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Column

忌 中

 近所のつながりが希薄な時代にはなったが、近所という意味合いは物理的に近い所というより、顔見知りの人たちが近くに住んでいるという意味の方が近いと思う。ただ、現代の都会の近所の感覚は半径100メートル以内とでも呼ぶしか言いようのない言葉になったのではないかと思う。
 鎌倉独特の地形である谷戸に住んでいる私はそれでなくとも近所という概念は葬式が出たとすれば線香をあげたい気持ちになる人たちが多く住んでいるところと言える。どちらかというとそんなに人が好きではない私がそんな気にさせる谷戸という地形はどんな地形なのかを語らなければ始まるまい。
谷戸とはいわゆる里山から平地に降りてくる谷あいの間の川の両脇にできた狭隘な平地の両側の地に家を建て住み着いているような地形である。したがって、その谷あいの家々の道の先は行き止まりであり、その道を通る人は限られており何年かするとすべて顔なじみの人たちになるのである。したがって、いくら人間嫌いでも否が応でも挨拶ぐらいはするし、天気の話くらいはすることになる。そのようないつも見る人がちょっと見なくなると引越したか、入院したか、亡くなったかのいずれかになる。

わが家の両隣は横と上にいるが双方ともあいさつ程度の人たちである。上の方は商売をしているのでその店に時々買い物に行くので横の人より話す機会があることになる。しかし、小津さんの映画のような近所づきあいではないことは確かである。
今月の初め頃、横の家で何か異変が起きたがその異変がどのようなものか分からなかった。その異変とは30年住んでいる経験から抽出できないような異変なのである。そして家人と何かおかしいね、ということが毎日の話題になった。
 その前兆の始まりはそのご主人が左手の小指に包帯を巻いて帰宅する姿を見かけたので、どうされたのですか?と訊いたら「どうも骨を折ったらしい?」という話で別れたあと家人と年を取ると骨を折りやすくなるからね・・・などと後から考えると悠長な話をしていたのであった。それから何日かして当の御主人がスーパーでの買い物の荷物を重そうに玄関までの運ぶ姿を見たのが最後であった。
 
 それから何日がして人の出入りが激しくなり、そのうち離れて住んでいる息子たちの車が家の前に止まっていることが多くなり、何かあったのだという気にさせた。しかし、その理由を確認するすべはなかった。
 ご主人が入院でもされたか、自宅で病に伏して介護の人が来ているか?などと話し合ったが、まさか亡くなったと考えるほど想像力が及ばなかった。なぜならば6月に入ってから、たわわに実った我が家の山桃を高所はさみで取り除いてくれたくらい元気だったからだ。
それから何日かして我が家の前に葬儀社の車が止まっていることに気づく。それは決定的なことを意味していた。その決定的な理由に対して、一昔前なら家の前に忌中の張り紙がして、少なからず花輪が置かれたものであり、近所の人はその家の誰かが亡くなったことを知り、当家の人に聞くまでもなくさまざまな情報がもたらされ、通夜や葬儀などの一連の儀式が知らされたものであった。
 しかし現代は家族葬と言って、家族のみで内々でやることが通常のカタチになっている。
それは亡くなった家族にとっても回りの人にとっても分かりやすく、だれも煩わせることがない。そういう流れの中ではいくら隣同士と言えど立ち入るのは失礼にあたる。
 そのような時代では他人様に「ウチの人が昨夜無くなりました」と云うのはいかにも葬儀に参列を乞うようなことになってしまう。今はそういう時代なのである。私がむかし聴いたことは人が亡くなったらそれを誰かに知らせなければならないというのが一種の社会での暗黙の了解であったが、今はどうもそれは余計なお世話という時代になったようである。

 ある夜から隣家の階段を照らすライトが一晩中灯っていることに気づいた。ああ、そうか亡くなった人の霊は49日間の忌中、この世にいてあの世で過ごす自分の居場所を決めてもらうための審判を受けるらしい。そのために隣家では夜に戻る主人のためにその足元を照らすのである。
 隣の住人とあいさつ程度の付き合い位しかなかったが、やはり何らかのアクションを起こすのが礼儀だろうと思い電話で確認し、線香でもあげさせてくださいといって普段着で出かけた。33年目で初めて隣家の敷居をまたいだことになる。案内された部屋には元気な頃の写真と位牌、骨壺が清楚に飾られてある。私は手を合わせ、その元気な頃の写真に見入った。ほんの少し前までの表情に懐かしさを感じた。そして、どうか成仏してくださいと呟いた。
                                   泉 利治
2021年10月4日

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