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Column

ボヘミアの醜聞

 何とも魅力的なタイトルだろう。そういえば文学が人生を決定づけるという、なんとも夢のような話があるとしたならば、多分にそのカケラくらいはあるのではないか。
 久しぶりにこの度、新しいテレビチャンネルでシャーロック ホームズシリーズが始まった。私はそう確信したのは放映第一作が「ボヘミアの醜聞」だったからだ。これはシャーロックホームズシリーズの第一作「シャーロック ホームズの冒険」の中の最初の事件である。12編の短編小説で成り立っているThe Adventure of Sherlock Holmes は聖書に匹敵する量の本が制作されたとして歴史に残る著作物であろう。
 皮肉なことに不本意ながら作者であるコナン・ドイルはこの功績でSirの称号を女王陛下からいただき、歴史にその名が刻まれたのだ。皮肉と書いたのは本来、かれはこんな本などは書きたくて書いたのではなく、開業した診療所が暇で、それゆえか金欠病に陥ったからである。才能とは思わぬ形で顕在化するものである。本来、歴史小説家としてかれは世に認められたかったのだ。
 
 私がシャーロック ホームズに興味を持ったのは当の本人より、それを信奉するシャーロッキアンといういわゆる狂信的なマニアに興味を持った方が先だった。これはよく考えると本文より、あとがきを先に読むみたいなもので私はそれまで聖典と言われるホームズのオリジナル本は読んでいなかった。小学生の時に図書館でポプラ社の子供向けの要約本くらいしか読んでいなかったと思う。
 ホームズ譚をきちんと読んだのは1970年なので24歳の時である。創元新社のシリーズ本で、である。何事にもキッカケがあるがこれを読み始めた頃はどうもアングロマニアになり始めた頃かと思う。ターナーの絵を何かで見て英国に興味を持ったのだが、それより先にあるのはラスキンだったようだ。いずれにしても英国という国に興味を持ったことがキッカケになる。余談になるがラスキンについてwikを読むとかれも学校も行かないで家庭教師だけの教育でオックスフォード大学に入っている。ラッセルもそうだけどそのプロセスはどうも本人から社会性や協調性を育てる機会を奪うようである。たとえば、二人とも尋常ではない結婚生活を送っている。というのは結婚とは人間の社会力の証の様な気がしないではないからだ。
 人は生れ落ちた家族で社会を体験する。いわゆる共同生活の仕方を学ぶのだが、家族という共同生活の中でその家族の様々な約束事や思いやり、自分の役割などを学ぶのである。考えてみれば生まれ落ちた家庭、そしてそれを構成する家族はミクロな社会であり、ミクロな国家のようなものなのだろう。
 いい、悪いは別にラスキンやラッセルは小学校、中学校、高校を経験していない。そのプロセスとは上に行けば行くほど一般社会に近くなってくる。そう考えると高校を卒業するころは人として備えるべき社会性の80%は習得するのではないかと思われる。
 本題に戻ると、シャーロックホームズはエキセントリックかもしれないが社会性のある男である。これまで数多のシャーロッキアンはワトスンの手記からホームズの生い立ちや人となりを推理している。そこに入り込むと長くなるのでこれ以上は立ち入らない。そのさわりは{緋色の研究」に記載してある。いずれにしても、ホームズ家は突出した才能を育て、歴史に名を残す人物を生んだのだ。
 
 ホームズ譚は広い意味で英国の全てであろう。医師であるコナン・ドイルは女王陛下から医者にもかかれないような庶民までのあらゆる階層の人たちと接する機会があった。その経験がホームズ譚の面白さを支えたと言って過言でない。
 ホームズ譚を文字から読む時代から、目で見る時代になって、これまで多くのホームズ物を映画や芝居、テレビなどで見かけるようになった。このあたりも一山あるのだが、今回のフォーカスはその最高傑作ともいえるグラナダテレビで創った一連の作品で、それは間違いなくホームズ物の決定版になったと言えるだろう。
 私はホームズに目覚めて50に近い短編と4つの長編、およびドイルの御子息と推理小説の大御所ジョン・ディクスン・カーの二人による「シャーロックホームズの功績」などを貪るように読んでいた頃、ホームズ物の映画とか、芝居とかが見たくて仕方がなかった。そんな時に、なんとあの巨匠ビリー・ワイルダーがメガフォンをとったシャーロックホームズが封切られることになった!?・・正直、原作を超えることはなかった。ネス湖の怪獣の謎を追いかけるホームズと言うあたりはワイルダーらしいが?
 聖典に取り組んでいる初歩的なシャーロッキアンの目には“ワトスン君、滑稽至極だ!”
と言う声が聞こえてきそうである。それから、10年して、1980年にグラナダテレビで原典に忠実な、いわゆる待ちに待ったホームズ映画がつくられる企画が生まれた。
 その後、何年かしてこれらの作品を見た世のホームズファンはなぜこれがもっと早くつくられなかったのだろうと思ったに違いない。今回、本コラムで取り上げたかったきっかけになったのがその理由が意外に簡単だったからである。
 その理由は1980年という年が作者であるコナン・ドイルが亡くなった50年後であることに理由があったのだ。コナン・ドイルがなくなったのは1930年であり、ホームズ作品が著作権の縛りから、やっと解放されたからなのであった。グラナダテレビのプロデューサーであるマイケル・コックスはそこに気づいてこの企画の実現に向けて動き出したのである。たしかにホームズ譚は間違いなくテレビの方が映画や芝居より向いている。多くの短編は一時間ドラマ向きだし、長編は連続ドラマ化してじっくり取り組める。
因みに私は運がいいことにシャーロックホームズを演じたら天下一品と言われたジェレミー・ブレット(テレビシリーズのホームズ)のシャーロックホームズの芝居をロンドンのウィンダム劇場で見ることになるのである。ワトソンはエドワード・ハードウィック!                         
 泉 利治
2021年8月23日

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