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Column

光悦はばたく

 何度か書いたが、本考の始まりは文章が自在に書けるようになるという目的を達成するための練習であった。そこには別に上手くなくても良いという但し書きがある。ようするに本考は即興演奏のように頭に思い浮かんだものをすぐに弾けるように(書けるように)なりたいということを実現することにあった。

 リタイアした後、何となく小説でも書いてみようかと思った。書きたいテーマがあったからだ。俵屋宗達の空白の年月についての物語を、「宗達はじまる」である。俵屋宗達は謎の多い絵師である。たとえば生まれた経緯も、亡くなった日時や場所も分からない。分かっているのは20才代であろう平家納経の修復と醍醐寺に残された舞楽図の間の活動だけで約30年位の間だけである。超有名な作品である「風神雷神図屏風」でさえ、だれから依頼されて、何年頃描かれた、それがなぜ建仁寺にあるのかなどは分からない・・・?
 謎だらけの絵師について書いてみようと思ったのが「宗達はじまる」である。したがってこの小説は宗達が生まれてから世に出るまでと、亡くなるまでの数年間について書いた小説である。この小説が面白く書けたのでコンペにでも出してみようと思い、応募したが見事に落選、落ちた本人は見る目がない審査員じゃしょうがないか?と自分を慰め、デスクの脇に積んでいたのだが、そんな時にアマゾンKindleで電子出版できることを知り5年くらい前に出版した。
 私はこの稀代の絵師俵屋宗達の新しい世界を開拓したという自負を込めてそのタイトルを「宗達はじまる」としたのである。ところがこの本、出版後5年近くになるが、ほぼ毎日、どこかで誰かが読んでいるのである。お陰で印税が毎月銀行口座に振込まれるというからやめられないと思いきや後が続かない!

 そんな素人歴史小説家の私がその後、着眼したテーマは「本阿弥光悦」。俵屋宗達の才能を認め、世に広めた立役者である。小説の価値とはテーマの斬新さである。そこで光悦の何を書いたら良いかということを考えて思い付いたのが本阿弥光悦を生み出した本阿弥家に着眼したのである。本阿弥家は八百年続く家である。日本には茶道の千家や茶碗の楽家のような家が存在しているが本阿弥家も同じである。たとえば現在、鶴岡八幡宮に伝わる名刀展を公開している。(12月5日まで)鶴岡八幡宮には武運を祈って古来、太刀や刀などの刀剣類が奉納された、その数80振りと言われている。この80振りの刀剣を維持・管理しているのが本阿弥光次氏である。
 本阿弥家は刀剣の研ぎ、拭い、鑑定を生業としている。〝研ぎ“とは刀鍛冶が打った刀の最終仕上げをする仕事、〝拭い”は日頃のメンテナンス、鑑定は作者等を判定し、価値を評価する仕事である。
 本阿弥家は千家や楽家とは違い、血によってその命脈が保たれているわけではなく、いわゆるその技量によって弟子たちに本阿弥という名を使うことを許す点においての違いはある。その結果、時と共に10以上の本家分家があるのは、その結果である。国会図書館にある家系譜を見るとその多さに驚いてしまう。因みに光悦の系統は本家ではなく分派である。私はそれでなくとも書かれることが少ない本阿弥家と光悦をその始まりから書くことを思いつき本阿弥家の十二家系譜に則って書いてみようという気になった。このイカロスのような挑戦は素人作家ならではの挑戦であろう。
 
その始まりは「菅家五条季長卿弟長春」から始まる、この長春という人物、文治二年に百歳近くで亡くなっているので1253年の生まれになり、鎌倉時代の真最中である。光悦はその初代から200年後に生まれており本阿弥家を刀剣からいわゆる芸術全般に広げた立役者である。
 そうなるとその家譜図の信憑性などが問われるが小説の目的は真実の追求以上に残された情報からどのくらいの物語を書けるかが目的であるので気にせずに、その家譜図に従い書いてみようと思ったのだ・・・しかし、想像力を巡らさないと書けるものではなかった、それも1000年間にわたるとなると一筋縄ではいかない。
 私はこの本を五輪の塔になぞらえて地・水・火・風・空の五部作にしようと考え、ともかく「地の巻」は書き上げたが、想像以上に、取材と研究をしないと書けるものではなかった。
現在の「水の巻」を執筆中にあるクライアントから未来戦略のプロジェクトの参画をお願いされ8カ月もそちらに忙殺されたので身辺から光悦関連の資料を置けなくなってしまい、ともかく、徐々に身の回りから光悦の資料はフェードアウトせざるをえなくなった。
 そして、8カ月のブランクの後、いざ取り掛かったのだが物理的な問題と生理的な問題のため、意外とすぐには動くことができなかった。物理的な理由とは資料等がどこに行ったのはわからなくなった。生理的な理由とは微妙な記憶が失われてしまい、物語の裏付けが取れなくなってしまったことなどである。前者の例はいざ書き始めようと思ったはいいが身辺にあるのは大学関連のそれもアメリカの大学の資料ばかりで困ったこと。
たとえば鎌倉時代の古地図を苦労して手に入れたが、その資料が見当たらず一日かけて探す始末。必要な資料がなかったら別の資料で間に合わせればよいではないかと思うかもしれないが歳をとったこともあり頭の切り替えができない。 
 しがって、これまで書き終えた「光悦はばたく・水の巻」を再読して、記憶を新たにすることからまず始めることが今やるべき事であることに気づいて、粛々と取り組み始めたのである。光悦ならぬ校閲中??「光悦はばたく」を来年の春には出版したいものである。
                                   泉 利治
2021年11月29日

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