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Column

激  痛

 こんなタイトルを書いて、昔、スピルバーグが無名の頃の映画のタイトルを思い出した。
「激突」は考えてみれば数か月前に日本中を騒がした「あおり運転」の時代先取り映画だった。そう考えるとやはりスピルバーグは天才だったのかもしれない。
 私の場合かなりアホな話で、まさに激痛の話である。我が家の敷地の内2面がパブリックロードに面しており、そこは薔薇の生け垣になっている。本来、そこは地上から5メートル以上であるため泥棒が入る心配もないので別に薔薇でなくともよいのであるが、30年前に小さくともイングリッシュガーデンを何とか実現したいな?ということを聞いた植木職人が珍しい中国起源の薔薇の原種を一株植えたのである。その薔薇は生命力があり、白い桜位の5輪の花を毎年春先に咲かせた。
 したがって、植えてから30年近くなるがいつの間にか10M+5Mの生け垣を覆うようになった。そして、そ生垣のボリュームは約3メートルの厚みになってしまった。イギリスのガーディナーだったらそのような薔薇の処理の仕方を知っているのだろうが、日本の植木職人は分からない。まして、春になるとこんもりと緑と白の見事なコントラストの生け垣を実現するのだから、全く手を下さなかった。しかし、とくに南側は柵より3メートルの厚さで茂りどうも格好がつかなくなった。
 ということから何日かかけて私が切ろうということになり約8日間で南側5メートルに挑戦した。というのが東側はそんなに出ておらずきれいに茂っているからだ。
切り始めると分かったのだがその薔薇は30年でどこがどうなっているのか分からない枝がはびこりその先に花を咲かせるようなのだ。いわゆる放水用のホースくらいの枝が結構垂れ下がっており、そこのところは葉も茂らず格好が悪いのである。徐々に切っていくと垂れさがったホースのような枝のどれがどの部分の葉に養分を供給しているのかが分かってきた。というのはもう死滅しているホース枝も結構あるからである。そのようなものを取り除くと結構まともなものになってきた。
そんな作業を8日間やったのだが、その切った枝等を処理するのがそれ以上大変なのである。薔薇の枝というのはとんでもない凶器である。分かりますよね?その棘は生きた枝にもあるが死んだ枝にもあり、特に死んだ枝の棘はほぼ固形化して絶対剥がれ落ちることはないのである。それらの凶器を30センチ前後にカットしてまとめて木曜日にゴミ集積所に出さねばならないのであるが、その処理作業が半端ではない。
最近、この手の作業をやる人が増えたのだろう。近くにあるホームセンターにはそのようなバラの棘をも通さないゴム引きの手袋が発売されている。私はそれをしてホース状の枝をカットしたのだが、それを束にするために紐で括る際にどうしても手袋を外さないといけない。その段階で素肌の指は棘の攻撃にあうことになる。その作業が終わって何日かしても指先が痛い場合、虫メガネで見ると指先には1ミリにも満たない棘が残っているのだ。しかしどういうわけか我が妻は棘取りの名人で特殊な棘抜きと爪を使って見事にそれを取り除くのである。取れない場合は赤チンを付けてバンドエイドを一晩も張ると棘が浮き上がってきて簡単に除去できる。
一応、一通り作業が終わってその夜は無事に過ごしたのだがその次の日からとんでもない痛みが襲ってきた。肩や首が痛いのは判るが何とも体の中が痛いのである。二日目の夜は寝返りも打てない始末でこの激痛は何のだろうということで2晩苦しんだが一向に直らない。その内。所在のわからない痛みはどうも背筋であることが分かってきた。それと同時に痛みのために眠れないことを防止するために鎮痛剤を飲むことがいいことが分かってきた。鎮痛剤のお蔭で寝床で寝返りを打てるようになり安眠ができるようになった。
ようやく3日目からは日常の生活が戻ったかに見えたが、ライフワークで始めたチェロの練習ができない。肩などが痛くて弓を動かせないのである。痛みをこらえて30分ばかり練習したがこれ以上は無理であることが分かった。参った!鎮痛剤を飲んで明日のレッスンに行くしかない?

死ぬ間際に、もの凄い痛みに襲われるという話を聞くことがある。そしてその苦しみの中で死ぬ人も多いと聞く。死が唯一その痛みを除去してくれる方法になるのだが。これ鎮痛剤と違い後戻りができない痛みの除去法である。
私は何の因果か両親の死に際に立ち会うことができなかった。特に母の場合、二軒隣の病院だったのでその死に立ち会ことができるだろうと思っていた。深夜の2時ごろ病院から電話がきた。すぐに来てほしいということであった。私は多分、10分もしないで病院に駆け付けた。医師と看護婦が心臓を再生させるため叩いていた、ろっ骨が折れるのではないかと思うくらいであった。生きていたら激痛であったろう。医師たちは最後の言葉を近親者に聞かせたいと思っているのであった。しかし、目を覚ますことはなかった。その光景を今でも覚えている。真夜中なのでそこだけが明るい病室で死んだばかりの母の顔を眺めた。頬に触れるとまだ暖かかった。少し遅かったね、そんなことを呟いた。
一番の後悔はその夜、私は母のもとに訪ねる予定だったが、運悪く剣道のけいこが長引いて面会の時間が過ぎてしまったのであった。したがって、約束を果たせなかった。それが悔やまれたのである。本来、稽古を早く切り上げる予定であったが、先輩面した奴につかまっていろいろとどうでもいいような注意を何十分も受けた結果遅くなったのである。本来の私の性格からするともう結構ですと遮って帰るのだが、その日は運がなかったのだろう。一生涯の悔やみである。
コロナ渦での激痛、しかしコロナより直りは早いか?今日一日様子身だな・・・?

                                泉 利治
2020年12月7日

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