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Column

何を書くか

 本考で一番苦労するのは書くべき事を思いつくことである。本考はいたって個人的な手記のようなものであるので、いわゆる日記のようなものである。最大の特徴は私という人間がその時に、というより正確を記すならばその週に何を考えていたかが分かることである。週という時間軸の中で思い付いたこと書いているので10年以上も書き続けられているのだろうと思う。
 しかし、何も思いつかないこともある。そんな時は真剣に書くべきテーマを模索するが、通常は朝、目が覚めて寝床でくだくだしている時に思い浮かぶことが多い。その場合、そうだ!これを書こうということになる。したがって、何を書くかという思い付きについて書こうということになる。
 今、頭にある事は本日予約したマイナンバーカードについてと、オリンピック北京大会のドーピングで考えたブラック国家について、それとやはりオリンピックそのもののブラック度合いについて。あと執筆中の「光悦はばたく」の展開について、これはかなり迷走しているのでこれをどうレールに乗せるかという事。あとチェロの買い替えについてくらいだろう。
 まあ、マイナンバーカードはスムースにいけばいいだけのことでそれ以上の何もない。しかし、オリンピックに関しては今回は何かと不審に思えることが多い大会である。一言で言えば人間のやることなので都合のいいように物事が決定されてしまうことである。とくにワリエワというロシアのスケーターのドーピング問題はロシア的茶番の様相を呈してきた。
ドーピングの疑いは15歳の彼女が間違えて祖父の心臓の薬を飲んでしまった結果がドーピングと間違えられてしまったので、これは事故のようなものだと言いたいのであろう。一番すごいことはこの大舞台でそんな理由を大上段に発言できるメンタリティーである。
ロシアは中国を超える茶番国家である。何となくそれを口にしている、したり顔のプーチンのあの顔が思い浮かぶのは、何となくイメージしてもらえるだろう。
 でも、最近はそのようなことがすぐに暴露ニュースとなって耳に入るようになったので何となく悲壮感というより、ニュースイベントのような気がするようになったのはいいのか悪いのか分からない。ロシアという国は巨大な田舎国家のような気がしないではない。が、ロシアの私のイメージは最近、私の中ではすこぶるいいのである。
 理由は何年か前に見た、何十年かに一度必ず開催されるクラムスコイの描いた「忘れえぬ人」の開催で紹介されたロシア絵画の素晴らしさのせいである。ロシアとはヨーロツパの田舎という感じでそのスケールたるや半端のないものだ。英語でいうCountry sideなんていうような生易しいものではない。 体験として北回りのヨーロッパ便であのシベリア上空を飛んだ経験があるからだろう。名の知られていないロシアの画家たちがそんなロシアの田舎の風景を的確に描いているからである。そこにはロシア共産党色がなく、まるで英国の風景画のようなタッチで気品高く描かれていた。いつもそれを思うとあの催しのカタログを買ってこなかったことを後悔している。ネットで探すか東急文化村でまだ、売っているかもしれないと密かな希望を持っている。
 ロシアのあの風景を映像で見たのは映画「ひまわり」に映し出されたひまわり畑や都会に働きに出た人が乗って家に戻る汽車、駅などを思い浮かべる。ロシア戦線で命を救われた女性とロシアで結婚して祖国イタリアと妻を捨てた男にまつわる女の悲しみを描いた名作である。日本と同じ側で戦ったイタリアにもこのようなことがあったのだと気づかされたものである。

 たしかにロシアという国はマルクスとレーニンのお陰でエラク風情のない国になってしまったが共産党政権が倒れてから変わるかと思ったが共産主義色は薄まったようだが、どうもその時に培われた大国意識が尾を引いてまだ、人々が住みよい国にはなっていないようだ。
 まったくその通りのことがここ何日か日本国民はおろか世界を巻き込んだニュースになっている。ロシアのフィギュアスケート女子選手のドーピング問題である。金メダル確実な15歳の少女カミラ・ワリエワが白か黒かは別にして、彼女が15歳という年齢を考慮して競技に参加させる判断をしたのであった。
しかし、そのやり場のない批判とは別に当の彼女が金メダルどころかメダルを取れなかったことへのコーチの冷ややかな対応、嗚咽する15歳の少女、多くの人の行き場のない怒りの対象が刻一刻変化する様はロシアのウクライナ進攻危機と相まって出口の見えない状況に陥っているのである。
  
 それにしてもロシアの問題はあの時のボタンの掛け違いが今もって解決の糸口が見つからない現状を象徴的に表している。15歳の少女はその人身御供になったとしか思えない。
その昔の幻想を追っているプーチンにはロシアのあるべき姿を描くことが出来ないだろ
う。ロシアをかつての大国にする夢は大きいのかもしれないがそれを達成する手段を考えられない貧しい頭脳の持ち主なのだ。それはオリンピックの目的はメダルの数を増やすことであるくらいにしか考えられない頭脳しか持ち合わせていないことでも分かる。あの美しいロシアを構築するにはもう少し時間を必要とするしかない。聡明な統治者が現れるまで。
                                    泉 利治
2022年2月28日

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