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Column

学歴と職歴

 先日、朝日新聞のオピニオン&フォーラムの欄で「学歴分断を超えて」という特集を読んだ。それによると日本は「学歴分断社会」であるらしい。
 日本では最終学歴が大卒(大卒、短大卒、高専卒)か非大卒(中卒、高卒、専門学校卒)かで社会に出てから大きな社会経済的な格差が生まれるという話でこれを主張している社会学者が言っている説である。
 それを自分に当てはめて考えると私は非大卒で生涯年収も少ないということになる。その上、社会的にはさまざな上昇する機会を制限されている。そしてその構造はどうもそれぞれ次の世代に引き繋がれているという事なのだ。つまり、大卒の親を持つ子は大学に進学するし、非大学の親を持つ子は大学進学をしないという傾向が数値的にも出ているという事である。したがって、このような不平等が日本の社会に知らず知らずのうちにはびこっており、その現状は改善する必要があるという趣旨なのである。

 たしかに私がホンダに入った時のホンダの給与システムでは大卒の入社後の給与はⅢ等級からスタートするが非大学卒といっても中、高、専門学校では違っていたがⅠ、Ⅱ、等級のいずれかからスタートする。たとえば中学校卒の人が入社するとⅠ等級1号になり、たとえばⅠ等級が1万円、1号が100円になるので入社すると初任給は10100円ということになり、次の年にはその人の仕事の内容により査定されS,A,B,Cのランクがついて、S査定がつくと4号上がるので、次の年の毎月の給与は1万500円、普通の仕事をした人はB査定なので200円アップして1万300円となる。ところが大卒者Ⅲ等級は3万円、1号は300円になるので入社してもらう辞令には30300円ということになり、最初の年の中卒の人の年収は121200円、大卒の人の年収は363600円になる。入社一年後の差は242400の差になり、この差の結果、生涯獲得収入の差は信じられない差となってしまう。
 しかし、この間中卒者で努力する人の等級は変わらずとも、それに応じてS,A,B,Cの額も上がるので徐々に普通の大卒者以上のUP率になるだろうが、中卒者と大卒者は担当する仕事の内容も質も高くなるわけだからそれを不公平というわけにはいかないと思う。
また、それは当たり前であった。まず初任給時の年齢が違った。大卒は22~23歳で入社するし、中卒は16歳くらいで入社するので7年の差があるからだろう。それにその7年間の教育コストを考えると初任給が違って当たり前である。と思っていたのであまり違和感はなかった。ただ家内と結婚してからは私の年齢と仕事の内容から見ると給与は決して高いわけではないと指摘されたのがショックであった。
 したがって、その頃はホンダに入社して13年になろうとしていたので給与システムにおいて非大卒者の悲哀を受けていたのかもしれない。だが、これは教育ということに対してコストをかけてこなかったことで本人は納得が出来たが、それならその構造の中で努力する愚を回避するために考えなければならないことであった。
 というのは私には不利な学歴パラダイムの中で格闘する愚を早く気づくことであったのだ。そこで気づいたのが職歴というもう一つのパラダイムであった。
私は事務所移転という非常事態を機にホンダを辞めたのだが、この頃のホンダは社会的価値と言うモノが現在の比ではなかった。自動車産業、それもホンダは経済界の花型企業であった。実際はホンダの子会社であったが、社会的にはHONDAであったので次の会社の転職では当時、一世を風靡していたCIコンサルタント会社であり、入社を希望する人が2年後でないと面接が出来ないくらいの入社希望者が多い会社であったが、即面接が出来て直ぐに入社が決まった。その上、給与が年収ベースで2倍弱になったのである。この時に社会的な人間の価値は職歴で決まるのだなと実感したが、その後も職歴を生かした転職を繰り返したのだが、今になって考えてみると私の場合専門学校で工業デザインを選択したのが良かった気がしている。その頃の日本社会はデザイナーを必要としていながらデザイナーがいない時代であったからだ。私は将来的に社会が必要とされる職種の隙間に潜り込んだだけなのである。
今ならどんな大学でもデザイン部門があるのでデザイナー志望の学生は腐れるほどいるようである。その上、国の成長が緩慢なので余程優秀でないと一流の企業には務められないだろう。その点、私はただデザインを3年間学んだというレベルでHONDAに入社できたのである。それでもHONDAにいる限り生涯年収を見るとフツーの仕事をしていた大卒者と変わらなかったかもしれない。とすると問題は固定化した査定のシステムにあるような気がしないではないが、そうともいえないのが職種の違いもある。
たとえば設計部門に配属された大卒者と中卒者を考えると大卒者が学んだ高等数学を使わないと自動車の構造計算はできないだろうし、それなくして自動車は造れないわけだからである。
ただ、文系の人の場合のそのあたりの差は分からない。特に文学部の人の大卒者と中卒者が同じセールスで新規開拓をやってもその差はつかないだろうが、もし、セールスマニュアルを作るというようなプロジェクトが生まれたら、大卒者が担当するだろう、能力はブラックボックスだが何らかの潜在能力がある可能性を見込まれるからだ。
私の場合、高度成長期のデザイナーという職種が良かった。大学でデザインを学んだ人とデザイン専門学校を出た人が同じ自動車のデザインをする場合、描かれたデザイン画を見る限りその差は全くないからであった。何年かすると給与が違わなくなる。しかし、何かのステップアップのイベントがある場合、たとえば役職が付く場合などではやはり差がつくのである。
マイケル・サンデルや当の社会学者も配管工や電気技師など大卒学歴を必要としないが尊敬される仕事を学べる場を増やすべきと言ってはいるが尊敬と収入は別物であるので問題をすり替えているような気がしないではない。
                                   泉 利治
2021年3月7日

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