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Column

さて、何を書くか・・・?

 さて?最近、テーマを決めても最後まで書き切れるかを考えてしまい。通常なら3週間先に掲載される本考を書いているのだが1週間後、来週に掲載されるテーマを書いている状況になっている。本考はほとんどの場合、テーマを決めると一気に全文章を書き上げるのが通常であるのだが、最近、仕事を再開したせいかどうかわからないが、それがおぼつかなくなった。しかしそうは言っても書きたいテーマはある。
 たとえば1週間前に終わった大河ドラマ「麒麟が来る」について、それから森会長の辞任について・・・等々である。
 「麒麟が来る」では明智光秀の汚名をよくぞ晴らしてくれたということと、織田信長はやっぱりとんでもない奴であったということの再確認である。私は戦国武将を崇める経営者達と同居していた時代のコンサルタントではあるが、そのこだわりはほとんどなく過ごしてきた。したがって、徳川家康や織田信長を崇めることは一切なかった。徳川家康は要領のいい奴だくらいの印象しかないし、織田信長に関しては一番嫌いな歴史上の人物であった。しかし、なぜそんなに毛嫌いしているのか自分ではわからなかったが今回の「麒麟が来る」を見て、よく分かった気がしたものである。一言で言うと狂人である。それ以上に嫌いなことはそんな織田信長を崇め奉る奴が多いということで、ますます嫌いなのである。織田信長が天下泰平のことを夢見ていたそうであるが、その天下泰平も自分を崇めるものだけの天下を前提にしている点において、ヒトラーと何ら変わらない気がしている。
 それにしても明智光秀に関しては、漠然と主君を討った逆賊という先入観で見ていたのだが、実際は聡明で倫理観の高い武家であったことが今回のドラマで分かり、これまで気の毒な思いをさせてしまったとあらためて思った次第だった。
私が京都に住むならという一番の場所が白川に面した東山三条辺りなのだが、そこに明智光秀の首塚がある。その首塚の管理をしているのがその首塚の小道に入る入口にある餅菓子屋の餅寅という店で昨年も秋に行った時、この店で羊羹を買って帰ったのだが、今度は間違いなく光秀饅頭を買って帰ることにしようと思った。
 そこを少し下るとこの白川に架かる幅50センチくらいの行者橋がある。5メートル幅くらいの橋なのでそんな幅でも一気に渡ることが出来る。この橋が行者橋と言われる所以は千日回峰の行者が渡るからだということから有名になったと記憶しているが?定かではない。それにしてもあのあたりは風情がある。川があるので何となく夏も涼風が吹くのではないか?ストリートビューでみて見る。また、行きたくなる。今のところ5月の中頃、四日ばかり滞在するつもりでいる。そのころ、コロナがどうなっているか分からないがワクチンも打っているようなので安心して楽しめるだろう?
 今度は長岡京や京都の山崎あたりに足を延ばしてみよう。まだ行っていない京都はたくさんあるからだ。いつも、家人と話すのはあと何回くらい京都にけるかね?ということで昨年はコロナの関係で1回しか行けなかったが、今年は2回くらいは行きたいものである。
  
 私たち夫婦は旅行が趣味になるのかもしれない。ただ、初めての所をいくというのではなくお気に入りの場所に何回も行くという旅なのである。したがって、日本では京都オンリーであるが、ヨーロッパはロンドン、ベニス、そしてウィーンである。ロンドンは回数としたら30回は行っているし、ベニスも5,6回、ウィーンもそのくらい行っている。
 どんな旅行をしているのかというとたとえばロンドンでフツーの生活をするのである。いま、鎌倉で生活しているような生活をするのである。そうは言っても仕事はしないので
街を歩いたり、買い物をしたり、ギャラリーを見たりするし、お気に入りの場所の公園で
シガーを楽しんだりしている。とくに何回も行っているロンドンではバークリースクウェアのお気に入りのベンチでシガーを吸うのが楽しみの一つである。お気に入りのベンチとは重厚な木製のベンチでそこにはそのベンチを提供してくれた人の銘板が打ち付けてあり、この公園が自分にとってどんな意味を持つものなのかも刻んである。
 私はその人の好意に感謝しながらその人のことに想いを巡らす。不思議なものである。これまで、まったく交流もない未知の人と1つのベンチが結び付けてくれるのである。ロンドンの全ての公園にそれは存在する。ロンドンに行かれたらぜひ、公園に立ち寄ってそのベンチに座ってみてほしい。不思議な体験ができること請け合いだ。
 
そんなロンドンで必ず立ち寄るのが街中のアンティークショップである。今でも手元にあるがどこかで買った小型の銀製のシガーケースがある。そこには「JAMES CUTTER 10th
May 1882」と彫られている。確か70ポンドくらいで購入したものと記憶しているが、このJAMES CUTTER氏なる人物とこの日時がなんとはないミステリアスなのである。
 こんな時に活躍するのがネット検索、上記の英文を入れてみるとAncestorに飛ぶ。1882年に亡くなったPercy Herbert Thomas CUTTERの倅であることが分かる、彼は1882年に亡くなったらしい。ただ、日時が違う?
 欧米のこの辺りの先祖探しは凄いものがあり、この時代の無名の市井の人の先祖がその当時どこで暮らしていたか?その家に召使は何人いたことなどもわかる。それはイギリスの教会には洗礼名簿があるのでかなり詳しく昔の人を特定できるらしい。
 
これも不思議な縁である。人は人を思い、その想いを記憶の中にしまい込む。
そして、その何人かとは言葉を交わし、そのうちの一人と生涯を共にする。その記憶が二人を永遠に結びつけるのかもしれない。
                                   泉 利治
2021年2月22日
                         

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