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Column

「千尋の闇」の周辺

 オリンピックの喧騒が先日で終わり、台風が近いせいもあり海洋性の気候独特の一日になっている。風と驟雨と陽光がせわしなく変わる午後、こんな天気ならではの物語をもって、庭にキャンバス地の安楽椅子を拡げる。この椅子に身を落とすと目の前にある低い山々の木々が台風の風に大きく揺れている。
 「千尋の闇」は主人公がマディラ島で突然、政治生命を終えた新進の政治家エドウィン・ストラトフォードの謎を追う物語である。
 デボン州のバローティンで1876年に海外領土とくにインド防衛で功績のあった軍人の父の子として生まれた。デボン州は首都ロンドンから離れおり、風光明媚な温暖な地として有名であり、エドウィンの生まれたバローティンは架空の地名か、もしくは彼の住んだ屋敷のある地名と思われる。いわゆる貴族の屋敷は街の中ではなく自身の領地の中央にあり、そこが町から何キロも離れていようとも、そこに在るものであるからだ。
 エドウィンは当然ながら自分のためというより、家の将来のためにパブリックスクールマールボロ校に通う。そして、それにふさわしい教育をさらに発展させるためにケンブリッジに入学する。1894年彼はケンブリッジ大学トリニティカレッジの奨学生に選ばれる。父はこれを大変な名誉と思い、一方母はこれを当然のことと受け止めた。と書いてある。

 私は2010年にこれを読んだとき、この文節に線を引いて“奨学生は名誉?”とメモを入れている。当時、日本の感覚で言えば奨学生は貧乏な学生のタイトルと思っていたからである。ところが事実は本当に優秀な学生でなければケンブリッジ大学は奨学生にしないのだ。欧米の大学は優秀な学生を見極める確かな目を持っており、そのような学生を自校に入学させることに鎬を削るのである。センター試験や偏差値で判断するのとは次元が違う!
 数か月前、私はリベラルアーツ教育というものの実体を調べており、その教育の成果とはいかなるものかを知るためにその価値を知っているアメリカの大学を調べたが分からず。その成果を知るにはその教育を受けた実在した人物を知ることだと思い、行き着いた人物がバートランド・ラッセルであった。ラッセルの本は我が家もかなりあり、足りない分は図書館などから借りて調べた。彼は学校には通わずに家庭教師からの教育だけで17歳でケンブリッジ大学に奨学生待遇で入学したとあった。それが特別に優れた能力を持つ学生に対する処し方であることが分かった次第であった。ご存知の事かもしれないがラッセルは「数学原理」でノーベル文学賞を受けた哲学者である。
 欧米ではローズ奨学生、フルブライト奨学生の例であるようにそれに選ばれるということは公的に優秀な学生である証でもあるのだ。この辺りのことは一切日本では聞かない。
奨学生=苦学生という構造は私だけなのか、日本ならではなのかは分からない。
 付け加えるとラッセルは10年以上も何人かの家庭教師について学ぶのだが、ドイツ人の家庭教師、スイス人の家庭教師などから何をどのように習ったかはそのカリキュラムが分からないので確かめようはなかったが、基本的にどうもピュアリベラルアーツではなかろうかと?いわゆる自由七科と言われる文法学、修辞学、論理学、算術、天文学、音楽ではなったか?なぜならばラッセルの哲学は文法学、修辞学、論理学、算術の範疇から出ることはなかったからである。それと自叙伝にどんなに寒くとも朝7時半から30分間ピアノのレッスンを受けたとあったし、幾何学や天文学の知識の片鱗は相対性理論がノーベル賞を受けた際にその解説を即座にケンブリッジ大学で講義したことでもわかる。
 それにしてもケンブリッジのトリニティカレッジに入学できるなんて信じられないことなのだ。エドウィン・ストラトフォードは信じられない頭脳の持ち主なのであるが、「千尋の闇」作者ロバート・ゴタートはケンブリッジで歴史を学んだだけにその後の展開は事実と物語の境界線ギリギリのところで幾重にも進みつつ展開する。しかし私はこの本の面白いところはイギリスの国や人、歴史や生活が描かれている面白さがなんとはない魅力になっているところである。
 たとえば、当時イギリスの貴族や良家の子息は大学を卒業して社会に飛び出す前の儀式であるグランドツアーなどにも触れている。1897年、ケンブリッジを優等で卒業して帰郷した彼は母と共に半年間、フランス及び地中海を巡る半年間の旅路に出るとあるが、将来を嘱望されたイギリス青年にとってそれは儀式みたいなもので教育の最終仕上げと言えるであろう。
 これが母と共にというところがミソである。多分、母がツアーエスコートとしての役割を持っていたとしたならば、この母も父親以上に貴族の出か、もしくは良家の出なのだろう。この時代は男性だけではなく良家の子女のグランドツアーもあるからだ。いわゆる、社交界の本場はどうも大陸にあったようである。以前、アダム・スミス伝を読んでいた時、
スミスも家庭教師をしていた良家の子息のグランドツアーについて行ったというような事を読んだが、当時、スミスはフランスの学界などでは有名な人物であったからである。
 グランドツアーの対象国は基本的にフランス、イタリア、ギリシャのいわゆるピュアヨーロッパである。そこでは多くのイギリス人が学んだラテン語やギリシャ語が 活きる場なのである。しかし、一方そこは豊かな教養と反比例するような退廃と虚栄にみちた世界なので、そこでトンデモナイ道に入り込み、出るに出られない人生を送る人もいたようである。「千尋の闇」にはそのような人物も登場する。高度に発達した都市には高度に発達した闇の世界も横たわっているのだろう。
 ジェームズ・アイボリーの「眺めのいい部屋」もそのような映画でイギリス女性のグランドツアーを扱った映画かもしれない。ただ、映画の主人公は上流階級ではなかったし、滞在場所もアルノ川が見える普通のペンションのようであった。いずれにしてもイギリスでは人生のステップアップを考える時の必須条件は大陸に行くことなのだ。

 以前、昼下がりアルノ川に沿ってブラブラ歩いていた時、小さなホテルを通り過ぎた。
あまりに素晴らしいので、戻って中に入りパンフレットを貰ったのを覚えている、四つ星のそのホテルは多分ベランダからアルノ川と遠くにポンテヴェキオがみえるだろう・・
                                  泉 利治
2021年8月16日

 

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