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Column

立教学院と青山学院

 京都に長樂館という洋館がある。私はその先にある長楽寺という時宗の寺に行った時にその途中にあったこの洋館を以前、何かの際にテレビ番組でみてどうもそこではないかと思った。まあ、ヨーロッパ辺りにあるけたたましく大きな洋館ではなく、比較的京都的なスケールにまとめられている洋館で入口脇のアフタヌーンティーの案内などを見たので一度は来たいものだと思った。
 そして先日、テレビでこの洋館についての由来や室内を詳しく紹介しており、その中身に少々驚いたのである。というのが外身は洋館だが、中は様々な時代の洋室、フランスルイ王朝からヴィクトリア朝?・・・の他に二条城にあるような日本間もあるではないか?したがってここは一般的な洋館とは全く異なることが分かったのであった。またその内容のバラエティーから見て、これは一人の建築家が設計したものではなく、いわゆるゼネコンの設計チームか、複数の建築家が所属しているおおきな建築設計事務所の手になるものではないかと思った。勿論、日本人のである。
 ところがその仮説はすべてあたらなかった。長楽館はアメリカ人の建築家J.M.ガーディナーによって設計されたということだった。それ以上に驚いたことはこのガーディナーはあの立教大学の第3代校長を務めた人物なのである・・・・

   私は驚きと共にこれまでの一つの謎が氷解したのである。

3年ばかりある大学のブランド戦略の仕事をしたが、その仕事の方法論の一つとして競合校のベンチマーク調査を実施する。その中であらゆる項目で似た大学があった。その一つが立教学院と青山学院である、まず、創業期も同じころ、創設者も宗派は異なるがアメリカ人のキリスト教の牧師たちによって設立されており、その学校は大学だけではなく、小学校、中学校、高校、大学をもつ総合学園であるなど。そのうえ、都心にメインのキャンパスをもっており、偏差値なども同じくらいで、そのうえ在学している女子大学生も何となく可愛いイメージがある?
そんなことから仕事の一環として双方の大学を半日かけてフィールド調査に出かけた。そして分かったことはまず、立教学院のキャンパスの美しさであった。と同時にそれを運営している学校のそのあたりに対する姿勢と哲学の見事さであった。それは驚くべき事だ。同じように都心にメインキャンパスがある上智大学、明治大学、法政大学などもフィールド調査をしたが立教学院を超えるところは皆無であった。
たとえば歴史的な建築の保存状態、新しい建造物群の外観イメージの統一感、建物と環境、通路や庭や休息所などの全体の美しさ、そして、蔦の絡まるチャペルという自然のものが人の作った建築と見事にマッチした、その演出。それらをつくり上げるのは正直、長い年月がかかるものである。
一方、青山学院は確かにメインストリートは美しいが、構内に入ってみると判ることだが、たとえば新しい建物の外観の色はバラバラ、建築スタイルも一貫性がなく、小さい敷地に林立しており、学生が集まるメインの広場もアスファルト作りで、その上彩色をしている。この辺りは都心にある他の大学も同じで、まさにアンチ立教をめざしているとしか思えない配慮なのである。私などからみるとよくもこれだけ好き勝手にやったものだなと思わざるをえない。
こんな笑い話がある。何年か前、中学校の同窓会に出かけた時、カラオケタイムになって数名の女子がペギー葉山のヒット曲「学生時代」を歌い始めた。カラオケには必ず歌詞とそれに合ったイメージ映像が映し出される。その中でこんな歌詞がある。・・・蔦の絡まるチャペルで・・・・知っている人はこの歌詞を見たらそのメロディーが思い浮かぶであろう。
ところがその際で出てきたイメージ映像がなんと立教大学のチャペルなのである。ペギー葉山は青山学院中等部から女子高等部を卒業したので作詞家は彼女が卒業した青山キャンパス内にあるチャペルをイメージした上で詩を書き、本人はその情景を頭に描いて歌ったと思われる。しかし、青山学院のチャペルにはそんなところはない。もしかしたらこの歌がヒットした1964年頃は青山キャンパス内のチャペルには本当に蔦が絡んでいたのかもしれないが?しかし、現在はその歴史的なチャペルはアスファルト広場の脇に建っている。
 
 しかし、ここが面白いところで「どちらの学校がお洒落で、ファッショナブルですか?」というイメージ調査をやると青山学院に軍配が上がる。昔、青山学院大学のイメージの良さは「青山」という立地によるものだという例として「ヴァンドームアオヤマ」は高級ジュエリーブランドとして成り立つが「ヴァンドームイケブクロ」じゃ成り立たないですよ!言いう話をしたら、聞いている人が妙に納得をしたことがあった。 
 
 立教キャンパスでもう一つ感心したことは立教学院展示館という学校の歴史資料館ともいうべきホールである。そこには立教学院の歴史をリアルな資料とヴィジュアルな資料をデジタル技術で駆使して初めての人でも理解できるように展示されている。その室内のイメージは歴史ある教会の様な荘厳さを感じさせる見事なもので、見終わって退出する時はこの学校の教育に対する真摯な想いとそれを将来に向けて発展させていこうとする意志のようなものを感じさせるに足るものであった。それ以上にその知的で洗練された展示方法!それは一貫した校内のイメージとたがわぬものであった。
 唯一、立教学院の負の歴史の部分があるとしたら第二次世界大戦で軍部によるキリスト教系学校への干渉で一時、キリスト教を捨てて、天皇陛下を選んだ時期があったことぐらいであろう。一方、青山学院はそんな軍部の干渉を撥ね退けるくらいの情熱で軍部がこの学校はキリスト教の学校だが日本のためになる学校であるという説得をしたくらいの信仰力を持った学校であった。そんなことゆえか立教学院は自校の歴史に対する負い目を知っているのであろうと思った。反対に青山学院の歴史資料館からは自校の歴史に対する想いなどは一切感じることができない。負い目がないからか?どうか分からない。

 ともかく、この二つの学校のこれらの違いの差はどこから生まれているのか不思議であったが、その発端はJ.M.ガーディナーにあったようである。かれは若い頃、建築家をめざしたが資金的な理由から教会学校に転校し、後に宣教師として日本に赴任した。明治のその頃は日本では西洋建築を設計できる建築家のニーズもそれ以上あったのであろう。ガーディナーは立教大学の学長として校務をこなす一方で学校キャンパス内の建物やゾーン計画、植樹など総合的なキャンパスを設計したようだ。立教学院と青山学院の差はそのようなものに対する文化の差にあるに違いないと思ったが、その文化はガーディナーによって種がまかれたようである。因みにかれは日本に来て念願の建築家としての夢を実現し建築事務所を開設し、数々の建築を設計し1925年日本の土となった。
 アイデンティティとはこう思う自分と人から思われている自分が一致している状態を表しているが、青山学院は人から思われている自分の方が数段優れている状態にあり、立教学院はその反対にある状態のようだ。しかし、立教学院の自校はこうあるべきであるという意識を、それも高いレベルの意識と理想をもっていることは将来につながることは間違いない。それにしてもこんな素晴らしいキャンパスで学生生活を送れる学生は幸せである。
                                 泉利治
2020年5月25日

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