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Column

ハワーズ・エンド

本考のタイトルを「ハワーズ・ エンド」にするか、「ジェームス・アイボリー」にするか悩んだが結局こちらにした。ハワーズ・ エンドとはジェームス・アイボリーが監督をした映画のタイトルであり、久しぶりの”ああ云う世界の映画である。
 ああいう世界とはヴィクトリア朝最後の貴族階級を描いた映画ということで、テレビドラマで大ヒットしたダウントンアビーのような世界と言ったら分かりやすい。文学的に言うと、そう、シャーロック・ホームズの世界とでも言おうかそんな時代背景の中で繰り広げられる物語の映画と言える。
 キーワードはイギリス、貴族階級、10分の1位のサイエンス、優雅なライフスタイル、
写実的な芸術、馬車まれに自動車・・・書けばいろいろ出てきそうだが。基本的にオリジナルは文学作品になる。シャーロック・ホームズがいい例であれはコナン・ドイル書いた超有名な文学作品であり、それは映画やテレビシリーズで多くの人が目にすることになる。
 
「ハワーズ・エンド」はE・Mフォスター原作の物語をジェームス・アイボリーというアメリカの監督が制作した、かれならではの個性的な映画である。彼のいくつかの代表作、同じフォスター原作の「眺めのいい部屋」などと共通項がある、このような作品を生み出す源泉に興味を持った。そこで最も手っ取り早いWikipediaをしらべた。
「略歴
父はアイルランド系、母はフランス系アメリカ人。オレゴン大学で建築とファインアートを学んだ後、南カリフォルニア大学のフィルム・スクールで映画製作を学ぶ。学生時代にインドの細密画についての短篇を制作したが、同じインド人俳優のナレーターを起用していた短篇映画の製作者イスマイル・マーチャントとニューヨークで知り合う。
1961年にマーチャント・アイヴォリー・プロダクション(英語版)を設立~」
 そんなに内容の量がないのでそれほどメジャーな監督でないことが分かるが、英語版では多分この3,4倍ぐらいあるのではないか。でもこの少ない記述から彼を知る手がかりになる情報は十分つかめた。
 というのはこのようなユニークな映画を作った彼を育てた何らかの手がかりを得たかったからなのである。
いわゆる映画監督になる道である。昔、私はアルバイト先で同じくらい歳で映画監督をめざしている男と出会った。そのアルバイト先は今から考えると苦学生が働きながら、学校に行けるというようなアルバイト先であった。今から考えると不思議なことだが、どういうわけか、一言で言うと苦学生に優しい時代だった気がしないではない。私は音楽大学に行くためにフルートとピアノのレッスンを受けており、毎日5~6時間の練習をしていた。そのような生活をしながら普通の社員と同じような給与をもらえていたのである。
映画監督をめざしている彼は映画製作現場に潜り込むために、どうも毎日,日参しているようであった。いわゆる、丁稚奉公をして学んでいく道を探しているような感じであった。そのやり方は伝統工芸士になるやり方と同じである。その時代の日本にはそのような伝統的な誇るべき教育システム?があったのだ。わたしはその同僚に“学校とかはないのか?”と多分、聞いたような気がしている。その後、彼がどうなったか分からない。それに比べると音楽家の道は整っていたと言えるだろう。

ジェームス・アイボリーは今92歳である。私より20歳近く年上だが、当時アメリカには映画監督になるための大学があったのである。Wikipediaでは南カリフォルニア大学となっているがUniversity of Southern Californiaであるがここは距離的にハリウッドに近いため映画学に関しては世界一らしい。それで名を上げて名門校化を成したようである。
しかし、ここで言いたいことは何らかの社会に及ぼす事象をすぐに察知して、教育化してしまうメンタリティーと言おうか文化のことである。日本は丁稚奉公なのだが、アメリカは大学になるのである。まあ、そうは言ってもそのアメリカで黒澤明や溝口健二が生まれたかどうかは何とも言えないが?
しかし、才能ある若者が丁稚修業という壁を乗り越えられなくて断念せざるをえないとしたらもったいない話である。それでも、そのようなシステムがあっただけ日本は幸せだったかもしれないが?
たとえば一時、耳にしたシンギュラリティについて学びたいと思った若者をどうキャッチアップしたらよいのか?ということである。多分、今の日本ならそのような若者をキャッチすることはできないだろう。ところが多分、アメリカならそのような学部は当初なかったとしても、いくつかの学部や学科を繋いでいけばシンギュラリティについて最先端の知識を得ることできて、未来に向けてそれを専門的に考える人物になることが可能なのではないか?
アメリカという国は最先端の事象を研究することで世界のリーダーに君臨し続けているのであるがその理由はどうも大学のシステムにあるような気がしている。大学は未来を紡ぐことが出来るインフラであるようなのである。私がそんな考えにとらわれてきたのは多分、ホンダという会社にいたからだという気がしないではない。私の時代は、時代の価値を創造して生きたのは大学ではなく企業だからである。企業が最先端の価値を創出してきた結果、日本の高度成長期が実現したのである。ところがその後、その構造が怪しくなった。いま世界を動かしている企業のオリジンはみな大学にあるからだ。本田宗一郎は旧制の小学校しか出ていないし、黒沢明は旧制の中学校しか出ていない。
そういう私も正規の大学は出ていない。ただ、調べてみると判るのだが、日本の大学で時代を先駆けるような勉強ができるかどうかというのは、今のところはむずかしいことは確かである。
                                  泉利治
2021年4月26日

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