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Column

無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調

 「苦節7年」という言葉で思い出したのだが。昔、ホンダにいた頃、Y氏と言う、同僚がいた。芝浦工大を出たエンジニアだった。目黒に住んでいた彼は結局、鈴鹿への転勤を拒否して、私が辞めた何カ月後かに退職した。その彼はエンジニアとしてユニークな価値観を持った人であった。ともかく小さいものが好き?最小のものが好きだった。たとえば彼が芝浦工大を卒業する際に卒論設計のようなものがあって、どうもそれは何らかの設計図面を画いて提出するらしかったのだが、彼が挑戦したのは最低限の図面の枚数でその審査を通すことであった。彼はその課題を2枚の設計図面にまとめ教授の審査を通したのが自慢のようであった。その彼が愛用していた自動車がホンダSTEPVAN360CCであったし、オートバイは50CCのカブであった。彼はそのいずれかで目黒から通っていたのである。私のアコードの前を負けずと彼の50CCエンジンが川越街道を先導していたことを思い出す。
 何年かして彼から年賀状が届いた?それまで年賀状のやり取りはしていなかったので唐突な印象があった。その年賀状に載っていた写真が初代のHONDA Monkeyであった。その写真の下に“苦節??年やっと完成させました。”との言葉が添えてあった。それで思い出したのが彼はシンプルな初代のMonkeyが欲しくてたまらないようだがそんな初代Monkeyの新品は当時どこにも売ってはいない。そこでMonkeyを構成するパーツを一つ一つ買い集めて初代のMonkeyを組み上げたのであった。HONDAという会社は今はどうか分からないが発売した車種が現存している限りそのお客さんのためにパーツを保管して、販売しているのである。ともかく、見上げた自動車会社なのである。
 私は本考の最初の「苦節7年・・・」と打った時、そのY氏のその葉書とMonkeyとその言葉を思い出したのである。彼の苦節は私の7年どころではなかった気がしている。あの「ミニマリスト?」に比べれば私の苦節7年はまだ、まだの様な気がしないではない。

 ここでやっと本題なのだが苦節7年で弾きたかったバッハの無伴奏チェロ組曲第3番に入ることになったのである。順番から行けば本来2番をやり終えてから、その曲に入るのが順序なのだが、先生にお願いして2番を飛ばして、3番に入る事にしたのである。
 バッハの無伴奏チェロ組曲の6曲は楽譜を見る限り、難易度順に作られているようだ。したがって第1番がいちばん易しく、第6番が一番難しいことになる。当初、私は第一番の有名なプレリュードが弾けることが目標であった。因みにすべての曲は6曲の舞曲で構成されている。たとえばプレリュード、アルマンド、クーランド、サラバンド、メヌエット、ジーグの様に、である。したがって、無伴奏チェロ組曲のためにバッハは36曲の曲を作曲したことになる。この中で一番有名なのが、無伴奏チェロ組曲第1番のプレリュードである。多分、多くの人はその曲を知っているに違いない。
 私は7年かけて考えてみれば第1番を終えたのである。決してマスターをしたとは言わない。とてもじゃないが?マスターの私の基準は暗譜を成し終えた時のことを意味しているからである。ともかく、曲りなりに私が暗譜し終えたのは第一番のプレリュードだけである。年齢のせいかこれも3日弾かないと忘れてしまうのでバレンボイムの100曲を暗譜しているのとは質が違う。
 私は第1番を終えた後、次は第2番に行くべきか考えた。この曲をマスターするには早く見積もって3年はかかるかもしれない。78歳の時だ。記憶力、体力が落ちた段階でパワーを必要とする。要するに79歳から3番に挑戦するのは至難の業ではないか?それにこの曲は私が今のところ一番好きな曲だ。それを満足に弾けないで終わるの(死及び生理的障害で)は忍び難い。
 せめて、この曲のプレリュードは弾けるようになりたい。それにはどうしても親指を使う奏法をマスターしないといけない。土曜日のレッスンでも先生が楽譜を見て、親指を使わずに弾くことは出来ませんとのこと!そう考えた末の結論はどこかの予備校の先生ではないが“今でしょう!”で第3番に挑戦することになった。
 ユーチューブでその親指奏法を試してみると1分もしないで親指が痛くなる。そして、それが蛸になるまで練習して、マスターできるということであったが??それを80歳に近い老人が成しうる現実性を考えると気が遠くなる。それに、美味しいものを目の前にして食べないというストイシズムを持ち合わせていない。

 そんなことから第3番をやり始めた。私は躊躇せずにフルニエ版の楽譜を使うことにした。とてもじゃないが私の勝手な運指では弾けないことは目に見えているからだ。それにそろそろ素人の運指を卒業する時期に来ているのではないかと思われる。算数では解けない問題に直面している時代に算数しか知らない数学者の心境だ。
 バッハの器楽曲は一見、練習曲のような様相を持っている。したがって、初めて聞く人にはそこに俗にいう音楽性などはあまり感じないかもしれない。われわれの音楽体験のスタートは音楽がダイレクトに感情を刺激することから始まっている。ただ、音楽が感情を呼び起こす作用は多分に経験的なことがあるかもしれない。
私が55年前にバッハを聴いた時、この音楽は何なのだ?と思った。さっぱり分からない音楽であった。しかし、これがそれこそ300年後にも残っているということはこの音楽には何かあるに違いないと思い直し。分からないながらも3日間くらい聴き続けた。そうしたら音楽と感情のクラッチがつながる思いがした。その音楽の素晴らしさがようやくわかるようになったのである。それから半世紀してそのような原点に戻りつつあるということなのだろうか。苦節55年である。
                                  泉 利治
2021年9月6日

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