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明治天皇と日露大戦争

 コロナのお陰かどうかわからないが、こんな映画が無料で見られるのである。60年近く前のこの映画の爆発的ヒットは凄いの一言で、何回かチャレンジして中目黒辺りにあった、長椅子式の座席の映画館でどういうわけかクラス一番の秀才の角山君と観に行った。なぜ、彼だったか分からない、というのはかれと行った最初で最後の映画だった様な気がしている。その彼は昨年亡くなった。
 この映画は昭和32年に封切っているので、私は11歳の小学校5年生である。目黒の小学校に転校したのは4年生の時なので、約一年くらいしてからだが、この映画はクラスでも話題になり、男の子はほとんどが見たと思われる。それはハリーポッターを超えていたろう。ちなみにこの映画の観客動員記録は40年近く破られておらず、破ったのは「千と千尋の神隠し」と言われているのでいかに凄いかが分かるだろう。
 
これは戦争映画である。それも我が国が勝った戦争映画である。それは戦後12年目に封切られた。いま思うのは戦争の傷跡が残っている割には大人たち、子供たちの周りには戦争に負けたのは残念だが、何となくその残念さがワールドカップで惜しくも負けたような気分であったことである。今の時代にあるシリアスな道徳的観念を感じられない気がしている。たとえばあの負けた戦争を舞台にした面白い映画が結構多かった。  
典型的なのは「二等兵物語」これなどは喜劇で今から考えてみれば戦争で傷を負った人、肉親を亡くした人などがたくさんいたはずなのだが、そのような中にあって戦争の喜劇が同居していた時代なのである。今の時代に置き換えて考えると考えられない時代なのであった。人間が強かったのか?社会が鈍感だったのか?しかし、私の周りにはごく普通の人が多かった気がしている。(ちなみに私は今の上皇の結婚式で学校が休みになった4月10日、結婚パレードのテレビ中継を見るより二等兵物語の方が面白そうだということでその映画を観に行った)
 その後すぐに来た高度成長期という戦場で日本人は弾丸の下をかいくぐってきたのだ。このような人たちがいたからこそ、日本の現在がある。間違いないことはこの国を動かしていた人たちはそのような人たちである。誤解がないように定義すると国を動かしている人たちとは私たち一人ひとりの事を言っており、「明治天皇と日露大戦争」にワクワクしてスクリ―ンを見入ったごく普通の人たちのことを指している。

 この映画はあの「坂の上の雲」と同じテーマを扱っている。この本はこの映画が封切られてから11年後の昭和43年4月から産経新聞に連載されている。作家司馬遼太郎が生まれたきっかけが戦争にあっただけのことはあり、日本が劇的な勝利を勝ち得た、この本によって彼は不動の国民的作家になったのではないか。その作品は日本の高度成長を支えたビジネス界の秋山真之や好古の座右の書となってその快進撃を支えた本になった。当時の経営者が推薦する本の筆頭に上げられた。
 
 「明治天皇と日露大戦争」という映画を60年ぶり見て思ったのはこの映画が「坂の上の雲」創作のキッカケになったかどうか分からないが文化部の記者として司馬遼太郎はこの映画が空前の大ヒット作品になったことは知っていたと思う。そしてその理由を記者として考えたに違いない。かれは朝日新聞の記者でなかったので、そのヒットの理由としてその映画の根底にある明治人の楽天性に気づいたのだろう。ここに国民が求めるものの原型のようなものがあるのではないかと。この映画に描かれた人、意志、行動に喝采をおくった、自分と同じ空気を吸っている日本人にである。
 「坂の上の雲」はあの時「明治天皇と日露大戦争」を見て感動した少年たちに何の違和感もなく引き継がれた気がする。そして、私の世代の経営者の多くが座右の書と言っている筆頭が「坂の上の雲」のような気がしているがその人たちは小学生の頃「明治天皇と日露大戦争」を見て興奮した男の子たちだった気がしている。
 
 それにしても嵐寛寿郎の明治天皇は見事である。それまで天皇を演じることなど考えられなかったので、本人もタジロイダそうであるが戦後、人間天皇を宣言したと言えど生き神様を演じるなど今の感覚では考えられないほどハードルが高かったと思われる。まして、明治天皇がどんな風に話、どんな仕草をするかなど誰に聞いても分からなかったようで、基本となっているのは残された肖像画しかないので嵐寛寿郎=アラカンはその静止画のようにほとんど動かず、表情も崩さず、動きと変化のない表情で演じたが、今、見てもそのリアリティは見事なもので、本物の明治天皇のような気がしたのには驚いた。
 その時知った戦艦三笠を大人になって横須賀に見に行ったがその小さな戦艦に驚いた。ハワイにある戦艦ミズーリに比べるとボートのような感じである。朽ちた甲板が痛々しかった気がしている。もしかすると戦争記念物というものに対する妙な思想的な負い目でその程度のことしかできないのではないかと思った。本来、このような記念鑑は国の誇りであるということが書いてあったが、今はどうなのであろうか近いので見に行こうかと思う。
 
 今の若い人たちは日本がアメリカと戦争をしたことすら知らない人がいると聞くが、ロシアとも戦争をしたとしたら驚くに違いない。
                                   泉利治
2020年6月1日
 

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