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Column

アメリカ・アメリカ・アメリカ

 この一週間、身辺が自由になったこともありプライムビデオでため息の出るような映画を観る。「グリーンブック」と「7月4日に生まれて」である。
 このアメリカならではの二つの映画の制作年の時間差は30年近くある。初めに見たのが「グリーンブック」である。この映画、何となくASAHI WEEKLYの映画欄で紹介していたような映画の記憶があったので多分、いい映画なのではないかと思ったので見る気になった。まったく何の予備知識もない中でプライムビデオを見るのは途中で投げ出す確率も多いので最近は慎重になっている。
 というのがプライムビデオよりYouTubeの方がよほど面白く、裏切られないことが多いからである。そんなことを考えるくらい、ここ半年は忙しかったのだ。三日くらいしてグリーンブックの話を家人にするとその映画がアカデミー賞をもらったいい映画であり、実話であることなどを知っていたので、こちらが驚いてしまった。
 そうなんですよ!と言って簡単にさわりを話した。カーネギーホールの上に住んでいる優れた黒人のジャズピアニストが2か月のツアーに出るので、そのための運転手を雇うところから映画が始まるのだ。ジャズピアニストはトリオで演奏するのでツアーのための自動車は同じ色の同じキャデラックが2台である。
自動車から時代が分かるがこの二つの映画は1960年代の中で繰り広げられた時代の映画である。そして、その時代を通り過ぎていながら全く知らないアメリカの現実を突きつけられた映画なのである。どちらもいい映画で同じ数くらいのアカデミー賞を受賞している。 
 ちなみにグリーンブックとは黒人専用のミシュランガイドである。つまり、あの当時、黒人専用の旅行ガイドで黒人のみが利用できるホテルやレストラン、バーなどが記載された、差別された黒人のための旅行ガイドブックなのである。映画を観終わった後にwikiで知ったくらい日本人には想像できないものであったのだ。これらの常識的な前提がアメリカにあったことを今、知るくらい分からないアメリカがあったのである。
 
 アメリカのディープサウスと呼ばれる、サウスカロライナ、ジョージア、アラバマなどの7州を回るツアーなのだが、これらのアメリカの州に対して先週まではそれらの州にある大学を仔細に調べていたのでしみじみ、その州に対して自分の国の中のような実感を伴ってとらえることが出来た不思議な体験をしたのである。
 私は大学の事情を知ることでアメリカの偉大さを知ることになったのだが、あらためて「グリーンブック」と「7月4日に生まれて」はもう一つの決して偉大ではないアメリカを知ったのである。
 
「7月4日に生まれて」はアメリカの独立記念日に生まれた男の子が偉大なアメリカの聖戦であるベトナム戦争に使命感を帯びて志願した悲劇の物語である。正直、TOPGUNのトムクルーズしか知らない私はこんなシリアスな映画に最初の頃に出たのを全く知らなかったので少々、意外な気がしたが彼は単なるアクションスターではないのだ。

アメリカという国は日本が千年かけて体験したことを100年で済ませた国なのである。いろんなひずみがあって当然なのだが、それでもどの国より発展していると言っていいだろう。
 いま世界は最も古い大国と最も新しい大国の相克で揺れている。どちらかと言うと最も古い小国である日本は最も新しい大国側にいる。その選択は賢明な気がしないではない。少なからずこの新しい大国は最も賢明な国であるからだ。
 コロナだってこの解決策をまず最初に出したのは、やはりアメリカなのだ。そして、イギリスなのである。この二つの国はアングロサクソン民族であるのが共通項であるが、ともかく、優れていることは間違いない。
 このような言葉を最初に発したのはケルト民族であるフランスのマクロン大統領である。
かつての医学先進国のアーリア人のドイツが意地を見せたのがモデルナワクチンであろう。まだやはり、その医学力は残っていたのだ。単に高級車しか作れない国ではなかったのだ。意外と駄目だったのは日本か?この国には先駆けるという文化がない国なのだろうと思う。偶然、アニメだけは先駆けたが?
先駆けるという意識はその国の文化である。たとえば先駆ける文化がない、もしくは弱い組織がある。最大のものが国家であり、最小なものは一人の人間である。
ここ、半年ばかり私は大学を研究したが。ここでもその意識の持ち方でその組織の隆盛の度合いが決まる事実を目の当たりに目にした。
先駆けることに価値を置く大学と全く価値を置かない大学の差はどこにあったのか?なぜ、そのような文化が根付いてしまったのか仔細に調べた。対象となった二つの大学は同じ頃にアメリカ人の宣教師によってつくられた。したがって、その大学は校是は「キリスト教精神に則って行う教育」ということであった。
 教育はその精神に則って丁寧に行われた。しかし、最近、大学のランキング等が流行り出し、何かと比較される時代になってきた。分かってきたことは二つの大学の社会的な評価にかなり差がついていることが誰の目にも明らかになってきた。調べてみると二つの大学の差の理由は時代に先駆ける新しい試みをしているか否かが大きな要因であることが分かってきた。なぜ、そこからそんな差が生まれたのか?
 理由は簡単であった「キリスト教精神に則った教育」をトップに頂く理念なのか?ボトムの理念としてとらえるか?つまり、最低限、キリスト教精神に則った教育をしようというようにとらえているのかであった。ちょっとした解釈の違いなのだがその結果は大きかった。 アメリカの優秀校はみなそのような理念で動いているのであろう。
                                   泉 利治
2021年6月21日

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