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Column

京都・鎌倉、鉄街道

 この表題でピンと来た人がいたら、凄いを通り越して病気かもしれない。マニアックな?
いやいや、昨今の女子、そう刀剣女子ならピンとくるかもしれない。
 12月11日から4日間京都に出かけた。今年になって二回目の取材旅行である。早朝9時に到着し計画通り粟田口へ向かう。この辺りが京都小鍛冶の発祥の地であるからだ。小鍛冶とは鉄製品を作る職人を表す。したがって大鍛冶とは製鉄業者を言う。古代の鉄製品の中心は刀剣になる。他に鍬や鎌もあるが、針なども鉄でできている。
 本来、刀剣の部類は殺人道具なので忌避すべきものなのだが、第二次大戦後新たな役割でリポジショニングして現在では類まれな芸術品として世界に誇るべきものとなっている。この辺りの偶然は日本が戦争に負けて、刀剣のポジションを変えなければ廃棄されそうになったのを救うために奔走した古人の努力である。進駐軍もそう言われるとその美しさに何も言えなくなったのではないか。
 東海道の始まりは京都の三条大橋である。この橋のたもとに弥次喜多の銅像があるのでわかりやすいが、現代の若者がそれを知っているかどうかわからない。この三条大橋を東にまっすぐ行くと粟田口に行く。“口”というのは京都から地方に出る街道の七口の一つであるからだ。
 この粟田口は日本刀剣の発祥の地と言っても過言ではない。その先端に三条小鍛冶宗近の碑が建っている。この名前の通りの能があるのでこの人物は単に刀剣界を超えた存在として燦然と輝いている。
 刀剣について調べ始めたのは新テーマの小説を書く上で必要だからである。書架にある40年くらい前に買った刀に関する専門書や居合刀があるので40年ぶりにページをめくった。居合刀は当時、竹刀剣道では分からないことがあったので実際の刀を振って手の内などを検討したのである。いずれにしてもこの期に及んでそのような本を開くとは思ってもみなかったが、図書館で新たに日本刀に関する本を借りてきたが内容に関しては40年前のものとほとんど変わっていない。昔の方が反って分かりやすく丁寧に書いてある。著者が経験を積んでいる人のようだ、この手のものは現代の人の方がイイとは言えないことを感じる。
 
三条通を粟田口に向かっていくと通りを挟んで二つの神社が向かい合っていることに気づく、右側に粟田神社、左側に合槌稲荷大明神の二つの赤い鳥居を見ることができる。神社のスケールとしては粟田神社が神社というだけあって神社然としているが、合槌稲荷大明神はまさにお稲荷さんである。それでも狭いながら参道があり、京都の仕舞屋の数軒の台所口を抜けて突き当りにいくらか大きいお稲荷さんがある。いくらか小ぎれいにはしているのはやはり粟田口といういわゆる歴史的保存地区のテーマ史跡であるからなのではないか。暑い夏などは3,4軒の家の窓から見えるくらいの中庭に稲荷社があるという感じなのだ。ちなみにこの合槌とは刀を叩くハンマーを持った二人のことを意味している。そのスケールに合わせた小さなのぼり旗が左右に10本くらいあって、この辺りの刀鍛冶によって何百年も守られてきたのだろうと思われる。
 
三条通をわたって向かい側の粟田神社の参道に入ると三条通と平行に走る細い道にぶつかるがそこに二の鳥居がある。後でいろいろ話をまとめるとその細い道が本来の三条通であると書いてあったがそうは言ってもかなり細い、人は歩けても荷馬車は通れない。昔は、と言っても鎌倉時代にはこの3倍かそこら広かったのではないか?
まず、二の鳥居を抜けて粟田神社に入る、最近ここに訪れる若い女性が増えているらしい。今回そのあたりが分かったのは社務所の軒先にアニメらしきイラストの説明書きが貼り付けてあったからである。本当に“刀剣女子”のパワーは凄い。まったく違うアプローチからそこに行き着いているようなのだ。刀剣に係る人たちはどのように思っているのか聞きたいくらいである。
神社境内の中には粟田神社の他にいくつかの神社がある。お目当ては鍛冶神社である。神社と言ってもスケールは向かいの合槌稲荷大明神と同じくらいのものだが、広々した境内の中の一つなので何となく厳かであり、鳥居の代わりに刀剣のカタチをした自然石が左右にあり、それをしめ縄で繋いでいる、その在りようが妙に劇画的に感じたものである。
 ここは本来、刀剣の神社というより牛頭天王を祭る、旧粟田口村の村社であったようだ。私は記念にお札を買ったついでに神官らしき人(ジャージを着て正月用のしめ縄をつくっていたので・・・)に“三条宗近の屋敷はどの辺にあったのですか?”と聞いて、帰りにその地を左に見ながら「三条小鍛冶宗近の古跡」に向かって旧三条通を進んだ。
 道の先には仏光寺という大きな寺院があって、その中に三条小鍛冶宗近の古跡があった。
さまざまな文献を読むと最終的にここに落ち着いたというところではあるが、なんといっても京都鍛冶のパイオ二アであり、伝説の刀工であり、謡曲の演目としても有名な刀鍛冶でかれの打った刀は天下五剣に入っているような優れたものである。確かにその美しさは公家の出身らしい高貴な姿である。時代は平安時代である。
 
その天下五剣にもう一つに粟田口出身の刀工粟田口国綱のものが入っている。「鬼丸国綱」言われる名刀ゆえの物語りを持っているものである。五代執権北条時頼を悩ました鬼を国綱の太刀が成敗したという話である。似た話はやはり天下五剣の一つの「童子切り安綱」の話でこれは丹波の大江山に住む怪賊酒呑童子を源氏大将の源頼光が安綱の刀で切り倒したところから出ている。いずれにしても日本昔話のような話であるが、私の世代はリアル体験世代なので意外とズシンとくる話である。
 この粟田口国綱の倅の世代が鎌倉に招かれてやってくる。そして、日本を元寇から救う名刀をつくり上げる。古来鎌倉は鉄の産地でもあったのだ。今でも稲村が埼辺りでは良質な砂鉄が取れる。それを加工する鑪、いわゆる製鉄所もあったと言われている。粟田口国綱はそこで出来た良質の玉鋼でピュア鎌倉の名刀をつくり上げる。この辺りの記述は事実とフィクションが入り混じっている。
                                  泉利治
2020年1月27日

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