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Column

アメリカという国

 「モルモット国家」とアメリカをそう呼んだことを昔、聞いたがその比喩は今でもアメリカの真実を言い当てていると思っている。
 これは真実を知るために進んで実験材料になるということである。失敗などもろともせずに、というより失敗を織り込み済みでその果実の大きさで失敗を帳消しにするどころかその優位で利益を最大限に膨らますことである。世界一の経済大国はそのポリシーで実現したのである。したがって、トランプ氏を大統領にするということに対してもそのようなアメリカンポリシーの下で実施されたと言える。はたしてその博奕は上手くいったのか?
 少なからずトランプ氏を知らない私は当初、何となくほぼ同じ星の下のかれに対して親近感を持っていたし、かれに対するアメリカ人の不安や杞憂を、いわゆるどこにでもいる心配症の評論家か?トランプ嫌いの知識人の雑音としかとらえていなかった。
 というのはだれでもそうだが人は嫌いな人物に対しては嫌いな部分しか見ないものであるし、その人物の新しいニュースでも嫌なことが書いてある情報しか記憶しないからである。したがって、アメリカの人口の半分に嫌われているトランプ氏の新しい情報の大半は氏に対するネガティブな情報になると思われたからだ。ここでなぜ、大半なのかということである。本来、50%ではないのか?である。

 アメリカという国は今回の大統領選挙で分かったように50%のトランプ氏支持者と50%の非トランプ支持者にくっきりと分かれる。そして、特徴的なことはトランプ支持者にはとんでもない輩が多いということである。というより、とんでもない輩が混じっているというべきかもしれないが?多分だが議事堂で狼藉を働いた連中はトランプ支持者であることは確かなのだろうが、その一面のみを支持しているだけなのだろうと思われる。
 その人たち、いわゆるトランプ支持者に対して確実なことはそのようなトランプ氏のこれまでに生き方にアメリカ大統領たる、あるべき姿を見出していた結果であることは確実である。つまり、コモン・マンとしての大統領の資質である。コモン・マンとは普通の一般庶民ということである。

 桜で有名なポトマック河畔に第三代アメリカ大統領であるトマス・ジェファーソンの記念館がある。そこに当然ながら彼の銅像がある。またそこから少し離れたところにリンカーン記念館がある。そこには誰もが一度は目にしたことがあるリンカーンの大理石像がある。その二つに共通していることはかれらが履いているズボンにアイロンでかけた直線の折り目がないことである。いわゆる折り目がついたズボンをはいていない大統領像とは何を意味しているか?それはその大統領の生涯は国民のために働き詰めだったことを表している。
いわゆる国民のために仕事をし続けた偉大な大統領の証を彫刻家は表現したかったのである。アメリカ国民の大統領の理想像はそのように普通の国民と同じ額に汗して働いている大統領なのである。アメリカの大統領に求めるのはそのようなフツーの人間であり、決して高い教育を受けたエリートではないことは確かなのである。
 トランプ氏にはそのような非エリート的なところがあったことは確かである。しかし、彼は大金持ちではないか?いやいや、そこが不思議なレトリックで大半の人はハーバートやエールを卒業していなくとも大金持ちになれるという生きた見本のようなものをトランプ氏に見たのである。しかし、彼が折り目のついていないズボンをはいたのは見たことはなかったが?
 
 私は当初、トランプ氏を選んだアメリカに対していわゆるトランプ氏に古き良き時代のアメリカの香りを微かに感じていると思われる人たちの選択というような気がしていた。ラストベルトにいた人たちをテレビなどで見る限り、かれと同じ生活信条を持っていたが、たまたま仕事を失ってしまった人たちのように見えたからである。かれらは古き良き時代のアメリカそのものであった。堅実なプロテスタントであり、日々を規則正しく生きる人たちである。ただ、時代はそのような生活信条を持った人を容赦なく切り捨てた。
 なぜなのだろう?と彼らは考えたろう。そして、徐々に分かってきたのはかれらの仕事を奪ったのは名門大学のビジネススクールを卒業したMBAの連中でパソコンの前に座り、細い指先でパソコンを自在に操り、信じられないような高給で折り目の着いたズボンをはいて、エアコンで適度な温度で調整された美しいオフィスで優雅に仕事をしている。しかし、自分たちと同じトランプ氏も彼らと同じ優雅に暮らしているではないか?
       だからトランプ氏こそ我らの理想であり、救世主に違いない!
 トランプ氏は上手くやりさえすれば歴史に残る名大統領になったに違いない。チャンスはあったのだ。実際、彼はそれを望んでいた。あと4年間大統領の席にとどまり、古き良きアメリカを支えてきた人々に仕事を与え、誇りを取り戻すことを成しとげるのである。
 しかし、かれにはそのチャンスを生かす能力がなかった。その要因は狭量な自分の殻から抜け出ることが出きなかったからだ。それは自分のありたい姿が思い描けなかったからである。
かれはプロレスが好きらしいが格闘技というよりSHOWとしての格闘技を本当の格闘技と思っていたようにかれにとっての人生や大統領職というものもそのようにとらえていたようだ。プロレスにおける世界チャンピオンの真実とは何なのだろうか?
真に偉大な大統領とは何なのだろうか?そして、人間としての自分とは何なのだろうか?を考えるには74歳の頭脳には不慣れな命題の様な気がしないではない。
さらば、トランプ大統領!!
                           泉利治
2021年1月25日

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