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Column

頃中でまだ居るのか客は帰らず

 先々週の俳句をテーマにした考の最後に・・・コロナの恐怖に怯える下々に対して575の力で元気づけてもらえないか?で締括った。ということで隗より始めよ、ではないが何か一句と考えたのが本タイトル。

 我が家は老夫婦の二人住まいであり、客は少ないのでこんな目に合うことはあまりないということよりほとんどないといっていい。そう考えると昔は人が自宅に訪ねてくるという機会が多かった気がしないではない。そうして、子どもの頃、客が来るとおとなしくしていなければならないので早く帰らないかなと思いながら、襖越しの小さな部屋でおとなしく遊んでいた気がする。子どもがおとなしく遊ぶということができない時代に育った私はその客を恨んだものであった。それに襖越しに聴こえてくる大人の話は子どもにとって面白いはずがない。そんな時に限って外に行っても、近所の遊び仲間もいなかった。
 今なら子供は自分の部屋でゲームでもやっているので、客が来ようと関係ない。自分の部屋もあるし・・・襖越しに子どもの居場所があるというのが私の時代の家庭環境であったし、住宅事情であった。

30、数年前今住んでいる家のプランニングをしていたころ、私は自分の部屋というものをつくらなかった。当時、住宅のプロジェクトを担当していた私は何となくファミリールームという心地よい言葉に小さな娘と一緒に勉強をしている姿を想像したものであったが?現実はそのファミリールームが私の書斎というか仕事場になり、家族が立ち入ることができないようなオフィスになってしまったのが何とも皮肉な話である。本来、ここで娘の勉強でも見てあげたらもう少し勉強好きの子になったのではないか?何ともいえないが。

 今年で今の家に住んで33年になるが、これだけ住んでいると家にガタが来る。台風か何かの暴風雨で寝室が雨漏りして、そのソリューションが屋根の吹き替え、外壁の防水処理・塗り替え、ベランダの改造と大工事になり老後の資金が心細くなってしまった。
 我が家は谷戸に下る中ほどにあるので階段上から我が家の屋根は見下ろすことができるので屋根の老朽化とそれに伴う見苦しさが丸見えなのである。ただ、この屋根の葺き替えをやる気になったのはこれで夏の輻射熱による室内の温度の減少をいくらかでも促進できるのではないかと思ったからだ。というのは古い屋根の上に断熱材を敷いてその上に新しい鉄板の屋根を葺くからなのである。二重屋根?になることになる。
 結果は確かにいくらかその効果もあったようだ。屋根裏部屋に行ってもいくらか涼しい。
まあ、これなら冷房費用もいくらか削減できるかもしれない?3年くらい前の台風で屋根の棟部がはがれてししまったというのも寿命が来ていたのだろう。

 家にまつわる話題は多々あるようであるが、今一番気になっていることはモノがあふれている部屋をどうするかということと、いつまでこの一軒家に住めるかということである?本来、施設に入るという選択肢も現実化してきている次元に入っているからだ。ただ、そんな話は今のところ聞きたくないが?・・・・多分、その図式はこうなるのだろう?
自動車免許返納→食品、食材の配達契約→食事そのものの配達契約→施設へ移動→墓場に移動?
 
まあ、考えてみれば3回前の本考で書いた?姥捨て山を自分自身でやるようなものだがこの新しい時代の現象のようなものをM氏に歌ってほしいものである。かなり切実なテーマだな?もしかするとM氏の残暑見舞いはそんなことを伝えようとしたのか?そう考えると今回の冒頭の俳句のタイトルテーマも上手く結びつく。M氏の洞察力にあらためて敬服せざるをえない。

頃中でまだ居るのか客は帰らず・・・・か、確かに世界観がないな?

また、頃中?なんて言う言葉はないようだ、私の持っている広辞苑にはない。俳句の世界ではあたらしい言葉を意図的につくるというのはどうなのだろうか?この場合どうも、ダジャレっぽいな。稚拙な発想だと言われそうだ。

                                 泉 利治
2021年9月20日

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