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Column

ノーベルウィーク

 この季節はノーベルウィークと言われている。そして今年は日本人の3年連続になるかという期待がかかっていたが、これまで(10月11日現在)残念ながら日本人の受賞はなかった。ただ、本日最後の経済学賞というのがあるがこれはかなり期待薄である。どうも経済学という分野は日本の学者が不得意とするところで、これまで名前が出たのは知っている限り宇沢弘文氏くらいで、要するに母数が少なすぎるのである。
 しかし、ノーベル賞の授賞者は今回もこれまで5名のアメリカ人が受賞している(その後、経済学賞が2名のアメリカ人に与えられたので計7名になった)多分、これまでの受賞者を国単位で見るとアメリカがダントツである。もし、異なる星から知性の高い宇宙人が来て、この受賞者がダントツの国のアメリカがどうしてこのような国家元首を戴いているのか不思議に思うに違いない。そしてその理由はそれを選択する国民の知性の低さを指摘するか、もしくはそのような元首が選出されるシステムの拙さを指摘するに違いない。
 私はその理由として2・8の原則をあてはめて納得している。そもそもアメリカという国には2割の知性が高い人たちが8割のその反対の人で構成されている国である・・・?そういえばヒトラーを選んだのもこの8割の聡明な?ドイツ国民であった。
 しかし、最近この2割の人たちもかなり危ない気がしている。たとえば、原子爆弾の製造をアメリカに進めたのはアインシュタインと言われている。この物理学の天才がヒトラーの恐怖におののいて亡命していたアメリカ政府にそれを訴えたのである。もしヒトラーが原爆を製造したら、世界は大変のことになる。当時、そこそこの国であれば原爆の製造は可能であったようである。アインシュタインの懇願にアメリカの新しもの好きの科学者は大喜びをしたに違いない、その行く末も考えずに。
 アインシュタインはその能力からも、また、近代における平和の伝道師として、今でもその栄光は揺るがないが、アインシュタインのこの勘違いは人類を奈落の底に落としたことは確かである。というのはヒトラーは原爆製造などを考えてもいなかったからである。そして、それが広島と長崎に投下され、その恐ろしさを目の当たりにしたアインシュタインは自分の罪を悔いたに違いない。アインシュタインは同朋であるユダヤ人に対するヒトラーの様々な迫害を見て原爆製造を進言したのだろうがこの歴史上、最大の皮肉は遺憾ともしがたい。それでもアインシュタインは今でも尊崇の位置を確保しており、勘違いされたヒトラーはそれゆえ人類史上最大の悪人として忌み嫌われている。考えてみれば日本人はその平和主義者であり、人類史上最高の頭脳と言われた人物の最初の犠牲者になったのである。もしかするとアインシュタインはヒトラー以上の暗黒の存在かもしれない。確かにノーベル賞を受賞した天才ではあるが?
 
 結局、3年連続とはならなかった日本人の受賞者、今後、日本人の受賞者は徐々に減ってくると言われている。先駆的な科学論文の数が減っているし、海外に留学している人の数も減っているからである。しかし、量より質だろう!と思ってはいるがこれは確率の問題なので論文の数が少ないのは遺憾ともしがたいようである。
 30年後は中国人の受賞者が毎年、5名ぐらい出るのかな?と考えると何とも言えない気分になるが、その受賞内容の先見性だけではなく、世界への影響をも考えて授与してほしいものである。「アインシュタインの皮肉」はコリゴリだからである。確かに天才の頭脳は人類を滅ぼす凶器にもなりうるのである。
 
そういえばノーベル賞はそれを創設したアルフレッド・ノーベル氏の世界初の大量虐殺の道具?であるダイナマイトを発明して得た財産が基金のベースになっている。これも何となく先に書いたアインシュタインと同じような皮肉だな。ただ調べてはいないがノーベルは武器の原料としてそれを発明したのではなく、あくまで土木工事などでの有用性を考えての発明と思われるが?その点、アインシュタインよりいいか?
 このダイナマイトに関して、日本にこれを最初に持ち込んだ人物はJ.Pモリソンという英国商人である。この人物は安政6年に江戸幕府が結んだ通商条約によって横浜に渡来したのである。このダイナマイト商人のもたらした最初のダイナマイトの威力を見せるために最初に実験を行った場所は、たしか長崎だったと思うが?その実験には鉱山技師や土木技師の他に軍人もいたようであった?
 このモリソン氏、横浜の邸宅を息子夫婦にあげて晩年、鎌倉に住んだ。私は海辺に建つ、その豪壮な洋館の写真に魅かれて、この人物について調べたのだが、スコットランド出身のこの商人はダイナマイトが商品として売れなくなると、馬車や酒やお茶などを扱うことになる。ダイナマイトを利用して軍部は大量の武器をつくり、日清、日露の戦争に勝利をおさめる。商人は人が欲しがるものならば何でも売るのが哲学であるからだ。
 このモリソン氏の残された奥さんは第二次世界大戦の際に敵国外国人として、箱根の収容所に入れられてそこで亡くなる。その世話をした娘は戦後GHQの通訳として働き,1970年に亡くなる。かれら一族の墓は横浜の外人墓地の一角にある。

 私はリタイヤしたあとの最初の研究テーマとしてこのモリソン氏を調べたがそれなりに面白かった。一番の驚きはかれらの先祖等がネットを駆使するとほとんどが見れてしまうことであった。たとえば170年前に英国にいた頃のモリソン氏の家族やそこに同居していた家政婦の名前までが載った戸籍簿に行き着くことができる、それから読み進めるとこの人物の過去等が分かり、プロフィールが見えてくるのである。これはノーベルウィークとはあまり関係がない・・・
                                   泉 利治
2020年11月2日
 

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