起きない。何度読んでもそのあたりの歴史は複雑で理解できまいと思ったからだ。それなら須賀敦子さんの本を読んだ方が良さそうな気がした。
家人に聞くとトリエステは坂道が多い都市らしいが、有名な詩人がいてその人物に私淑している彼女のエッセイなのだ。 彼女の事だからそんなトリエステの歴史の中で生きてきた詩人を追憶しているのだろう。

 もう一つ、思い出したのがトランシルバニア。そこはルーマニア辺りの古名らしいが、そこにはドラキュラのモデルになった人や城があるということだ。いずれにしても神話の国のようなところである。明らかに私が何度となく足を運んだヨーロッパとは違う気がしないではない。
 一度こんなことがあったクリスマスをウィーンで過ごした私たち家族はウィーンの西駅から列車でベネツィアに行くことになった。時期が時期だけにプラットフォームには私たち家族のほか乗車客はいなかった。現に乗って分かったことは車両の中央にあった私たちのコンパートメントの他に乗客いなかった。雪の原野を走る列車から見る景色は映画で見るような白い世界で、景色に車両も人影もない静寂の地だった。
昼食は他の車両の食堂車に行かねばならず、メニューも食べたことのないメニューであったが英語のメニューがあったので思ったものが食べられた。(因みに肉団子が入ったスープを覚えている)ここでも他の乗客はいなかった。ところがコンパートメントに戻ろうとしたがそこに行く車両の鍵を閉められて戻れなくなってしまった。困ったなと思い車掌を探しに後ろの車両に行くと、その車両には多くに人が乗っていた。そう言えばこの汽車の始発はチェコもしくはウクライナ辺りが始発であり、いわゆるそのすし詰め状態の車両はそこの人達で占められていたようであった。私はその中にまぎれていた乗務員に扉を開けてもらいコンパートメントに戻ったが、ベネツィアに着いた時は真っ暗だった。ホテルまでのゴンドラに吹く風が冷たかったことは覚えている。雪原の彼方に来たのだ。
 ともかく、ウクライナをはじめとする東欧諸国はこれまで全く縁がなかったが、これを機にこの勇気ある国について勉強しよう。きっと素晴らしい国に違いない。そして、この国は東欧諸国の希望の星になるに違いない

                                   泉 利治
2022年3月21日

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