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Column

VSOE & Semmering

マニアというほどでもないが鉄道旅行は好きだ。目的ではなく手段が目的なのが鉄道旅行なのだろう。何日か前、テレビでセメリング鉄道の魅力を伝えている番組を紹介していたので家人にビデオをとってくれるように頼んで週末に見た。
 あまりの素晴らしさに言葉を失う。セメリング鉄道とはウィーンからトリエステまでの山岳鉄道である。その車窓から見える景色の見事さ、そしてそのような風景の中を疾駆する美しい列車。私は即座にそれに乗ることを決めた。これを体験せずに死ねるものかという気になったのである。
 私は20年近く前にウィーンからヴェネツィアまで冬の12月に一日がかりで鉄道旅行を敢行したので今度は秋のさなかにでもウィーンからトリエステまで行こうという気になったのである。家人はトリエステが須賀敦子さんの本でおなじみなので反対はしまい、そしてウィーンにも行きたいと言っていたからである。そんなことを考えるとウィーンにも鉄道で入ったことを思い出した。あれはチューリッヒからザルツブルグまで入り、そこに3日くらい滞在して、そこからウィーンに入ったのだ。
 
VSOEとはヴェニス・シンプロン・オリエンント・エクスプレスの略でアガサ・クリスティで有名なオリエント急行を復活させた豪華観光列車であり、知ってか知らずか、そのオリエント急行が観光列車として復活したあとに、今から30年ばかり前にロンドンからパリまで乗車したのである。ただ、その頃、ヴェニスの魅力が分からなかったのでパリで下りてしまったのであるが、それでもランチとディナーが提供された9時間前後の旅行だった気がしている。取り立てて鉄道マニアではないが私はそれ以来、ヨーロッパでは鉄道を利用して移動した。
 そこで突然、思い付いたのが前記したヨーロッパ鉄道旅行案はロンドンからVSOEでヴェニスまで行き、そこからトリエステまで鉄道もしくは車で行き、そこからセメリンク鉄道でウィーンに入るというコースである。これは最高の旅行、人生最後の大旅行になりそうである?
 まあ、リタイア組なので金はないが時間はあるので実現の可能性は健康と金次第である。
今回、初めて行くところはトリエステくらいで他の三都市は常ホテルも決まっているからあまり心配はない。そんな気にさせたくれたのがセメリンク鉄道である。
 本当はやはりイスタンブールからロンドンまでの本物のオリエント急行に乗りたかった?しかし、私は鉄道だけに乗るのが好きなわけではなく鉄道でそれぞれの街に訪れるのが好きなのである。ただ、ヨーロッパの鉄道はコンパートメント方式なので他の乗客と同室になるのが前提になるのが少々面倒ではある。ヨーロッパ旅行になると英語でさえ身振り手振りのコミュニケーションが主流の私なのではあるが、どういうわけか母国語がイタリヤ語やフランス語、ドイツ語の人たちとの会話になると不思議と私の拙い英語力が効果を発揮するのである。理由は母国語がそれらの人の英語のボキャブラリー数が私と同じ位であるらしく、意外なほど通じるのである?これまでそれでほとんど乗り切れたのだ。
 
そういえば「リスボンへの夜行列車」というのもあった。映画で見たので「リスボンに誘われて」という映画であったがヨーロッパでベストセラーになった映画ということでオリジナル本「リスボンへの夜行列車」借りて読んだのだがポルトガルの政治情勢が分からない日本人にはかなり難解な本で最後まで読み切れなかった。ただ映画は判りやすく、魅力的な映画であった。アマゾンプライムに入っていたら何回も見るかもしれない。
 しかし、この鉄道をタイトルにした映画にとって鉄道は刺身のつまのようなものであった。内容は革命とか哲学がテーマで、この映画の原作がヨーロッパでベストセラーになったということを知って、ヨーロッパ人の知性の成熟度が日本人よりもかなり高い気がしたものである。というより両国民の抱えているものの違いかもしれないが?
この本における鉄道はそのような異なる観念や情念みたいなものを運んだり、切り離したりした役割をしたのである。鉄道は人と同じ地べたの上を走る乗り物である。それゆえか鉄道はとくに人の別れに残酷なほどの演出をする。鉄道の別れは独特である。窓越しにいる二人。物理的に一つであったものを、まさに徐々に切り離していき、数分後には遠い彼方に押しやってしまうのである。こんな残酷な別れを演出するのは鉄道以外にはないだろう。
「リスボンへの夜行列車」で唯一印象深かったのは最後のシーンで偶然の理由でリスボンを訪れた教師が去る時に鉄道のタラップでリスボンでの教師の調査に協力してくれた女性医師が教授との別れが耐えられなくて「別にリスボンに別れを告げなくてもいいんじゃない?」ということを言うシーンである。たしかに教師はスイスに還る理由はないのである。なぜならばそこには自分を待ってくれる人はだれもいないからである。その不器用な教師はリスボンで革命家のことを調べている間に協力をしてくれた眼科医とのほのかな恋が芽生えたのであった。教師は自分のことながらそんなことに鈍い人間なのだ。実際に教師はその言葉に誘われて鉄道のタラップを降りることになるのだが、そのシーンがまばゆいくらいに素晴らしい。
ただ、原作でもそうなのか、それは映画の「リスボンに誘われて」だけの話なのかわ分からない。ただ、ヨーロッパでは鉄道は国を越えて走る。島国ではないからで、私も何回か鉄道の中でパスポートを鉄道の係官に見せたことがあるがヨーロッパ人には鉄道の別れの距離感は日本人とは違うのかもしれない。今はEUになったのでそのあたりはどうなのか分からない。こんなことは島国の閉ざされた鉄道網を持つ日本では体験できないことかもしれない。いずれにしても鉄道旅行というものは特別な体験なのである。今、わたしの中では鉄道旅行のまばゆい思い出が渦巻いている。
                                  泉 利治
2021年2月8日

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