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Column

ジャガーXKSS

 「BS世界のドキュメンタリー」という番組がある。海外のドキュメンタリー番組の秀作を放映する番組で家人が私の好きそうな番組を録画してくれている。そんなことからこのような珍しい番組を録画してくれたのだが、これまでABBAの自叙伝的なものやダイアナ王妃の知られざる側面を報じたものなどがあったが、特にヨーロッパのドキュメンタリー番組等は懐かしい景色が映るのでそれでなくとも一種のノスタルジーを味わうことができるので違った意味で興味深いものになっている。

 「よみがえる伝説の名車ジャガーXKSS」は1954年に一般路上向けに発売されたが、生産台数25台に対して16台しか発売されなかった。その理由はそれを生産している工場が火事になり出荷すべきXKも製作治具などもすべて拝塵に帰してしまったからである。
 今回のドキュメンタリーテーマは残り9台を生産するために設計図からすべてを新たにつくり出すプロジェクトのドキュメンタリー番組なのである。実際のボディなどは残されたものからコンピューターで線図を起こして、それをもとに製作したようだ。あくまでオリジナルを重視しているのである。ただ、あまり正確につくり過ぎて運転に差し支えるものは改良を施したらしい、たとえば密閉性が良すぎて運転していて息苦しくなることなどに対しては空気が入る工夫をしたようなことである。
しかし、私が興味深かったことはその製作プロセスである。特にフレームに蠟付けされたボルトにボディの穴がぴったりと合う(当たり前なのだが)ことなどである。
 それは同じようなことを私は仕事としてやってきたことから、そんな当たり前のことを成すことがいかに大変なことかをあらためて思い出したからである。
というのは往々にして別々に製作しているフレームとボディを組み上げるとピッタリと合うことなどは奇跡に近く、ボディの穴を大きくする、いわゆるバカ穴にしないと取り付けることができなかった経験があるからだ。というのはいわゆるボディ側、フレーム側の製作誤差や変更の連絡ミスなどが必ず出るからであった。
XKSSの場合のボディは鉄板であり、それらを曲面に仕上げるには鉄を叩いて意に沿った曲面、いわゆる3次元曲面にしなければならない。3次元曲面における一点とは図面上のX,Y, Zの交わる一点であるが、その一点を探し出し、つくり出すことは大変なのだ。XKSSはその点の集合体のようなボディ形状を持ったモデルなのである。いかなる自動車のボディもそうなのだが、XKSSの場合はその極致といってよい。

量産車の場合、何万台も生産するに耐えるための金型を製作し、その金型でできたボディと、その他の部品との取り付け調整を行い、事前に何回も修正し、決定した一点を確実なものとして製作するが、このXKSSのように9台しか作らない場合、どうしたのか分からない。(時間をかけて調整するのだろう?)
一台、100万ポンドで発売するというから日本円にして1.32億円が販売価格であるらしいが、9台製作すると10億円の売上だ。しかし、その程度の売上では金型は造れない、せいぜい木型だろうから、それに合わせて職人がハンマーでたたいて3次元の一点の集合体をたたき出すことになるのだろう。そうなると時間をかけて出来上がったボディをマッチング治具に取り付けて調整するのだろう。でないと本番で合うわけはない。

自動車のボディ図面は彫刻とは違い、勝手に造形物をつくるのではない。そのボディはエンジンやシャーシーを覆うものであり、ボディ外寸は法律で決められているので寸法以内におさまらないといけないというルールのなかでデザインされるものである。
したがって、どうしても図面を書かねばならない。つまり、三次元曲線の集積物である図面の作成がデザイナーの重要な仕事になる。ただ、それは私がいたような職場だからなのだろう。というのは今の自動車メーカーではデザイナーが絵をかき、外形三面図を画いたら、あとはモデラ―が原寸のモデルを立体化して、それをコンピューターが図面化するというプロセスを踏んで作図するからだ。しかし、半世紀前のXKSSはこんなプロセスを踏んではいなかったと思われる。勿論、私の職場でもそうであった。
XKSSを見たときこれはあの有名なジャガーEタイプの原型に違いないと思った。私がこの自動車を初めて見たのは目黒駅前でシルバーメタリックのそれが走り去るのを見たのだ、半世紀も前のことだが映像として記憶に残っている。そんな記憶があったのでレンダリング(完成予想図)と図面がかなり近くなったと自負できるようになってもジャガーEタイプのボディ線図を描く自信は生まれなかった。
あんな三次元局面の権化のような車のボディ線図をどう描くのか想像ができないのだ。あの当時、あんなボディが実現できたのには内部のメカとボディの間にはかなりの許容量があったとしか思えない。でないと当時の作図能力であのボディは造れない。ボンネットを開ければわかるが、今の自動車はボディとメカの間にはほとんど許容スペースがない。見る限りどうやってボディ内部にメカを組み込んだのかわからないくらいである。
それに比べると昔の自動車のボンネットを開けると、上からボディ下の地面がよく見えたものであった。昔はそれだけ何事にもガタがあった時代なのであろう。
私はボディ線図をモデルを介さずに描いてきた。理由は製作期間が短かったかったこと、製造台数が少ないプロトタイプモデルや量産車両ではないモデルを製作する会社だったからだ。しかし、最初、三次元の曲面の図面などどう描くのだ?ということで苦労したが、要領を覚えるとそんなものでも図面化できるようになるものである。そんな図面から木型職人が原寸モックアップをつくり上げるのであるが、たとえて言えば、その過程は五線紙の上に書かれた楽譜から音楽が生まれるようなものである。
                                  泉利治
2020年7月13日

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