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Column

春と桜と紫煙と

 いつものことだがそんな中でも桜の下で紫煙を楽しむ。目の前に山桜が広がっている。
デカメロンという古典文学の傑作は伝染病を逃れた何人かの人たちがそれぞれ一話を語り合う物語である。このイタリア文学の傑作はそんな背景の中で成り立っている。
 イタリアは昔から伝染病に痛めつけられたようである。その状況は昔も今も変わらない。
人々は身をかがめてこの地獄をやり過ごしたのだろう。千年経っても少しも変わらない状況に苦笑してしまう。当時はその病気をやり過ごすことができればなんとかなったのだろうが今はその後の経済の影響に気をもんでいる分、当時より悲壮感が漂っている。
 本来、この状況に紫煙を楽しむなんて何とも無茶なことはわかっているが?だって肺炎になってしまうのではないか、君は高齢者だし!!私は間違いなくヘビースモーカーといえるだろう。葉巻やパイプの一服は少なくとも40分から1時間紫煙を楽しむからだ。
 ここで反論なのだが葉巻やパイプは肺に紫煙を注ぎ込むことはない。いたって健康的な喫煙なのだ?口蓋の中に入った紫煙が皮膚を通して脳に至りニコチンの作用で一種の酩酊状態になる。その違いがいわゆる紙巻きたばこ愛煙者との違いなのだから、という確信のもとで50年近く葉巻やパイプを楽しんできた。
その上、ここが重要な点なのだが、これを楽しむには健康であること前提にある。体調がよくないと葉巻もパイプも美味しくないし、楽しめないことは間違いない。五十年近く前の日本専売公社のプロモーションコピーの「今日も元気だ、たばこがうまい」ということなのだ。
 私はこのたばこ達によってどれだけ仕事上に助けを借りたか分からない。金額にして10億円はくだらないであろう、日本経済への貢献は10兆円を超える?という仕事上の価値を生み出したアイデアはすべてこれらの煙草の助けを借りている。したがって、ハバナの葉巻をスイスから購入したり、パイプ煙草は今となっては遠くの専門店まで足を運んで買いに行かざるを得ないが、その面倒な手間をかけるのにはそれなりの理由があるのだ。
 最近、煙草を吸っている人の姿を滅多に見なくなった。たまに街中で見ても惨めなものである。歩道橋の下などの場末のところが喫煙所になっているのだ。私に言わせれば崇高ともいえる紫煙の場所がそれかよ!という怒り心頭なのだが、これが巷の選択ならば・・・?この状況を一気挽回する手があるとすれば「コロナにかからないためには喫煙を!」なるキャッチコピーをJTに打ってもらうしかあるまい。
 
 今回のコロナに関して多分一番困っているのは朝昼の情報番組のコメンテーターなのではないだろうか最初の頃は自論をもっともらしく語っていたのだが、その内容の問題がその後に指摘されて、自分の言ったいわゆる素人判断が他の専門家や状況の進行との違いで露呈して徐々に何も言えない状況に追い込まれているからだ。そうするとかれらは自分の専門分野のかけらに関するちょっとした政治家の言葉尻をとらえて、そこを指摘するという馬鹿なことを繰り返している。見苦しい上にみっともない状況が現実なのである。
 本来、このような時こそ世の占い師を集合させて、コロナの進行や世界の今後を占ってもらうというような企画を考えてはどうだろうか?というのはこのような時にこそ彼らの方法が一つの灯になるのではないかと本当に思っているからだ。というのはこれだけ複雑な状況の中で機能するのは意外と占いである?古今の占い学?や占い師はそんな中で彼らの能力やスキルを発展させてきたからである。
 かれらはこの不可思議な世界のあらゆる現象に対して一つの解決方法を持っていると私は信じているのであるがその中で一番、信頼を置いているのが四柱推命だろう、これはその人自身と宇宙のかかわりの中で一つの解決策を考え出す。たとえば3月の私の運命は最悪でここ30年間で最低の月なのである。毎日が凶の日で良くても小凶で参ったなと思ったが、それが的中したのは3月6日で10万円近くかけて作った眼鏡を落としてしまった!まあ、この程度で良かったのかも知れないが?
 書いている今日が27日なので後4日で魔の3月も終わりを告げるが早く終わってほしいものである。こんな時にはおとなしくしているのが一番なのでチェロの練習と懸案の歴史小説を書いている。
 ようやく小説も軌道に乗ってきたのだが歴史小説というものと他の小説の違いが徐々に分かってきた。その際たるものの一つが明らかな客観的な事実があるということで、それを無視しては成り立たないということである。したがって、それをどう解釈して物語に取り込むのかが難しいのであるが、どうもそこが一番面白いようだ。
 これまで歴史小説を書くのは大変だなと思ったが、考えてみれば歴史小説とはある事実に対しての作家の勝手な解釈を書いているだけのことであり、それが面白ければそれで成り立つという代物なのである。
ただ、初心者の素人の常で初歩的な問題だが時間の経過を忘れてしまい書き終わってみるとおかしなところが結構多いことに気づく。どう見てもそのステップを経ないと次にいけないはずなのに、当然のようにそこを飛ばして次のステップのことを書いているということに後で気づくのであるが、そんな歴史小説以前の単純ミスで苦労している。
また、歴史上の人物がその物語の一人になっている場合は大変困ることが出てくる。たとえば、昔の将軍は10才くらいで結婚をするというような事である。今じゃ考えられないが花嫁は6才である?とするとこの二人の結婚生活はどうなるのだろうか?その時、その将軍は結婚に対してどんな感想を持ったのだろうか?その生活はどのようなものだったのだろうか?一緒に生活をするのだろうか?正直、見当がつかない。そのあたりはSNSで調べればたちどころに分かる世の中になったのでいくらか助かるが現代とのあまりの違いに面食らう毎日である。ともかく、忌々しいコロナが速く滅却されることを祈りたい。
                                  泉利治
2020年4月13日

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