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Column

最後の事件

 コナン・ドイル卿がシャーロック・ホームズを殺して早く、自分の意に沿った歴史小説を書きたいとの思いから、The Final Problemを書いた。ドイルはこの稀代の名探偵を葬り去るにふさわしい方法に苦慮したに違いない。
そして、思い付いたのはイギリスから離れた場所で宿敵と戦い、いわゆる相打ちになってこの世から消すことであった。相打ちとするからにはホームズと同じくらいの実力を持った悪人でないと困る。そこで登場するのがモリアーティ教授である。この教授の後ろにはa mighty organization( 強大な組織)があるらしく教授はそこの下で仕事をしているらしい。ジェームス・ボンドでいうとスペクターである。
ホームズはその決闘の場所として選んだのがスイスのマイリンゲンにある、ライヘンバッハの滝である。「最後の事件」は謎が多い物語と言われている。なぜ、決闘の場所がライヘンバッハの滝なのか分からない。数多のシャーロッキアンも苦慮していた。私が50年間考えた末の結論はその場所を選んだのはホームズ自身なのではないかと思った。しかし、それがなぜ、スイスのマイリンゲンのライヘンバッハの滝なのかはわからない。
ホームズは世事に明るかった。なぜならば世の中の様々な出来事は探偵業を生業にする人にとってまさに宝庫であったからだ。多分、ホームズは雪解けの水が押し寄せる滝に身を投じることで悪の権化を葬り去ることが確実な方法と考えたのであろう。モリアーティを切り離して、ホームグランドのロンドンから遠ざける。これ以上の策はない。新聞か何かでライヘンバッハの滝を知ったのだろうか?

 「最後の事件」は私が好きな物語である。そして、私は50年前にこの地に出かけてその決闘の場所を見に行ったのである。今では簡単に行けるヨーロッパであるが当時ヨーロッパに行くには羽田空港しかなかった。ルートは北回りと南回りのいずれかを選ぶことができた時代で、北回りはアラスカで給油しないとロンドンには着けなかった。南回りは確か東南アジアから中東を経由して30時間くらいかかった。飛行機初体験者の私にはそれも魅力であったが、それより早くヨーロッパに行きたい方が勝ったので北回りを選んだ。
 私はチューリヒに4日間滞在した。その中の一日をホームズとモリアーティの決闘現場の確認に出かけたのである。いま、グーグルマップで見るとそこがいかに辺鄙な場所かわかる。当時、そんなところに来る人はさぞかし少なかったろうと思う。
 どんな駅かと思いグーグルマップで調べるとローカル線の無人駅だったが、当時もそんな駅であった。ただ駅の前にライヘンバッハ行のマイクロバスがいて、それに乗って終点で下り、そこからケーブルカーに乗って滝の近くまで行った。しかし、8月だったので滝はなく?ただ、崖だけがあった。どうもこの滝は雪解けの水で成り立っているので夏には水がない滝ということになる?だから、テレビで初めてライヘンバッハの滝を見たことになる。
今でも覚えているのがケーブルカーの車掌が下車する時に行きはメルシーとフランス語で言ったが帰りはダンケシェーンとドイツ語で言ったことであった。行きのケーブルカーの車掌はジュネーブ地区出身の車掌で、帰りのケーブルカーの車掌はチューリッヒ地区出身か?というのがスイスはドイツ語とフランス語とロマンス語と言う3か国語を話す国民で構成されていると当時の旅行案内書に書いてあったのだがその通りであった。ジュネーブはフランス語が主流だがチューリッヒはドイツ語が主流であり、マイリンゲンはその中間の位置にあった小さな町である。ここが有名になったのはシャーロック・ホームズのお陰だなと思ったがドイルがなぜ、そんな辺鄙な場所を選んだのか知りたいものである。

しかし、ライヘンバッハの滝でホームズを永遠に葬り去ったと思ったドイルの思惑は見事に外れる、この辺りは現代と同じでそのドイルを非難と懇願の嵐が襲ったのである。アーサー・コナン・ドイル卿はこの人々の声を無視できない立場になっていた。ただ、そのときSirの称号をもらってはいなかったので無視できたかもしれなかったが、ドイルは人々の期待に応えてシャーロック・ホームズを帰還させる。詳細は「空家事件」詳しい。
 
 BS放送で見ているグラナダテレビのホームズシリーズの再々放送の「最後の事件」の前後は前が「赤髪連盟」後ろが「空家事件」であるがこの構成がなかなか考えられていると思ったのは「最後の事件」の主役であった悪の権化であるモリアーティ教授に絡んだ物語であるからだ。今回気づかなかったが本だけを読んだのではその流れは分からないだろう。とくに「赤髪連盟」ではモリアーティ教授を名指しで書いてあるわけではないからだ。
・・・ぼくの相手がロンドンきっての沈着大胆な悪党だとわかった・・・とだけ書いてあり、読者はその人物がモリアーティ教授であるなどということは分からない。その点、テレビシリーズではここではっきりとモリアーティ教授の名をホームズが確認する。
 初めてホームズドラマを見る人のためにテレビ制作担当者は当時、ヨーロッパ随一の悪党モリアーティ教授を教えるために三つのドラマを連続して放送してくれたのである。

 シャーロック・ホームズマニアのための本の一つで「シャーロック・ホームズの見たロンドン―写真に残された名探偵の世界」という本がある。この本はシャーロック・ホームズが活躍した1800年後半から1900年初頭のホームズ譚の舞台となったロンドンの市内の当時の写真を物語別に見せてくれて説明してくれている。まさにフィクションではないホームズ本である。その徹底ぶりは見事でたとえば「赤髪連盟」でホームズとワトソンが聴きに行ったサラサーテの演奏会場やその時のチラシまで載っているのである。勿論、本物の当時の写真が・・・まさに病膏肓に入るという感じだ!
                                 泉 利治
2021年11月22日

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