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Column

人を創る

 たいそう大げさなタイトルだが、まさにその通りのタイトルで悪戦苦闘している。その作業が進行中なのだ。といっても閨の作業ではない?また、弟子を育てているわけではない。小説に書かれる主人公一人のことを言っている。
 北条時宗である。この人物は鎌倉幕府の8代執権で1251年~1284年に生きた人である。もしかすると鎌倉時代におけるいわゆる幕府側ではその父、北條時頼と共に出色の人物である。ところがこの人物について残された肉声がわかる文章などもなく、かれについて書かれたものばかりである。したがって、そこから想像力を膨らませて書かなければならないということなのだ。
 小説のテーマにもよるが、たとえば時宗と妻との交流を描いたテーマの小説になったとしたならば、数多の資料はほとんど役に立たないだろう。まあ、賢明な作家ならそんなテーマの時宗の小説を書くわけはないだろうが?
 時宗に関して書かれていることは政治的なものとしては「吾妻鏡」があり、人物に関してはかれを指導した4人の禅僧の言葉がある。ただ、かれが書いたもので確実なものは公式文章に書かれた“時宗“というサインのみである。それも祐筆に書かせたということも考えられるらしく、筆跡鑑定のレベルのものである。レベルとしては俵屋宗達よりはいくらか良いと思われる?宗達の場合は絵のみであった。
 とはいってもそのような資料がある以上それを読み込んで想像力を働かさなければならない。つまり、かれが決定したこと、実行したこと等から時宗という人間をつくり上げることなのである。
 たとえば幕末を代表する最大のスターである坂本龍馬は司馬遼太郎という作家によって生まれた偉人といえる。龍馬は手紙などがたくさん残されているし、かれの行動もかなり辿ることができる。それらを総合するとあのような見事な人格が出来上がるのだ。つまり、坂本龍馬とは司馬遼太郎が原型を作ったと言える。このような優れた作家の手にかかると時代の傑物ができることになるのだろう。司馬遼太郎のお陰で明治という時代は何とも逸材揃いの時代になったことがわかる。
 一般的に人々はその人自身を知りたいと思うものなのである。その人自身とは素顔の坂本龍馬なのであろう。司馬遼太郎は自身を“人ったらし”といっている。女ったらしはわかるので何となく言わんとしているところはわかる。要するに人に惚れっぽい人物なのであろう。だから、その人自身を知りたいと思う人の気持ちがわかるのかも知れない。
 歴史上の人物をテーマにした小説にも二種類ある。一つは確実な資料を基に物語を組み立てた小説(これは小説というよりノンフィクションかも?)。そしてもう一つは確実な資料にとらわれないで作家が自由に書く場合。司馬遼太郎は典型的な前者の作家だろう。したがって、かれの場合、その人物が自分のイメージに近い人物でないと成り立たない。微妙な場合は我田引水的にこうあってほしいというような判断のもとに書くだろう。でないと書き気が失せるに違いない。
 私が俵屋宗達をテーマにしたものを書いたきっかけは宗達研究の第一人者山根有三氏が
宗達という人物を貧弱な資料を基に学者としての許される範囲ギリギリのところで書かざるえない窮屈さを分かって、学者ではない自分だから書くことができるものがあるに違いないということがキッカケであった。変な理屈だが山根氏がやりたくともできないことを書いたのである。本来そんなに“人ったらし”ではない私は苦労したが、宗達という人物は何となく好きになれそうだからということが救いであった。
ただし、それだけでその人物を描き切れるかは別問題である。一つの救いは私の場合は発達心理学がベースになることくらいであろうか?人は10歳前後に体験したことで出来上がるという、それである。人格や才能はそれが決定すると思われるからだ。
 
北条時宗はその点では幸せだったかもしれない、愛情深い両親、当代最高の地位を約束されて、有能な人物によって訓育されたからだ。実地の場でも暖かく指導されたことは確かである。そして、一人の妻を生涯にわたり、と言っても34年という短い生涯だったが愛したのではないかと思われる。彼の最期の師である無学祖元の言葉を読むとその人格の気高さがわかる。それゆえかどうも人肌が感じられないのである。人間北条時宗を描きたいものである。
こうやって小説を書いてみると別の視点ではいろんな人物が出てくることがわかる。たとえば扱いにくいので登場させる気はないが日蓮もこの時代、北条時宗の近くにいた人でどちらかと言うとマスコミのうるさいコメンテーターのような存在として、時宗から佐渡に島流しにされたりしている。この人物は昔からあまり好きになれなかったがどういうわけか日蓮宗は京都の角倉了以や茶屋四郎次郎などの豪商たちに支持された宗教である。確かに他の宗教とは違いあまり観念的ではなく、どちらかというと政治的なのである。この日蓮は鎌倉を拠点として活躍しており、日本の数多の宗教家の中で唯一、比叡山で修業をしない人物であったらしい。千葉県の清澄寺で修業をしている。そう考えると確かにその宗教は政治的にならざるをえないのかもしれない。
 来週にでも日蓮が初めて庵を編んだ長勝寺に行ってみよう自転車で30分もかからずに行けるだろう。一昨日も時宗の父の時頼が開いた明月院について読んだついでに時頼の墓に手を合わせたくなって、自転車で出かけたが殊のほか明月院が良かったので驚いてしまった。考えてみれば行ったつもりだったが、まったく知らなかったのである。ここは北条時宗が開いたわけではなく、山内経俊が開いたようである。その後、その境内に時宗の父の時頼が禅興寺を開いたが明治初年に廃寺になって、現在、明月院だけが残っている。
                                    泉利治
2020年2月3日
 

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