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Column

愛妻物語

 という映画を観た。今では死語になった言葉であろうか?気恥ずかしくて云えないのかのどちらかだ。しかし高齢化社会の現在、妻に先立たれた男性がテレビで映し出されたり、妻に先立たれた夫の述懐を新聞などで読んだりすると、まさに愛妻物語だなと思うような光景に出くわすことがある。だからこの物語はこれからも続くような物語なのだろう。
 この映画はいくつかの点で現代に通じるようなテーマを抱えている。本作品は1951年新藤兼人の監督デビューの作であるらしい。その内容は新人脚本家が妻に助けられながらも一人前の脚本家になるための物語である。
 私が一番感じた現代に通じているなと思うところは男が自分の才能や勉強が足りないことで壁にぶつかって苦悶しているのを妻の一途な想いで繋ぎとめているところなのだろう。
というのは今の若い人の多くもこのような形で人生を歩んでいるのではないかと思ったからである。そして、その多くは自分の才能で苦労をしているのである。この才能というものは学位や教育とは別物で最高の教育を受けていても当人が想像していたものをその才能がゆえ、達成しえない人は多くいるからである。
 映画では唯一、主人公の才能を信じているのが妻だけなのであるが実家の母の仕送りを頼りに生活を支え、夫の心を支えるのである。私はその映画を観ながら最初に思ったことはこのような妻は稀有な存在ではなく、身近にいるに違いない、そして日本女性のほとんどがこのような女性なのではないかと思ったことであった。
 この妻は最後に結核で死ぬのであるが臨終の場に立ち会った夫の脚本を評価する監督の優しい言葉を聞いて夫の成功を確信して亡くなるのである。いつの時代でも才能のみを頼りに生きていく男に嫁いだ妻は苦労するのだなと思ったが、この物語の特殊性はこの映画を撮った新藤兼人監督の自伝的な映画であることを知って合点がいく、脚本家をめざして苦労していた新藤兼人を支えたのは内妻の孝子であったらしい。そして、支えた男の成功を見ずに亡くなるのである。そのような背景を知るとこの映画は脚本家・監督の亡き妻に捧げたレクイエムのような映画なのだ。映画では心底優しい妻に心を打たれる。
 
 日本人妻の秀逸性は最近あまり聞かないがこんな格言が?ある事を思い出した。男の夢は「イギリス人の邸宅に住み、アメリカ人の給料を得て、日本人の妻をもらい、イタリア人のように生き、スペイン人として死ぬ!」だれが言ったのか知らないが、もしかすると唯一のわが外国人畏友であるテレンス・オリバー氏かどうかわからない?そのくらい前の記憶なのである。超ドメステックな私が道をどう誤ったか先進的なビジネスカンパニーである英国籍の会社に潜りこんだおかげで普通なら体験できなかったような体験をした時に上記の諺を知ったのである。
それを聞いた時、オレは3番目の目標だけは実現したなとしみじみ思ったものであるが、一番目のイギリス人の邸宅というのも何となくわかる。簡単に言うと今ならさしずめダウントンアビーに住むことであろう。二番目のアメリカ人の給料!!これは多分、日本人には想像がつかないだろう。さしずめ年収が日本円にして1億円くらいなのかな?ミネオネラのことをいうのだろう。だが、調べてみると年収1億円の人でも税金等を引くと手取り、いわゆる可処分所得は4910万円になるので正確なミネオネラとは年収2億円が必要かもしれない。
3番目の日本人妻?普通の日本人男性ならまず可能だ。次のイタリア人のように生きる。これは最近の日本人男性にも実現可能にしている?しかし、それには自身の健康と、安定した生活、気心に知れた友人たち、出来たら年季の入ったフェラーリを1台でも持っていれば申し分ない。
 スペイン人として死ぬ・・・これがイメージ出来なかった。ネットでそれを調べてヒントになったのが「スペイン人は“死“に生きる」という言葉であった。これはどうも国民の9割以上がカトリックのスペインでは清らかに生きて、死に際しても自分の人生に100%満足して死ぬことができるからだ?ということらしい。
 
 表題に戻ると本考のきっかけになった新藤兼人監督は「愛妻物語」のモデルになった孝子さんに似た女優の乙羽信子を後に妻に迎え、100歳まで映画を撮り続けたというから、考えて見ればこの格言通りの人生を送ったようである。どういう星のもとに生まれたのか知りたいものである。

 最後に私がこの映画を身近に感じたのは脚本家の卵が住んでいるアパートがどうも大船撮影所の近くなので我が家の近くではないか?そして、戦争に入り撮影所のリストラで脚本家の卵が失職してしまい、自分を贔屓にしてくれている部長のいる京都の太秦撮影所に潜り込んで、京都で二人は暮らすようになるのだが鴨川などが映し出されたり、京都のウナギの寝床のような住まいが映し出されたり、何かと私の知った場所での物語であったことであった。
 面白かったのは京都で空襲警報が鳴り明りを消して避難するのだが、実際の京都は米軍の方針で空襲されなかったのである。しかし、当時の京都の人々は勿論、大本営でもそんなことを知らなかったようである。そんな戦時中の京都の街が面白く映し出されていた。
                                   泉 利治
2020年11月16日
                                    
 

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