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Column

人間は一つの仮説冬銀河

 今年の夏は大雨に日本国中が痛めつけられている。コロナ、オリンピック、大雨の大三難に襲われた陰鬱な夏である。そんな雨の日、世にも陰鬱な印刷物が我が家のポストに入っていた。というのは我が家のポストは鉄平石を積み重ねたそこそこの厚みのある門壁の中をくりぬいた形でポストがある。したがって、雨が降ると水は入らないにしても石とコンクリートモルタルの間をにじみ出る湿気で数時間でいわゆる手紙等の紙はその湿気で何とも触りたくないくらいじっとりとした異物に変貌してしまうのだ。
 そんなポストの中で、その印刷物のイラストが飛び込んできた。私の年代ならばその絵柄が姥捨て山に向かう息子と老いた母であることが分かる。しかし、それは坂本スミ子のようには見えなかったし、息子は緒形拳には見えなかった。著作権を考えあえて、似せなくしたのか技量が未熟なためそうなったのか定かではなかった。そのイラストには二つの文章が入っていた。一つは「人間は一つの仮説冬銀河  作者名○○」もう一つは「姥捨」。背景の絵は雲海の上に老いた母を背負う男、遠くに山並み。雲海の上にいる二人は村からかなり離れたところにいるのだ。空は藤色、遠くが暗い。もう夕闇が近いのか、この倅は村に戻るにしては少々、遠くにき過ぎた感がある。
 それにしてもこれは何なのだ。直感的にエホバの証人か何か新興宗教のパンフレットにしか見えない。それにしては少々、稚拙だ。その絵の下に何やら呪文のような文字がぎっしりと並んでいる。私は破り捨てるためにジットリと湿った紙片を取り出した。
 
三行目から「~昨年は、せっかくの鎌倉へのお誘いを・・・」と書いてあるのでこれはエホバからではなく、知人のM氏からの残暑見舞いということが分かった。このM氏の友人がつくったタイトルの句が気になるとの内容であった。たしかにこの句、意味不明だが冬銀河というところが素晴らしいと思った。というのは冬銀河という概念の見事さである。
天体に詳しくない私は銀河とは天の川ことで、夏しか見ることができなのだろう?だから冬の天の川とは何なのだろうと思ったが、冬に花火を見たいような心理なのだろうかなどと色々考えを巡らして、しきりに感心していると、ちょっと待てよと思った。
この言葉、別に○○さんが考えたわけではなく俳句の季語として、常套語?であることがわかり、なーんだ!思った。では、人間は一つの仮説?どうか?ここのところは独創かもしれない。何か深い意味があるのだろう。それについては残念ながら考えが及ばない。俳句の通人であるM氏は気になっているということである。私は俳句のこのような独りよがりの衒学性がどうも鼻について近寄りがたさを感じてしまう。
 575の枠組みの中に世界を構築する素晴らしさは理解できるが、その簡単さに飽き足らず妙に複雑怪奇?にしてしまった感がある。それゆえか俳句は歌に比べると自由度がかなり高い。それゆえ思想の道具になるのである。思想とは酒の様なものであると言った賢人がいた、賢人曰く。それを飲むと酔いが回ってくるのである。本人は気持ちよいのかもしれないが周りの人はついていけないものを感じるかもしれない。絡まれないうちに離れようという気になってしまう。
 私は俳句を嗜まないので詳しくはないが漠然と、俳句がこのような風になったのは正岡子規の功績?なのではないか。歌にしても、俳句にしても私はその風情を楽しむものと思っていたが、どうも俳句は一種の格闘の道具になっているが、そこが醍醐味なのであろう。
 ゆえにテレビの俳句番組などが成り立つのだろう。昨日の番組で梅沢富美男が相当優秀らしい?審判ともいえる俳人のおばさんがそんな解釈をしていた。その点、歌は古風な世界を纏っている。歌会始?は現在まで皇室の中で行われており、年頭に来年のテーマ?が発表されて翌年の正月にその風景がテレビなどで映し出される。そこでは優秀歌が古来からの抑揚の着いた節回しで読まれるが、そのスタイルは古風だがよく内容を聞いてみると意外と現世界を歌っているのが分かる。しかも、節度を保って。
57577と575の違いは節度の違いの様な気がしないではない。いわゆる古来の節度を守っているのが57577で自由と実存を標榜しているのが575。この違いはこのいずれかに対する個々人の好みを決定している。

何日がしてこの表題の意味がおぼろげながら見えてきた。この句は基本的に人間賛歌を歌っているということだ。人間はだれでも生まれながら意図せずに、もしくは無意識に自分だけの仮説を立て、その仮説に沿って生きていく。その人の仮説とはその人固有の幸せを実現するための道筋のことである。しかし、ほとんどの人はどうだろうか?その仮説が実現できないか、それともその仮説のために手ひどいしっぺ返しを食うことになる。しかし、それが現実なのだ。俳人はそれらをひっくるめて、すべての人の人生は冬の銀河のように美しいと言っているのである。いわば人類に対する悟りの境地なのだろう・・・

仮説という意味の解釈がむずかしいが。運よく私は仮説を立てて生活をしてきたのでそれを応用しただけなのだが?しかし、どのくらい正しい仮説を立てたのだろうか?
そうとは思えない、この句と姥捨ての関係が分からないからだ・・・??

私はそんなことを考えたきっかけを作ってくれた残暑見舞いについての疑問をメールで送ろうとしたらメールアドレスが変わったか、メール自体をやめてしまったようで、そのアドレスは存在しないとのことで戻ってきた。
コロナの恐怖に怯える下々に対して是非、575の世界で何とかしてもらえたら少しは気持ちも和らぐに違いないが。どうしたものか?
 
                                   泉 利治
2021年8月30日

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