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Column

TOKYO2020

 難産の東京オリンピックが始まった。今日が開会式だ。多分、国家的行事がこれまで紆余曲折した例は聞いたことがない。今から、75年前に今のような社会背景であったなら戦争も回避できたろう。それ以上にこれがきっかけとなって政権として、政府が、そして日本がどのように動けばよいのかを学んでいるに違いない。
 今回はコロナとオリンピックという二つのパンデミック?に見舞われたと言っていい。それにしてもこの醜態は?とお思いかもしれないが、そう思わせたのは強大になったメディアのせいである。あることないことニュース性という尺度のみで所かまわず、発信したからだろう。しかし、問題はマスコミにそのようなネタを提供させた方が問題であるが?
 極めつけはこの一週間、なんと開会式の一週間前に起きたクリエイティブ分野の醜態である。それにしても今回のオリンピックの問題の大半はクリエイティブ分野の関連である。
国立競技場デザインのコンペティションのどんでん返し、その収拾に駆り出された世界的建築家の醜態、シンボルマーク類似、今回の開会式の音楽や演出・・・特に最後の二つは開会式間際で露見したものである。私は皮肉めいて家人に言ったものだ!

“今ならカラヴァジョの絵は教会には飾れないだろうね!あいつは人殺しだから・・・?”
 
しかし、オリンピックは始まった。始まってみると中止の声はどこ吹く風で、そうさせるほどのオリンピアンの活躍がそんなムードを吹き飛ばす。始まって3日目で日本が金メダルではトップということもあるのだろう。また、昨夜の卓球でオリンピック史上初の金メダル獲得という偉業も手伝ってか、コロナ下で沈んだ二年間の滓のようなものを一掃してくれた感があった。
若いがゆえの過ちが大会を暗いものにした開会前の関係者のトラブルを、若いがゆえの努力と勇気が吹き飛ばしたのである。その若さについていけなかった国家運営などに若さというものが良くも悪くもドラマを演出してくれたのだ。

このオリンピックの主役である選手たちは数週間前のオリンピックの当事者を抜きにした開催の有無に対してどのような気持ちで過ごしてきたのかを考えると、やるせない思いにかられる。かれらに対し、とくにオリンピック中止のなぜ声をあげないのかと、心無い質問を池江選手に問いかけた連中の行為は筆舌に表せないくらい愚かである。それも若さゆえなのか?ただ、愚かさゆえなのか?

つくづく思うのはオリンピックの中止の選択に関していわば政府が頑強に拒否したのは国家の威信と言うより、このオリンピックはただ手をあげただけではなく、立候補したのだ、という事実とその行為に対しての国としての責任の重さゆえである。それに関して政府は国民の命よりオリンピックの方が大事なのかという意見があったが政府は日本人の誇りとして、世界に対して立候補して選ばれた責任を全うするという使命感を第一に考えたのだ。日本という国はそういう国なのである。

宮崎県の日南市は暖かい気候の観光地として知られているがこの町とニューヨークよりさらに北にあるポーツマス条約の舞台になったこの街がなぜ姉妹都市になっているのか不思議な気がしたが、それを結び付けたのは日露戦争の講和条約の日本側の全権であり、日南市の出身の小村寿太郎であった。
小村はアメリカで最初の海軍工廠があるこの町を去る時、講和条約締結でお世話になった、この街に1万ドルを寄付して帰ったのである。その三日後、ロシアもあわてて寄付したのでその寄附をポーツマス知事はそれぞれ日露両国の国債を買ってその利子を毎年その国から受け取ることにしたそうである。第1回目の利息が809ドル93セントであった。
 しかし、1917年のロシア革命以後はロシアの国債が債務不履行になりロシアからの利息は途絶えてしまった。しかし日本は利息を送り続けた。しかし、第二次大戦で停止したが、敗戦による傷が癒えた1951年からは再び日本から利息が送られてきて、しかも、債務不履行の9年分を倍額の利息を支払ったそうである。それでもその基金の名前は「露日基金」と言っていたので、それはおかしいと気づいた基金の委員長ロリマーはロシア国債を復活してもらいたい旨をロシアに書簡で依頼したが、返事はなかったそうである。それでポーツマス市はその名称を「ジャパニーズ・チャリタブル・ファンド」に変更し、現在もその利息がポーツマス市に役立てられているということである。小村寿太郎という国家官僚の意志を守り続けているのである。

日本という国のアイデンティティなのであろう一度約束をしたことを国を上げて守るというのが国家というものの誇りであり、生き方なのである。
私は今回の政府ほど腐っても鯛だなと、思ったことはなかった。もし別の政権だったなら。姑息な反対派、コロナ相乗り派の意見に乗って中止をしたのではないかと思う。菅政権の愚直さに、なんとはない日本のアイデンティティを感じるのだが、これが日本の真実なのである。拍手を送りたい。
まだ、オリンピックは始まったばかり、まだまだ信じられないくらいのドラマが生まれるだろう。私は今、活躍している若者たちがどのような思いでコロナ下のオリンピック開催に反対する声を聞いてきたかを考えると心が痛む。これからはかれらがコロナにとどめを刺すに違いない。今回の人類の経験は得がたいものである。日本はそんな中、日本らしい愚直さで貫いてほしい。そういう意味で・・・・“ガンバレ、日本!”

                                 泉 利治
2021年7月26日

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