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Column

エール

 コロナのお蔭で再放送していた連続テレビ小説「エール」がやっと再開された、といってもこの2か月近く、何とも毎朝再放送のエールを見ていたというから、かなりのものである。それだけ面白いのである。その上、この作品にはNHKならではの生臭い説教じみたところがない。これが一番いい。
私がNHKの連続テレビ小説を見ることはほとんどない。これまで見たのは何年か前に放映した「マッサン」だけだったかな?共通項は双方とも知っている人物が主人公の生涯のドラマだったことであるくらいである。したがって、NHKが放映したものにしては説教じみたところがほとんどなく面白かったがその根底には作為的なNHK的説教を超えたものを教えられた気がしたものである。
今回の「エール」は作曲家古関裕而氏の物語である。私がこの中でこれまで一番興味深かったのは古関の作曲法であった。正直、その方法はモーツァルトのそれと同じであったからである。つまり、空で楽曲、ましてオーケストラの各楽器のパートの音まで書きつけていくなどということができる能力に驚いたのである。
モーツアルトの場合(聞いた話では)いわゆる総譜を楽器ごとに同時進行で譜面に落とすと言うが??それを聞いた時(これは映画アマデウスでサリエリが驚きのあまり言葉なのだが)そういう頭とはどのような頭なのであるか?これぞ天才!と思ったものである。あのサリエリを驚かしたその事実!である。
古関裕而は確かに日本で?モーツアルトに近づいた作曲家であることは間違いない。ただ違うところはプロになった最初の頃の1,2年は売れそうな曲が書けなかったことくらいなのではないか?そして、モーツアルトより長寿に恵まれたことくらいなのではないか?
このドラマ、NHKの朝ドラにしてはかなりくだけているというのも見る一つの要因になっている。たとえば前作の女性陶芸家を扱ったドラマでは彼女の連れ合いのシツコイくらいの説教にはほとほと呆れて、朝の八時台に放映する番組かよ!ということで見るのをやめてしまい、これなら玉川徹の方がマシかなと思ったくらいであった(ただ、こちらもコロナの件ではほとほと呆れてしまったが?)
いずれにしても古関裕而という作曲家、多分、環境が違っていたらモーツアルトに匹敵する作曲家になったと思われる人物、これから(もしかすると本考が掲載される頃には)戦争に突入し、その作曲で悩むことになると思われるが?今後が楽しみである。

NHKの番組は考えてみれば放送の多岐化で事前に金銭の何がしかを徴収することになっており、そのことをとやかく言う人がいるが、私などはこの放送局はやはり必要な気がしないではない。というのは民放が余りにもどうしようもない番組しか放送できない時代になってしまったからである。昔は民放もNHK的な優れた番組を自主制作して放映していたものである。
 私が一番印象に残っているのは「老人と鷹」というドキュメンタリー番組である。確か日本テレビが制作して、かなり話題になり多くの若者のうちの何人かは山形県の老鷹匠の家に弟子入りするまでになったのであった。その時、民放がこのような質の高いドキュメンタリー番組を製作できることに対して賛辞の声が上がり、NHKも発奮したのを覚えている。それに比べると今の民放は、政権批判をする番組をつくるか人気タレントのパフォーマンスを競わせるというようなワンパターン番組しか作れなくなったのは何とも悲しい。
いずれにしても民放も知恵でNHKを凌駕するような番組をつくった時代もあったのである。ちなみにこの「老人と鷹」はカンヌ国際映画祭でグランプリをもらったのであった。多分、その映画は雪国で格闘している国民へドラマチックな夢を与えたのであろう。

それと古関裕而という天才がどのようにして生まれたかという物語にも興味をひかれた。というのは、こと「音」というものの訓練はそれこそ10歳に満たない年齢から鍛えないと駄目らしいからである。私は絶対音感のことを言っているのだが、多分、オーケストラの音を聞いて各楽器がどのような音を出しているかが分かる能力というものも同じと思われる。
自分の出している音がどの音なのかが分かる能力だけでも欲しいものだと最近思っているからである。私は人生でやり残したことがないかを自問した結果68歳でチェロをやり始めたが、もう6年もやっているが正しい音というのが分からない。したがって、録音したものを後で聞いてみると、本当にその曲を弾いているのか?というような不思議な体験をすることになる。
というのはどうも素人の弦楽器演奏とはそのようなものであるらしい。つまり、ピアノやギターは、まあ、フルートも一つの音を出すキーとは決まっていて、ピアノの場合中央のドの音はルービンシュタインも私も確実なドの音を出せる、ギターもフラットがあるので出せる。フルートも決まった指仕えの通りに押さえれば音は出る。しかし、弦楽器はそのポジションを示すものが何もない。したがって、ヤマカンで押さえざるをえない。それが悲劇を生む?全ての音がずれるということになる。「同曲異奏」こんな四文字熟語をつくらざるをえない状況が生まれるのだ。
ユーチューバーのバイオリニストが言った“弦楽器の発表会に友達を決して呼んではいけない”というような事態が生まれる。友達はピアノの発表会にでも来たような気分で来るのだろうが、ピアノのそれとの違いに愕然とするからだ。ピアノの場合、音程は正しいので、知っている曲なら、ただ下手なだけと分かるが、弦楽器の場合、何を弾いているのかが分からないというような状況に陥る。
ただ、伴奏のある曲ならまだ、ピアノパートに救われるかもしれない、しかし、無伴奏チェロソナタだったらそれは地獄の様相を呈するだろう!考えただけでも恐ろしい??
                                  泉 利治
2020年10月5日

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