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Column

4台のヴァイオリンのための協奏曲

 これは驚くべき曲であり、天才の成せる業である。
YouTubeで女学生と思われるメンバーによる本タイトルの合奏を聴くことが出来る。この曲はヴィヴァルディの曲の中で「四季」と並んで最も有名な曲であると同時に、これをチェンバロ用に編曲したバッハの「4台のチェンバロのための協奏曲」もあり、当時からこの曲はグローバルな一曲であったようである。こちらの方は4台のピアノでも演奏されるのでそれぞれ聴き比べて楽しむのもいいものだ。
 この曲を50年近く聞いているがYouTubeによってその演奏を見ることもできるので、また違った感動がある。昨夜も寝る時間をオーバーしてその女学生たちの合奏を最後まで見てしまい、そのあとその曲の総譜対応の楽譜を見ながら、曲を聴くと音楽の構造が見えたのだが、内容が何ともシンプルで意外なほど簡単なのには驚いてしまった。そんなことを頭の片隅に置いて寝たのだが?翌朝、目が覚めて・・・成程!と合点がいった。
 ・・・そう考えると、あの女子学生たちは当時、ヴィヴァルディがこのような人たちに演奏してもらいたくて書いたものだということが、突然わかったのである!かれは捨て子養育院(Ospedale della pieta) の子どもたちの音楽の先生でもあったからである。そう考えるとYouTubeで見た女の子たちの真剣な演奏はその当時、この曲を演奏していた子どもたちの表情とオーバーラップしてしまう。
 
 このことを本考に書いてみようか思い、演奏者の紹介が映し出された、ロシア辺りのKarol Szy???? Music School らしかった。走り書きのメモをYAHOOで調べても何もわからなかった、そこでもう一度調べ直し全てアルファベットでそのまま打つと、ヒットしたのがポーランドのショパンに次ぐ、国民的作曲家のカロル・シマノフスキ―を冠した音楽学校の女生徒たちのオーケストラであることが分かった。それにしてもそんな人は知るよしもない。Wikipediaはポーランド語で書いてある。日本語に変換してプロフィーㇽを知ることが出来る。
 ここ何日か?と言うよりポーランドという国がズーと気になっていた。この国ほどよその国に、(といってもドイツとロシアだが)蹂躙された文明国家を私は知らない。ドイツやロシアに対してポーランド国民は何とも複雑な思いを持っているのではないか?また、なぜこの国はこんなに目に合うのだろうか?しかし、そのあたりについても知るよしはない。この国の映画や小説なども読んだこともないので全く分からない・・・
 そういえば昔、私が中学生の頃ポーランド映画、それも何とも気味の悪い映画を思い出した「尼僧ヨアンナ」である。今の時代そんな昔の記憶の断片に対しても再現してくれる装置がある。ネットでそれを入れる、すぐにヒット。
数分の映像を見ると尼僧ヨアンナの気味の悪いスチールが目に飛び込んできた。それは60年前の映像と同じである。この映画、どうも悪魔払いの映画であったらしく、エクソシストでわれわれは知ることになったが、60年前の日本人にはどのような想いでその映画を観たのだろうか?というよりそんな映画をつくるポーランドという国の底知れない暗黒のようなものを感じたに違いない。このオリジナルはポーランドの作家イヴァシュキェヴィッチ(1894-1980)の代表作で岩波文庫にもあるくらいの文学作品なのであろう。
 その他、国土は日本より少し狭いくらいで、人口は3分の1、GDPは8分の1くらいの国である。そんな時にシズルなポーランドを知るためのとっておきの手段でグーグルMAPを見る。さすがヨーロッパの文明国である。ネット網は張り巡らされており、街々が手に取るように見ることが出来る。街並みの感じではウィーンのような印象を持ったが、確かに私が出かけたポーランドに一番近い国がウィーンである。

 ここで本題に戻りカロル・シマノフスキ―(1882年~1937年)に戻ろう。この人物ポーランドではあのショパンに次ぐ国民的作曲家である。ただ、かれを知っている日本人はほとんどいないであろう。日本人が知っている曲もない。かれに関して私にとって唯一の手がかりはルービンシュタイン(1887年~1982年)らと「若きポーランド」音楽グループを作って活動したということだが二人とも20歳前に出会ったというから、まだ音楽学校に在学中である。意気盛んであったろうと思われた。
 いずれにしても54歳で亡くなるまで交響曲を4曲はじめヴァイオリン協奏曲、バレエ曲、室内楽曲などを書いている。スイスで亡くなっているが偶然だろうが、かれもルービンシュタインもロシア帝国で生まれ、スイスで亡くなっている。ただ、ルービンシュタインは95歳で亡くなっているのでシマノフスキ―より40年近く長く生きている。かれらは安住の地を求めてポーランドを去らないといけなかったのであろうか。
 
しかし、ポーランドについて皆目、何も腹におちない。分からない。2,3年前にショパンの映画を観たが、アメリカの映画ということもあるが。映画のほとんどがショパンがポーランドから抜け出した後のパリで有名になり、ジョルジュ・サンドといろいろあったことが展開の主テーマであり、ポーランドはまったくでない。それに前記した「尼僧ヨアンナ」もフランスが舞台の物語だし・・・いずれにしても生きたポーランドの現在を知る手がかりは今のところ「4台のヴァイオリンのための協奏曲」を弾いている娘たちを見るしか手がなさそうである。
泉 利治
2021年5月24日
 

 

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