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Column

バルカン超特急

アマゾンプライムの会員になったお陰で古い映画を見ることができる。昨夜は表題の映画を観た。その夜、夜中に目が覚めてあの”バルカン“とは何だろうと考えて、ああ、あのバルカン半島のことかということから、そういえばオリエント急行はバルカン半島を通過することを思い出し、オリエント急行を舞台にした映画であることが分かった。しかし、原作のそれらは架空の国ということになっているらしい。
 しかし、映画の列車内のシーンはコンパートメントと個室タイプの二つが映し出されている。私は鉄道マニアではないがヨーロッパの列車を利用したので、それらが手に取るように分かり懐かしんだ。オリエント急行は30年ほど前にロンドンからパリに移動したが、海を渡るのに列車を下りてフェリーに乗り換えるのに少々幻滅したのを覚えている。その後、ユーロエクスプレスでベルギーから乗ったときは海の下を走り抜けてきた。
 今は勿論、オリエント急行でも乗り換えずに行けるようになったのだろう?と思ったが、ネット調べるとフェリーではなく、バスになっただけでやはり、列車から降りないといけないらしい。
 
 興味深かったのはこのバルカン超特急という原作についてである。それがアガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」の先駆的な小説と思ったからである。この原作はエセル・リナ・ホワイトの『The Wheel Spins』 でそれをヒッチコックが映画化したもので、公開は1938年であるので戦前の映画であった。そして、その原作の方は1936年に発表された。一方、アガサ・クリスティのオリエント急行殺人事件の方は1934年に発表されているのでこちらの方が2年ばかり早い。
 オリエント急行は1883年に運行がはじめられたのでそれらの2作は50年後に小説化されたことになるが、バルカン超特急の中でロンドンが終着駅になっていたので調べると当初パリ―イスタンブール間だったが、1920年代からロンドンからの接続も始まったらしく、それらのことがイギリスの作家をインスパイアさせたのだろうと思われた。
 オリエント急行のパリ―イスタンブール間は1977年を最後に廃止され、その後、観光列車として復活、私の乗ったものは1982年に復活したロンドン―ベニス間のものであり、ロンドンからドーバー海峡までの間に豪華なランチをいただくものであった。
我が家族はそれに乗車するにあたり、ジーンズ&スニーカーは何となくまずそうな気がしたのでホテルを出る時、きちんとスーツを着てネクタイを締めて臨んだのだが、それが正解であった。その列車の受付はホーム上にロゴ入りのカーペットが敷いてあったからだ。ちなみに発着駅はシャーロックホームズ時代と同じ、ヴィクトリアステーションであった。  
われわれは黄色のじゅうたんを敷き詰めたような菜の花畑を見ながら、昼食をとり、フォークストンに向かうのだが、モリアーティに追われたホームズのような緊迫したものは一切ない家族旅行なので何ともうららかであった。
この旅行計画にはキッカケがあった。最初にヨーロッパでかけたのは独身時代の28歳の時だったが、その後、何とはなくヨーロッパに対するモチベーションが枯渇した時期があった。そして、新婚旅行でヨーロッパのはずが申し込んだツアーに人が集まらず、結婚式の一週間前に旅行会社から連絡があり、新婚旅行が突然無くなってしまった。
そんなことで思い付いた急遽の策が東京から九州まで愛車アコードで巡り日向からフェリーで東京に還るという案で、これはこれで面白かったので私はいいが、嫁さんにとってヨーロッパに行けなかったことは残念だったに違いない。しかし、私は会社の研修でヨーロッパに行くチャンスが巡ってきた。デザイン研修だったのでイタリア、フランス、イギリスのデザイン事情を見学したり、フリップ・スタルクの話を聞いたり、久しぶりのヨーロッパはやはり面白いと思ったと同時に当時、3歳の娘を育てていた嫁さんをヨーロッパに連れて行こうと決めた。その機会は一年後に来た。それが「オリエント急行で巡るロンドン―パリ」というツアーである。そこで今回のオリエント急行に乗ることになったのだ。

私たち以上に3歳の娘にとってそれはどう映ったのか分からないがこれを機にその後、仕事を絡めて毎年2回のヨーロッパ旅行をする幸運に恵まれた。その間、オリエント急行には乗らなかったが、普通列車でチューリッヒからザルツブルグ、ウィーン。そしてウィーンからベニス、ブリュッセルからロンドン、ロンドンからヨークなどへと列車を移動の手段として使って、この3人家族はヨーロッパを駆けずり周るのだが、ヨーロッパの国を汽車で巡るのは本当に素晴らしいものだ。運よく殺人事件には巻き込まれなかったのは幸いであった?

列車を舞台とした推理小説は結構あるようだが、その嚆矢は今回の女性作家の二つなのかもしれない。日本でも西村京太郎がそちらの専門なのではないか、だが、その価値を知らしめたのは何といっても松本清張の「点と線」だろう。旅行雑誌の連載小説であったらしいが、彼は取材を兼ねた旅行から小説のネタをたくさんいただいたようだ。

日本地図を見て鉄道が山の中を通っているがそこはどんなところなのだろうと思い、最近はストリートビューで見たりするとまさに「砂の器」で登場する亀嵩駅のような駅であることが分かると想像が広がる。私が生まれた羽前長崎駅もそのようなところである。したがって田舎の鉄道の駅というものに魅かれるのは私の生まれたところの駅と関連するのかもしれない。したがって、都会の駅しか知らない人は竹内まりやの歌う「駅」を聴いた方が共感を覚えるかもしれない。いずれにしても鉄道にまつわる物語は今後も我々に豊かな物語を提供してくれるであろう。
                                   泉 利治
2020年9月28日

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