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Column

西洋かぶれ―Ⅱ

 コンセプト立案のネタは世に名高いダティーニ文書と言われる1300~400年代に活躍した毛織物商人の残された実際のビジネス文書である。今、気づいたのだが、私はこの本に触発されてアヴィニョンに出かけたのだ。人生には後になって、あの時なぜあんな行為をしたのだろう思うような事がいくつかあるもので、プラードの商人ことフランチェスコ・ディ・マルコ・ダディーニがアヴィニョンによく出張したのであった。というのは当時、教皇はローマではなく一時期アヴィニョンにいた。したがって、世界の中心はアヴィニョンであったのだ。アヴィニョンは現在フランス領だが当時はどこの国に属していたか分からない。ただ、プラードからアヴィニョンは意外と近く、船を利用するとさらに、早くいけそうである。ローヌ川を上るとアヴィニョンの中心地、それも教皇庁の目と鼻の先に到直する。しかし、ヨーロッパについて熟知していると思っていた私にはアヴィニョンなんて初めて聞いた名前であった・・・?
 それまで海外旅行をかなりしたが、日本から一番遠い町であった。きっかり24時間かかっている。パリ、オールリー空港でかなり待たされた。着いたのが24時に近かった。運よくつかまえたタクシーで入り組んだ城郭都市のような迷路をホテル・デ・ミランダに到着した。途中ベトナム料理のレストランを見かけたので、ベトナムは一時フランスの植民地であったことを思い出した。
 このアヴィニョン体験は西洋人の先を行っていたと思ったのはそれから数年して、ピーター・メールのプロヴァンスに関する本が西洋社会で大ブームになったからだ。そう思えば、アヴィニョンの中心にあるレストランに入って、英語のメニューがなくて困ったからである。要するにフランス人しか行かない田舎町であったのである。バスツアーでアルルなどを訪ねた際、通過した村々が山の天辺にある事に一番驚いたが、同じことが本考で書いたJTプロジェクトのトスカーナでも実感することになる。
 
 イタリアンレストランのクライアントのJTから、私が提案したコンセプトの場所に住む貴族と提携をしてそこの荘園で作られた、ワインやオリーブオイルやその他の農産品を使った料理を提供できる店をつくりたい、という依頼があった。私はそのコンセプトで詩情豊かに描いた情景の荘園を探すことになったのである。それはコンセプト立案者としての私の信用を問われる事態になったのである。
 当時、私が在籍していたインターブランド社はイタリアミラノにオフィスを持っていた。私のコンセプトを英訳してミラノオフィスにFAXしたのを覚えている。心配だったのは間違いない出典を持った資料をヒントにしたとは言え700年も前の話である。日本の感覚で言うと私の住んでいる鎌倉について「吾妻鏡」を参考にしてコンセプトを書くようなものであるからだ、そんな場所あるわけはないじゃないかと開き直るしかないと考えもした?
 しかし、しばらくしてミラノ支社から来た返事はそのような場所と荘園に該当するところは270件近くありますという返事であった。どうだ!というより少し不思議な気がした。ヨーロッパはそんな古色蒼然としたものを残しながら近代化した国々の集まりなのだということである。
 私たち・・・その頃には私の仕事はJT側との共同プロジェクトになり、ショップ等を設計する建築家、ショップデザイナー、料理担当者も入った編成チームになったのである。このトスカーナツアーは10日近い日程でコンセプトに近い荘園をレーティングすることになり、貴族が所有する選ばれた13の荘園をマイクロバスで巡るのであった。
 今だから客観的に書いているが当時のその展開は初めてのことでめまぐるしく想定できない仕事に対して事前に準備をしなければならないという状況であった。要するにJTのその店はトスカーナの伯爵家が自家荘園で採れたものを自家の料理人が調理した伝統的な料理として提供するレストランというようなコンテクストになる。したがって、そこにあるのは本物のトスカーナ料理ということになる。
 私はイタリア貴族の名前で唯一知っていたバルバリーゴの名前を使い「バルバリーゴ家の歳時記」というコンセプトで架空のトスカーナ貴族のライフスタイルを構築した。そのコンセプトを聞いた本物のイタリア貴族はバルバリーゴ家とはベネツィアの由緒ある貴族であると言ったが私はその時、確かその名前はベネツィアの有能なドージェから借用したものであったのだ。ルネッサンス時代の頃の人だがそれが現代の貴族年鑑にも載っていたのである。その家は700年もの今も健在なのだろうか?
 その時の貴族訪問ツアーは忘れがたいものになった。彼らは私たちの来訪をビジネスチャンスと見ていたので至れり尽くせりのサービスでもてなしてくれた。貴族の館の説明から入り、そしていくつかの貴族は自家の歴史博物館を持っており、先々代が外務大臣をしていたある貴族は明治天皇から送られた日本刀とその書付について説明してくれた。
 また、ある貴族は自分の領地に飛行場を持っており、その時は残念ながら当主は遠隔地にビジネスジェットで出かけているという話であった。その貴族は乗り物が好きということで地下室に案内されたがそこにはイタリア1のジオラマがあった。その後でわれわれは暖炉を前にした食堂のテーブルで食事をしたのだがその暖炉は私が立ってその暖炉の中に入れるほど大きなものであった。

 日本に戻って来て私たちは個々に訪問した荘園をレーティングして、その理由等を書いてJTの意志決定者に報告した。予想した通りのソンニ―ノ家をバランスのとれたパートナーとして選んだことになる。オープンするまでその道のスペシャリストに私のコンセプトのバトンは渡された。勿論、私はオープンの日に招待されたが、店のインテリアの要所要所にソンニ―ノ家の荘園の風景を映した写真や家族の写真が飾られて、この店が本物の貴族の食の歳時記を再現したものであるという魅力を訪れた人に伝えていた。テーブルに置かれたワインはソンニ―ノ荘園で作られたラヴェルが張ってあり、その味は確かにトスカーナの風や香りを伝えていたようだった。
 現在、この時に開発されたコンセプトのレストラン「バルダルノ」は京都にあることが分かった、また、ソンニ―ノ家は現在、その邸宅をホテルとして提供しているようでネットでその景観を見ることができる。その二つはまだ関係を持っているのか分からない。
京都に出かけたらその後の経緯等をオーナーに訊いてみようと思う。
                                   泉利治
2019年9月30日
 

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