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Column

聖テレーズ

 昨年の今頃、3月18日の日付で「小学生の通る道」とうタイトルの本考を書いている。本考は過去のテーマも読むことができるので興味のある方は是非読んでいただきたい。
 それ以来りょうこちゃんは週に何回か我が家の呼び鈴を押して、家人が提供するミルキーのおやつを片手に家人と階段を上がることになった。その後、何か月かしてりょうこちゃんのお母さんが本人と共にお礼のお菓子を持って挨拶に来た。というのは時々、階段の上で父親が心配したりょうこちゃんを待っていた時に挨拶などを交わしたからだ。多分、その時なぜ見知らぬ、オジサン、オバサンが一緒なのかを説明したのだろう。
 そして、先月、りょうこちゃんとお母さんが訪ねてきた。それはこの一年の御礼と来期から転校するということからである。りょうこちゃんはもう怖いこの階段を上がらなくてよくなったのであった。私はその場に立ち会うことができなかったが、御礼を言いたいのはこちらの方だと思った。
このような一種の神がかり体験を私は何回か体験しているのだが、りょうこちゃんが最初に来た時もそうだったからである。りょうこちゃんと出会った日を思い返すと背景にはこんなことがあった。その頃、わが娘の結婚に関して、娘との意見対立がありにっちもさっちもいかない時だった。その日、私は一つの問題に出した意思決定を反芻しながら3月初旬の曇った日の午後遅く、散歩に出たのである。私は自分の若い頃の体験を考えながら母親の気持ちなどを考えていた。
社会的にはそのような判断をするのは当然だが、果たして娘に対してそのような判断をするかどうかである。判断がつかないまま私は家につながる階段を上がったのである。そして、門の扉を開けて後ろに人の気配を感じて振り向くと小さな女の子がいたのであった。
私はそのわけを聞いて一緒に階段を上がった時、閃いた事はこの見知らぬ小さな女の子
が階段を上がるのに私を必要としていたように娘も同じなのではないか?ということであった。私は小さな女の子を階段の上まで送り届け、一つの決断を翻し、娘に話は了解したというラインをしたのであった。もし、その時、その判断をしていなかったならと考えるとその後の娘の笑顔は私に戻ってきたかどうかわからない。そうこうしているうちに何ヶ月かして、私は一つの映画と出会った。
それは「聖なる酔っぱらいの伝説」という映画で一種のカトリックキリスト教のプロモーション映画のようなものなので、だいたい想像がつくと思うが、フランス人の好きな奇蹟譚である。
 しかしこの映画のオリジナルはオーストリアの作家が書いた本でヨーロッパでは知られている本であるらしく、子供向けの本として日本でも出版されている。また、映画そのものはヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得したくらいなので、いわゆるヨーロッパには知られた映画なのであろう。しかし、この手の映画は日本ではマイナー作品になってしまうので、見るチャンスがあるとすればアマゾンプライムくらいかもしれない。
 そこで私は初めて聖テレーズの存在を知ることになるのだ。そんな分からないものと出会ったらWikipediaを調べるとイイ。キリスト教国のどなたかが編集しているわけだからだ。信じられないくらい詳しく書いてある。調べるとそれはローマ法王庁で一番若くして、ごく最近と言っても100年近く前に聖人なったマリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタンのことであった。
 突然、聖テレーズが出てきたので、この説明を少しすることにする。これは「聖なる酔っぱらいの伝説」の話なのだが・・・・
『セーヌ川にかかる橋の下で夜を過ごす主人公の下へ紳士がやってくる。自分は聖テレーズに信じるもので橋の下で夜を過ごす人に施しをしている。あなたに200フラン(24000円くらい)を提供するから用立ててほしいと言って渡す。そしてもし返せるようになったらバティニョール教会の聖テレーズにあげてくれという。というのが彼は聖テレーズのお陰で幸せを与えられたからであった。
 酔っぱらいはそれを約束して200フランを受け取る。しかし早速、酒を飲みに行く。
ところがそこからお金が入るような偶然に恵まれる。そして、お金を返しに行こうとするがまた、ミサが終わるまで酒を飲んだりして一向に返せなくなる。そして、お金が底をついて橋の下で寝ていると少女が現れて、なぜ日曜日来なかったかを尋ねて消えてしまう。
それからまた、最初に現れた紳士と出会いまた200フラン借りる。おかげで運を取り戻しお金が入り、今度こそ聖テレーズにお金を返すためミサが終わるまで酒場待っているがまた飲んでしまう。酒場で昔の悪友と出会いお金を巻き上げられそうになる。その時その店に少女が入ってくる。名前を聞くとテレーズと答え、そして消える。酔っぱらいは少女に感謝し、教会に向かおうとするが昏倒してしまう。慌てた酒場の連中が病院より目の前の教会に連れていく。男は返すべき200フランを握ったまま教会で死んでしまう。』
聖テレーズは弱い人の守護神であると言われている。マリー・フランソワーズは12才くらいで修道女を志したらしく、まさに聖人のような少女なのであろう。そのようなことが弱い私の体験と似ていたのである。
フランス読みで聖テレーズというがラテン語だと聖テレサになる。ここでおかしいことに気づいた。というのは最初にイタリアに行って、最初に見たイタリアの至宝がベルニーニの「聖テレサの法悦」という傑作だったからだ。ベルニーニはバロック時代の彫刻家であり、その人が今から100年近く前に亡くなった聖テレーズの彫刻など創れるわけはないではないか?
調べると聖人には大テレサ、小テレサの二人がいてこの映画の主人公は小テレサでベルニーニは大テレサを彫ったのだ。そういえばあの高名なマザーテレサはどちらかのテレサを信奉していて自身をマザーテレサと唱えたらしい。
                                  泉利治
2020年4月27日

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