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Column

東海地方との縁

 2022年に書く初めての本考になる。昨日が元旦だったので初詣に行く。ここ5年くらいほぼ同じコースである。三が日の自動車乗り入れ禁止の道を自転車で出かける。建長寺→材木座八雲神社→海岸波打ち際コース→坂の下御霊神社という市内半周コースルート。これが続いているということは今年も元旦に雨が降っていないという事である。海岸の波打ち際を自転車で走るのであるが日本の冬は美しい、遠い島影が見えるが大島と思われる。それだけ天気が良いのである。
 この初詣では昨年のお札やしめ縄などを納めに行くのと新しいそれを頂きに行くことが本来の目的になる。最初に建長寺に行くのはこの寺が好きであるからで、五山の第一位ということもあるが開山の蘭渓道隆に私淑しているからだ。また、この寺のおおらかさや御本尊である地蔵菩薩に親しみを感じるのかもしれない。地蔵さまが好きなのは多分、祖母の影響かと思う、子どもの頃、寝物語で地蔵様の話を聞いたことによる。それにしても祖母の話は面白かった。あの時代、祖母の家ではテレビは勿論、ラジオも聞いた記憶はない。面白い話はみな家族の話であった。
 格式の高い寺の御本尊が地蔵菩薩というのはほとんど聞かない、地蔵菩薩という佛は位が低い佛らしく、そんな佛を御本尊にすると格式の低い寺と思われるのを避けるためであるらしい。しかし、建長寺は鎌倉五山の第一位であるし、なんといっても日本禅宗の発祥の寺なのだ。以前、この理由については書いた。

 本題に入る。私が東海地方の人と縁が深いのは私の祖先が東海地方だからなのではないかということを言われた?友人のお母さんがそのようなことを言ったらしい。私が熊本出身の父を持つという話を聞いて、名古屋の友人との縁に対してお母さんが名古屋城も熊本城も加藤清正がつくったので名古屋生まれの加藤清正が天正14年佐々成政に代わって肥後を治めることで熊本に行った時に私の祖先も一緒に熊本に行ったのだろうということらしい。たしかに在りうる話である。私がこの話に飛びついたのは今から10年近く前に熊本に出向いて我が先祖のルーツの痕跡探しに行ったが明治以前が分からなかった体験があるからだ。
 その話に魅かれたのは私の人生において手を差し伸べてくれた多くの人が東海地方の人であったという事である。これは以前から不思議に思っていたことでもあった。とくに職業人生ではその人たちがいなければ現在の私はありえないくらいなのである。

東海地方とは一般的に愛知県、三重県、静岡県と言われているが、この三県出身の人たちから大いにお世話になったのだ。まず、ホンダの塩崎専務、カゴメの伊藤社長、百五銀行の川喜田頭取、青山学院の堀田理事長である。それぞれの会社もホンダは静岡県、カゴメは愛知県、百五銀行は三重県である。
 そんなことに思い至ったのが青山学院の堀田理事長の出身が三重県であることを知って
から、なんとはない奇縁のようなものを感じたのが最初であった。そんな奇縁がここ何年間もくすぶっていた際に友人のお母さんが口にした400年近く前の話である。昔からこの手の話には異常な反応をする私の性格と相まって!これか・・・!と感嘆してしまったのである。

 “熊本城が見える、川の傍、浄土真宗”という亡き父の我がルーツである菩提寺のヒント、我が父もそれを探していたのだろう。そして結局わからなかった?今になって考えるとそれしかない。ただ、父の写真の一枚に同じくらいの地元の老人と写っている写真があった。この人は泉家の墓守をしていてくれている人だ!という話を私はじかに父から聞いたので菩提寺はわかっていたのかもしれない。
 熊本というところを知らなかった私はそのヒントがあれば直ぐに探せるだろうと思ったが熊本市内には川が無数に流れており、浄土真宗の寺も100近くあるうえ、市内のどこからも熊本城は見えたので、まったくヒントにはならなかった。あの当時インターネットがなかったのですべての浄土真宗の寺に往復はがきを出して確認したが分からなかった。ただ、寺はこのような問い合わせには親切に答えてくれて、無回答はひとつもなかった。 
その後、はじめて熊本を訪ね本籍地とその学区から小学校を割り出して学校に出向きそこから調べたがこれなども学籍簿が戦災で焼けたとか、水害で流されたとかで八方塞がりで分からなかったのだ。

 しかし、どうして先祖について知りたいのだろうか?人それぞれ理由は違うだろうと思う。私の場合は一言で言うと自分という人間のアイデンティティの確認というところに行き着くのではないかと思う。自分という人間の本来の姿、いわゆる遺伝子に組み込まれた完成予想図というものがどのようなものかという事である。
 何人かの先祖の生きざまをみると自分の限界や可能性などが分かるような気がするからである。それは自分がするべき努力のバロメーターになるような気がしないではない。
ここまでの75年の人生を総括するということではなく、再確認したいことからである。
 その時の解答でもう少し自分は努力をすべきだったのか?まあまあなのか、良くやった!なのか、人生を間違えていたのか・・・?
なんとはなく自分をゲームの主人公にして楽しむということかもしれない。その中で東海地方の方々に助けてもらったのだろう。何かの縁があって・・・・
                                   泉 利治
2022年1月17日

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