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風神雷神

 私が「宗達はじまる」を上梓してから、専門の作家が俵屋宗達を主人公にした小説を書いている。柳広司氏と原田マハ氏である。実際に読んでいないので何とも言えないが、俵屋宗達の魅力にとり憑かれた作家なのだと思う。俵屋宗達は信じられないくらい魅力的な絵師なのである。今後、まだまだ宗達を主人公にした作品が世に出るのではないかと思われる。
 魅力の第一は出生も没年も分からないということであること。ここが何とも魅力的で作家のイマジネーションをくすぐる。
魅力の第二はその経歴、だれについて絵を学んだかもわからないこと、それゆえか、いたって独創的だか、正統派の絵を描いている。
魅力の第三は本人の生活が謎であること、出生も没年も分からないが、その上存在したであろうと思われる30年近くも本人の形跡が見られないことである。
 そんなことから本当に俵屋宗達は実在したのか?と問い詰められて確信を持ってYes!と答えられる人はいないのではないか、したがって、このたびの原田先生は宗達をヨーロッパに旅立たせたようである。どうも、宗達はカラヴァッジョと会ったらしい?とそこまでファンタジーを拡げたような本であるらしい。と、そんなところまでのポテンシャルを持っているのが俵屋宗達なのである。
 私は宗達の実体を忠実に追って、整合性が取れる宗達伝をめざしたのである。どこで生まれ、どこで修業して、どんな先生について、全盛期はどうだったのか?晩年はどうだったのかをリアリティを目標に書いたのである。これはこれでファンタジーなのだがあくまで研究書的伝記小説なのである。
 考えてみれば私が一番惹かれたのは宗達の才能である。才能に関して私が確信しているのは先天的なものであるということである。簡単に言うとDNAに注目したのである。宗達の絵を見るとよくわかるが、いわゆる学習の積み重ねで得た能力だけで描いてはいないということである。その一つは“着想”の豊かさ。
 宗達以前の有能な絵師たちを知る限り、歴史を紐解くと能力のある人たちはすべて、今の中国や朝鮮からの渡来人である。それぞれの国が戦争をして負けたことでその国の才能ある人たちが日本に亡命してきたのである。宗や高麗から優れた才能が、それもかの国でも貴種と言われた人たちが日本に来て、長い年月で日本人の血と融合し、優れた芸術と芸術家のDNAを創造したと考えたのである。
 私は宗達の才能を伊賀出身の絵師にしたのは何期かにわたり新羅や高麗から渡来した、初期の人たちが若狭湾のいずれかの地点から琵琶湖の湖岸にある地方を経由して、いなべ市、四日市市、亀山市を経て島ケ原に落ち着いた人たちのDNAと考えたのである。それは宗達の父方の系譜である。いつくらいの時代かは何とも言えない、一般的には4世紀~7世紀くらいの間に来た人たちを渡来人と言っているが、この人たちがいわゆる戦争亡命人ともいえる貴族、王族の人たちとその周りにいた有能な人たちである。
その頃の日本の文化の中心であった飛鳥地方の8~9割が宋や百済などから来た渡来人であったといわれている。宗達の母方のDNAはここではないかと考えた。彼女が島ケ原の豪族であり、東大寺の寺領を管理していた、宗達の何代前かの工匠と結婚した。以後、この家系は寺院建築関連の一切の仕事を引き受けるゼネコンのような家になった。勿論、そこには絵画部門もありそこで宗達の血は洗練されていったと考えたのである。たしかにファンタジーである。
 宗達の絵の一番優れているところは何といっても発想の豊かさであろう。たとえば狩野派があのような絵を描いている時に「松島図」のような絵が生まれるだろうかということである。その着想こそ俵屋宗達の天才性なのである。いわゆる絵が装飾としても成り立つということを身をもって証明したのが俵屋宗達なのではないか。尾形光琳は俵屋宗達なくして生まれなかったと思う。
 宗達がその価値に気づいたのはいわゆる町絵師として市場競争の真只中で格闘していたからであろう。たとえば美術そのものが庶民の中で成り立つようになったのはごく最近である。それを美術とは言わず、デザインとかファッションと呼んではいるが?したがって今、宗達ファンタジー小説が書かれるのは彼の存在の未来性であり、現代性からなのである。宗達が町絵師として扇を中心とした絵を商っていたことが宗達の現代性につながっている。というのは現在、最も力を持っているのは民衆である。民主主義が現在と未来の前提にあると言ってよい。宗達はあの時代から民衆の力の上に成り立っている唯一の画家であった。後の浮世絵師もその端くれと言えるだろうが、どちらかというと彼らの本質は絵師というよりジャーナリストなので何とも言えない。ジャーナリストにとって絵は目的ではなく手段である。
 たとえば後水尾天皇がお抱えの狩野派の絵師に対して“宗達の絵を参考にしてくれないか?”と言ったという話はまさにこれまで書いてきたことの証である。天皇というのはその頃は時代の最先端の価値創出のモチベーションなのである。宗達絵というものは美術を通して身分や様々な境界を越えて本当に優れているものとは何なのかの一つの典型を世に問うたのではないかと思う。
 しかし、その時代を超えた普遍性のためか宗達は以後300年近く忘れ去られる。その片棒を担いだのはあの尾形光琳である。かれは宗達を抹殺することによって自分が歴史に残る最高の絵師であるという構図を成り立たせたのである。光琳はそのような卑屈なところがある。かれは弟の尾形乾山のお陰でまともな絵師になったと思っている。私が光琳を褒める唯一の点は誰にも知られないように己の工房で宗達の絵と格闘して己の絵師としての価値をつくり上げたことだけである。つまり、宗達の天才性に気づいたことである。
                                    泉利治
2019年11月25日

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