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Column

竹内まりあ

 特定の女性について本考で書くことが何回かあったような気がする。今回のキッカケは年末恒例の特番で竹内まりあの2時間、40曲のNHK特番を昨夜見たからだ。というのは車を運転する時に入っているCDが竹内まりあのもので何回も聞くうちにそれぞれの曲の見事な表現に共感するものがあり、それぞれの歌の詩やメロディーの創造力に舌を巻いていたからだ。この特番で竹内まりあの創造の秘密があかされるのだが、本当にすごい才能だなとあたらためて感じてしまう。わたしは彼女が歌っている歌がすべて彼女自身のものかと思ったらその多くは他の歌手のための歌であったことを知って驚いてしまった。昨夜の特番であの名曲「駅」は中森明菜の曲であったことなどをあらためて知ったが、曲自身が知られるようになったのはやはり竹内まりあ本人が歌ってからだ。
 この特番を妻と見ながらわれわれは彼女の曲がいいと感じる年代の上の方であることなどを話しあった。とくにこのような音楽は詩と曲に同時代性というのが働くと思うのでそんな意味でたとえば33歳の娘が竹内まりあの曲を聴いてどのくらいイイと思うかは何とも言えないからだ。われわれ世代では「駅」を聴くとその歌われたシーンが目に浮かぶのであるが娘の世代ではそこまでいくか疑問である。目に浮かんだ画像は誰にも提供されたわけではないが、一人ひとりの心の中にある駅や隣の車両が目に浮かぶのである。こういうことってありそうだよね…という思いが曲と同時進行しながら聴いている自分に気づくのである。そのあたりが共感の要因かと思われる。
 以前、だれかが今の若者は何十年かしてから昔聴いた曲が思い出せないのではないか?と悲しんだ意見を書いていたのを読んだ。というのは現在のヒット曲はメロディーではなくリズムや音響効果など、そしてその歌手のパフォーマンスの上に成り立っているからで、
その若者が老いてから口ずさむことができない青春の音楽ばかりであるからであるということなのだ。その点、竹内まりあの歌には明確なメロディーがある。これもいわゆる自然教育のようなものだろうが私たちの世代はメロディーと詩が主流であった時代の音楽と共に青春を過ごしているからである。
 
 私は音楽現役であるが多分、竹内まりあとバッハは違う脳の部位で聴いているのだろうと思う。どちらの曲も忘れがたいものである。そして同じような感動を覚えるものである。この歳になるといわゆる竹内まりあの歌をスタンダードナンバーとして聴いているのであろう。
音楽を創造の手段として持っている人は幸せだなとつくづく思う。というのは竹内まりあが「駅」という名曲を生み出すまでの時間を考えると、たとえば物書きが一作書き上げるまでの時間の長さと雲泥の差があるからである。ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルにした「ジャン・クリストフ」を何年がかりで書いたのだろう、というような事を言っている。いわゆる一つの作品を完成させるまでの時間の長さである。
 少なからず文学者は時間のかかる手段で共感者を募っているのである。私事だが今執筆中の歴史小説的なものは何か一つのテーマに遭遇するといわゆる創造活動は中止して、調査・研究の作業に入らざるをえなくなってしまう。趣味で書いている限りはその期間も楽しいものであるがこれで食べていくとなると強力なスポンサーがいないとこれらの作品は滞ってしまうに違いない。したがって文庫本10巻にもなるような本の多くは新聞か雑誌の連載物がオリジナルのケースが多いことになる。「ジャン・クリストフ」は9年間にかけて雑誌に向けて書かれたものであるし、「坂の上の雲」は4年間産経新聞に連載されたものである。
 創造行為とは基本的にそのテーマに対して共感者を募ることが目的であり、共感者の数と持続性に対して価値の評価付けを行うものなのだ。したがってユーチューバーの上げた作品?に対して見られたカウント数が価値を持つことと同じなのである。
 私は創造行為の価値の大きさとそれを生み出す労力について書いているのだが、ミケランジェロのシステーナ礼拝堂の壁画とゴッホのひまわりを描いた労力の差は信じがたいものだ。「ゴッホの手紙」を読むと彼の作品の多くは午前中に一枚、午後に一枚のペースで描かれているがシステーナ礼拝堂の壁画はフレスコ画なのでその描き方も大変だ、漆喰を先に塗り、乾燥しないうちに描き進めるということもあるし、描くための足場を組むためにどのくらいの人の手を煩わせたか?考えただけでもぞっとする。そのうえあの大きさのキャンバスが相手である。まさに絵画における歴史小説である。
そう考えると歴史小説というものは割の合わないテーマのような気がしないではない。竹内まりあはキッチンに小型の鍵盤楽器を持ち込んで家事の合間に作詞・作曲をしていたようだがそれはその分野ならではの方法と当人の才能ゆえのものなのだろう。
いずれにしてもこれらのものはどれだけ多くの人に幸を与えてきただろうか?そのような才能を持てたことは神からの贈り物に違いない。多くの人に感動を与えた上に称賛され、そして自分も多くの歓びに浸ることができるからだ。
                                    泉利治
2020年1月13日
 

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