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玉虫厨子

 小学校時代と思われるが、玉虫厨子という経本を入れる美しいと思われる箱?のことを不思議と覚えている。当時、最も美しく作るために最善の材料としてタマムシの羽を利用し、その羽を外面に敷き詰めたと言われている。
 法隆寺伝来のこの器物は飛鳥時代につくられたと言われている。その後、何回かレプリカがつくられているらしいが1960年に制作されたヴァ―ションの際は全国の昆虫採集家や小中学生にお願いしてタマムシを集めたと書いてあった。そんな綺麗な虫なら一度は見てみたいものだと思った。しかし、都会にいてはそんな虫を見るのは不可能だ。
 その後、都会を離れ、田舎?に居を移した。そこで何年か前、近所でそのタマムシの死骸を見つけた、遊歩道のような木の橋に妙に人工的なその死骸を見つけ拾い上げた時、この辺にもタマムシがいるの?と期待したものである。それはもう15年位前の話、もっと前かもしれない。そのタマムシは自然の中で見ると何と、自然物に見えないというのが多分多くの現代人の感覚なのではないか。あまりにも人工的な光り方であるからだ。
 
それが昨日の朝、目の前の道を歩いているではないか?私はすぐに拾い上げた。手の上に載せるとのろのろと歩き逃げる様子もないので、シャツの上を歩くタマムシをスマホで写す。あらためて見るとそれは大型のゴキブリと同じくらいの大きさで、あの美しさが羽だけではなく全身、裏にあたる腹の部分まで光り輝いて美しいのである。私は家に戻ると家人にそれを見せて、娘夫婦にラインで画像を送った。
いろいろな角度から10枚近く撮影する。そして、庭のラベンダーの葉に止まらせておいたが数時間はいたようだがどこかに飛んでいった。
ネットでタマムシと入れると何と、タマムシに関する様々なものが販売されている。一番すごいのが大量のタマムシの羽が98000円という価格で売りに出されている。これなら玉虫厨子のレプリカをつくれるかもしれない。このタマムシはヤマトタマムシと言うのだそうだが、飛鳥時代にその起源を持つ虫らしい正式名称である。

こんな珍しい虫を見つけたら多分60年前だったら、私は角山君の家に持って行って彼に見せたであろう。かれは昆虫採集ではクラスおろか、学年随一の男であったかもしれない。ただ、それだけではなく、勉強ができる点でもクラス随一だった気がしている。それでいながら、勉強ができない私のような子に対しても分け隔てなく付き合ってくれた、稀有な存在であった。子どもにとってそのような友人がいること自体が自慢であった気がしている。
本考で何回か書いた気がするが、かれの天才ぶり?はその人生にも表れていた。その何十年後、最初にクラス会で会った時、エマイユ、七宝を学ぶためにフランスに留学したことを知ったが、なんとも信じられない人生の様な気がした。ただ、その後の話では当初は彫刻を勉強するためだったらしい。
日本に戻りそのような特殊な能力が日本で活かせたのはいわゆるメダルの彫刻であった。それと墓石やメモリアル彫刻の仕事であった。いわゆる、フランスで学んだ彫刻をベースにした仕事をしていたのである。かれがどのような分野をめざしていたのか分からないが、いわゆる芸術家、美術家というより職人という感じであった。
そのかれが一昨年亡くなった。100歳まで生きると豪語していたのにその四分の三も生きなかった。無念であったろう。彼の弟もその前に亡くなったという話を聞いたので男の子は意外と早世だったたようだ。

小学校のクラスにはいわゆるアート系に向かった同級生は私を入れて3人いたようだ。もう一人は現在、ポーセリンの作家になった女性である。このポーセリンとはヨーロッパの食器やブローチなどの装飾品に写実的な絵を描く作家のことだが、それまではヨーロッパの王族の肖像画などのレプリカの画家をやっていたようである。
この人も角山君と同じような道である。私の時代の美術をめざす人はそのような17,8世紀のヨーロッパの芸術家のような形をめざすのが理想的な選択肢だったようである。私はその道を目指さなかったが、その頃の芸術は私の好みで我が家に飾ってある絵の多くはそのような絵ばかりである。
その後、日本で芸術家や美術家をめざす人はもっと専門分化していったようだが、この2人の選択は今の日本ではかなりニッチである。ただ、私はデザイナーをめざしたのでその中でも最先端の分野に進んだのかもしれない。
角山君は同窓会で会った時は一人であった。家庭を持ってはいなかったようである。それ以上立ち入ることが出きなかったが一度、私の会社に訪ねてきた時の彼の目的は一種のセールスでもあった。ギフトやノベルティとしてメダルを使ってくれというような話で、試供品として彼が手がけ東京ディズニーランドのメダルをくれた。私はその時、サザビーズのジャコメッテイの彫刻のオークションカタログをあげた、勝手に彼はこのような近代彫刻家をめざしたしたのではないかと思ったからだ?
今から思うともう少し彼との親交を深めれば良かったと思っている。そんな人が何人かいるが、その一歩踏み出せずにそのうちどちらかの命が尽きて後悔するのであろう。

そういえばタマムシをかれに見せたらそれを実物通りに作るのではないか?そのような仕事のテーマとして格好の物の様な気がする。しかし、あの色彩をどう表現するのか苦労したろう?しかし、かれならそれをやり遂げるに違いない。
                                  泉 利治
2021年7月12日

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