ブランドワークス

Column

「戦友の死」その後

長い人生ではこれまで体験したことがないことがいろいろ起きるものである。戦友の古澤浩一氏が逝去して三カ月になろうとしている。
私はこの戦友なくしてプロジェクトの遂行は難しいとの判断からクライアントにプロジェクトの終了宣言をした。先月末でプロジェクトは終了したが、これを決意するにあたりいくつかの初めての作業を行ったがその中でも一番意味があったのは3年間の全プロジェクトを分解して全作業を構造的に再構築し、クライアントにプレゼンテーションしたことである。
 私はコンサルティングビジネスを正味35年間やってきたが、このようなカタチとして絵に描いたのは初めてであった。クライアントにとってこの作業は事務的には3年間に投下した資本に見合ったものなのかを測る目安であり、そのプロジェクトのディクショナリー的な意味合いを持つものになったと思われる。
 というのはこのプロジェクトの記録はクライアントが近未来的に必ず遭遇するものばかりであるからだ。ただ、残された記録を正確に読み解くのはかなり難しいと思われるが、大筋は判るであろう。本来、その一端でもお見せしたいところであるが守秘義務があるのでそれを開示することはできない。
 まとめたものを見ると3年間で丁度20のプロジェクトが計画された。それらは構造的に3つの塊に分類できる。BI(ブランドアイデンティティ)⇒BC(プランドコミュニケーション)⇒BM(ブランドマーケティング)であり、それをプロジェクトの進行に合わせて適宜、提案してきた。実際にこれだけの数のプロジェクトを3年間で計画したということはその多くが未完で終わっているからである。未完で終わった理由はいろいろあるが一般企業では起こりえないことばかりであった。しかし、これらのテーマのプロジェクトをしないと人が死んでしまうとか社会的問題になるというような事にはならないから、われわれはプロジェクト化が面倒な場合、そんな時間を使いたくないと思ったまでで、それならこれはどうか?と次々新しいプロジェクトを提案した。ただ、この手のプロジェクトは一見、緊急性がなさそうであるが、それは表面には出ないだけの話で後でとんでもないことになることも多い。一度こんなことがあった。
 
有名なY社の話である。この会社のトップはブランドの価値が分かっていなかった。ところがこの会社はそのブランド力が企業の業績をつくっていた。そこで総合企画本部は自社のブランド力を分からせるため、当時の社長の価値観にピッタリのプロジェクトを思いついた。ブランドの価値を金額換算してその社長に見せようと思いついたのであった。というのは今ではブランド力が企業の柱として何よりも重要なことは分かってきつつあり、とくに食品分野などはブランド力が売上の大半を支えているからである。社長を支えている総合企画本部の人たちはこの社長に自社ブランドのブランド力を分かりやすく説明するということからブランドの価値を金額に置き換えて社長を説得しようと考えたのである。
 価格競争力や店頭配荷力すらもブランド力と密接な関係で成り立っているといってよい。
とくにY社はその品質ゆえにその高価格が保たれているといってよかった。たとえばコモディティである牛乳ですら、その牛乳は他社の牛乳より高かった。したがって、その牛乳はお金のある家庭でしか飲めないブランドの牛乳というイメージが一般生活者の中で出来上がっていた。Y社はよくあることであるが知らずにイメージとして北海道と結びつけて、乳製品の高付加価値化につなげていた。余談だが地球温暖化という現象はますます北海道の価値を高めるかもしれない。しかし、賞味期限切れの牛乳を再利用しているということが報道され、芋ずる式にそれに尾ひれがついて様々なマイナス情報が報道された。社会から糾弾され、まさに袋叩きにあった。結局、社名変更をせざるをえないというところまでの大ごとになった。地に堕ちるとはこういうことなのであろう。たかがブランド、されどブランドなのである。

 私が3年間担当したクライアントはここまでブランド力が毀損させられる業界ではないだろう。昨日、少し前に問題を起こした日本大学の創立130周年の全紙広告を見たが、社会問題化された理事長が写真入りで堂々と言葉を述べている。大学にとってブランドは重要だが食品分野に比べるとそう致命的にもならない。日本大学の価値はごく一部の人たちにしか関係がないからだ。
青山学院大学はブランド力がある大学である。それならその力をさらに強化しようと考えたのがわが戦友であった。
 私たちはそのブランド力の実体を確かなものにするために奮闘してきたといえるであろう。まず、学校のブランドの価値を明確にした。学校のブランドの価値とは愛校心であると明確に定義した。となるとその価値は一般生活者の中には成り立たないものである。在校生や卒業生だけのものである。理由は簡単である、この人たちが一番ブランド力の向上を願っており、極論を言えば、そのベネフィットを一番享受できる人でもあるからだ。とくに卒業生は重要である。かれらの卒業した学校のブランドがかれの人生を左右する。見知らぬ社会で自分の価値を証明するのは学校のブランド力である。ただ学校にとってもその卒業生は宣伝マンである。その持ちつ持たれつの関係は愛校心を育むよいエクササイズである。その愛校心こそブランドの神髄である。
それは、学校の質も決定づけている、教育力や研究力を左右する学校の資金力の多くはその愛校心から生み出される。驚くべき事実がある。昨年、ハーバート大学のファウスト学長が退任した。彼女はハーバート大学を卒業していない初めての学長であり、初めての女性学長であった。その彼女は自分が退任する5年前から、大規模な寄付キャンぺーンを実行した。というのは彼女が就任したころのハーバート大学はその資産の30%近くをリーマンショックで失っていたからである。その後、その大半を取り返したものの歴史学を専攻してきた彼女にとって自分の在任中の功績がこのままではプラスマイナスOになってしまうことを見抜いていたのだろう。彼女は自分の退任時までの5年間で65億ドルの目標を掲げた寄付キャンペーンを打って出たのである。学長の実績とは在任中にどれだけ大学の資産を上積みしたかで判断されるからだ。
結果としてこのキャンペーンは世界新記録だったようだ?目標額を30%以上上回る96億ドルを集めた。日本円にして1兆430億円である。歴史家でもある彼女の心は安らいだと思われる。史上初のハーバート大学の女性学長が世界の大学のどこも成し遂げたことのない寄付金のキャンペーンで1兆円を超えるお金を集めた。世界一の愛校心の証明である。
 
私はこのような課題に対して何らかの方法を提供しなければならない存在として3年間を過ごした。ただ、3年経ってもその解決のめどが立たなかった。私は戦友が亡くなった時に、このプロジェクトが終わりになる予感がした。しかし、最後に未解決の課題が一つ残った。実現できなくとも実現の道筋は示さないといけない。
プロジェクトが終了する1週間前、この最大の難関に対する光が見えてきたのを感じた。私は最後のプロポーザルで解決する答えを書いた。要は道筋を示すことだ。道筋は達成できるかもしれないという希望を抱かせる。実現可能なルートを示すことで行動のバトンは渡せるものである。これが何よりも今は亡き戦友に対して約束だったような気がしている。
                                   泉 利治
2019年10月21日
 
              

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