ブランドワークス

Column

 Technology by Design

前々回の考で塩崎さんはどうしているのかな?という以前であった人たちのシリーズ?第二弾である。まさにこの発想は老人が昔を懐かしむその構図の中に入っている発端の話の様な気がしないではない?
 と言いながら仕事の関係で未来のこと考えなければならいない。三途の川を渡ろうとしたときに誰かの呼ぶ声を聞いて立ち止まった感があるがそんな感じなのであろう。「大学の未来地図」という五神 真氏の書いた本を読んでいたらやたらにSocity5.0の話が出てくる。それは来るべき知識集約社会についての解説書のような本であるのだが、その基盤を作っているのがデジタル革命であるという流れから、この「デジタル革命」なる言葉からある人を思い出したのである。
 “そうだ、西口さんはどうしているのかな?”ということである。西口さんとはかつて京セラの社長を務めた大学教授である。私は多分、「デジタル革命」という言葉や概念を最初に知った、と言うより初めて教えてもらった人なのではないかと思っている。
 調べてみると今から25年前かそこら、私は京セラの当時、事業開発の部長であった西口泰夫氏への依頼与件確認のために環八の傍にあった京セラの支社に出かけた。依頼の対象はブランド開発である。ところが何のブランドを開発するのかはっきりしない。当の本人もこのブランドというような、そんなものなのであるのか分からないようである?
というのは来年秋に発売する新型車のブランド開発と言うのなら明快である、こんな場合は商品ネームを考えればいいことになり、そして、そのネームをブランドに進化させるための戦略を考えればいいことになる。
 西口氏のブリーフィングを聴いているうちに、これはブランド開発と言うよりステートメントを開発する仕事だな?と思うようになってきた。なぜならば、新たなデジタル技術で出来上がったPHSを発売するにあたりそれを開発するテクノロジーの革新を社内外で共有する言葉が欲しいということであったからである。
 “泉さん、デジタル技術というのは凄いですよ、これからこのテクノロジーで世界は変わりますよ”としみじみ言うのである。1994,5年の頃で、今から25,6年前の話である。
 西口泰夫氏はそれまで学校の先生であったということをメンバーの営業担当から聞いていた。学校と言っても大学教授であった人がその対極にあるようなバリバリのビジネスオリエンテッドの京セラではやりにくいだろうな?と思っていたので、いかにもその依頼は大学教授らしいものであった。デジタル技術の啓蒙の師としての彼の立場がそのような依頼に結びついたのだ。その時に開発したステートメントが「Technology by Design」であった。技術を新しくデザインし直す京セラというようなことをまず、社内に浸透させる、そしてそんな姿勢で開発した商品、というようなコミュニケーションワードとして使いたかったのである。京セラはその証として日本初のPHSを1995年7月に発売する。
 当時、セラミックの包丁のイメージしかない会社の京セラが先進的なデジタル技術の製品開発の会社であることを市場に宣言した第一弾のステートメントであった。私はプレゼンテーションパネルに「Technology by Design」の意味を書いたが、強調したのはby Designの意味であった。京セラはテクノロジーをデザインする。そのためにデジタル技術をベースに置くのだという、技術の根源にまで遡って取り組む姿勢、ということが西口氏の決定の琴線を揺らしたようであった。
 
そして、それから10年近く経ったのであろうか?西口泰夫氏は京セラの社長に就任する。
そして、ほどなく京セラから社長直々のプロジェクトの依頼が来る。京セラのコーポレートステートメントの開発である。かれは「Technology by Design」の仕事を覚えていたのである。私たちは10、何年かぶりくらいで京都八条の本社で顔を合わせることになる。
 開発担当部署に何回かプレゼンテーションした後、最後の決定する場に最終意志決定者として西口社長は臨席した。事前に短い挨拶を交わした後、最終候補案をプレゼンテーションした。私の意中の案は「The New Value Frontier」である。西口社長はこれを押した。
 10年前の経験はお互いの中に共通認識をつくっていたのである。京セラはグローバルカンパニーである。しかし、それまでコーポレートステートメントは日本語のものであった。しかし、ビジネスの領域を考えると、それまでの日本語のステートメントでは役不足の感は拭えなかった。西口社長はそこに気づいたのであろう。しかし、この会社ではこのような大事なものでも社長と言えど決められない!かどうかわからない。創業会長である稲盛和夫氏の判断を仰がなくてはならないのではないか?正直、私が緊張したのはそこであった。この有名な伝説的創業者は強烈な企業哲学を持った人である。彼の目に叶うであろうか?
 このプロジェクトが起きた時、京セラ社の担当者は私宛に稲盛語録関連の書籍や資料をダンボール箱に詰めて送ってくれた。話に聞いていた以上に稲盛氏の哲学が厳しいことが分かったからだ。
 その年の12月28日、身辺の掃除をして昼食後、最後のミーテングをして会社を離れた。したがって、まだ明るかった。北鎌倉駅を降りて、円覚寺の参道を歩いていた時、携帯電話が鳴った。大阪オフィスの岡田氏から、「The New Value Frontier」が稲盛会長から承認をもらえましたとのことであった。会長は本当にいいステートメントだ、と褒めてくれたそうです。と・・・
 私以上に西口社長はホッとしたろうと思う。創業会長の哲学を世界に向けて伝える言葉を開発したからである。このプロジェクトに関わった誰もがそんな気分であったろう。今回この考を書くにあたり、西口さんのことを調べるとその後、彼は同志社大学の博士課程で勉強し直して博士号を取得されたことを知った。現在、77歳である。まだまだ、現役のであるが、どこかで一度を会いたいものである。
                                   泉 利治
2021年3月29日

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